2014年8月27日、お参りしました。
説明書より「推古天皇11年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。この寺の名称は、古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などと言われたが、今日では一般的に広隆寺と呼ばれている。広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。秦氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書紀によると第十五代応神天皇16年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することにも務め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は、衆生済度の道の探究、仏法への絶対的な帰依、そして、"和を似って貴しと偽す"平和な世界をめざされた慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和と民俗の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。」
霊宝殿拝観料700円です。
京都市右京区太秦蜂岡町32
map
唐門
薬師堂
能楽堂
参道
講堂
「永万元年(1165)に再建された京洛最古の建物で、俗に赤堂という。」
太秦殿
上宮王院太子殿
手水舎
弁天社
旧霊宝殿
霊宝殿
国宝の弥勒菩薩半跏思惟像、十二神将十二軀、阿弥陀如来座像、不空覇索観音菩薩立像など展示しています。
説明書より「推古天皇11年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。この寺の名称は、古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などと言われたが、今日では一般的に広隆寺と呼ばれている。広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。秦氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書紀によると第十五代応神天皇16年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することにも務め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は、衆生済度の道の探究、仏法への絶対的な帰依、そして、"和を似って貴しと偽す"平和な世界をめざされた慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和と民俗の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。」
霊宝殿拝観料700円です。
京都市右京区太秦蜂岡町32
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唐門
薬師堂
能楽堂
参道
講堂
「永万元年(1165)に再建された京洛最古の建物で、俗に赤堂という。」
太秦殿
上宮王院太子殿
手水舎
弁天社
旧霊宝殿
霊宝殿
国宝の弥勒菩薩半跏思惟像、十二神将十二軀、阿弥陀如来座像、不空覇索観音菩薩立像など展示しています。