旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

島原城

2016-09-10 22:37:45 | 長崎
2016年9月5日、行きました。九州旅行初日の最後の観光地です。4日夜に神戸から阪九フェリーで新門司港5日下船、大分県日田市の豆田町散策、福岡県うきは市の吉井の町並み散策、佐賀県の肥前浜宿散策、祐徳稲荷神社、そして島原城です。入館料540円、駐車料金320円です。
長崎県島原市城内1−1183−1
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「この城は森岳といい、有馬晴信が本陣を構えて佐賀・龍造寺隆信軍を撃破したところです。この瑞祥の地に、五条(奈良県)から入對した松倉重政が島原城を築きました。元和4年(1618)着工、4~7年の歳月を経て完成。同時に島原城下町も整備したといいます。層塔風総塗込の五層の天守閣を据える本丸、北へ二の丸と三の丸を配置して、要所を三層櫓で固め、外郭は4キロにわたって矢狭間をもつ練塀で取囲みました。4万石の大名には過分な城です。ここに有馬氏時代から海外貿易の利益と、松倉氏の新興大名としての意気込みが見られます。以来、松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・再び松平氏と4氏19代の居城として輝きました。その間、寛永14年(1637)島原の乱では一揆軍の猛攻をしのぎ、寛政4年(1792)島原大変時には打続く地震と足下を洗う大津波にも耐えてきました。明治維新で廃城になり、払下げ・解体されましたが、島原市民の夢である御城復元への取組みが長年続きました。昭和39年天守閣が復元するなど、次第に昔の面影も取戻しつつあります。島原の乱は、島原藩主松倉氏のキリシタン弾圧に対して天草四郎時貞率いる3万7千人のキリシタンが一揆を起こしたのは、寛永14年(1637)のこと。この原城で、農民たちの悲惨な最期によって一揆は終結を迎えました。本丸跡に立てられた十字架と、まだあどけない天草四郎の像が当時の苦表をしのばせています。かたわらには"母"の一字が残る四郎の墓や戦死した兵士を弔う骨かみ地蔵、そして点在するキリシタン墓碑などが、当時の信仰の強さと激しさを物語っています。」



由来書



































































































































































天守閣からの眺望



































お疲れ様でした。こりから雲仙温泉に向かいます。



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佐賀・祐徳稲荷神社

2016-09-10 21:17:45 | 佐賀
2016年9月5日、お参りしました。4日の夜阪九フェリーに乗船し、5日朝新門司港で下船。大分県日田市の豆田町の町並み、福岡県のうきは市の吉井の町並み、佐賀県の鹿島市の肥前浜宿の町並み散策の後、自動車で10分ほど南の祐徳稲荷神社に行きました。
祐徳稲荷神社は「別名鎮西日光と言われ、伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷の一つに数えられています。年間300万人の参詣者が訪れ、九州の神社では太宰府天満宮に次ぐ参拝客数です。衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されています。」
佐賀県鹿島市古枝乙1855
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「貞享4年(1687年)肥前鹿島藩主鍋島直朝公の夫人花山院萬子媛が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請された稲荷神社です。」
駐車場前の土産物





















鳥居













鳥居



案内図











手水舎

楼門





随神は佐賀県伝統工芸の有田焼で仕上げられています。








神池













岩崎社

神楽殿







本殿







































石壁社











命妻社
「稲荷大神の神令使である白狐の霊を、お祀りしている御社です。」

















錦波川





お疲れ様でした。
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佐賀・肥前浜宿(重伝地区)の町並み

2016-09-10 20:15:39 | 佐賀
2016年9月5日、4日の夜に阪九フェリーに乗船し、5日新門司に7時半着、台風12号を避けて大分の日田市の豆田町の町並み、福岡のうきは市の筑後吉井の町並みを散策し、再度、大分自動車道、長崎自動車道と西に進んで、佐賀県の肥前浜宿(重要伝統的建造物保存地区)に行きました。
途中の金立SAです。



佐賀県鹿島市浜町2696
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説明書より『浜町の町並みは多良往還筋と浜川に沿って広がっており、その骨格は、往還筋を主軸とする街路、河川、そこから引き込まれた水路を構成要素として成立しています。町並みの主軸をなす街路は、鹿島から多良へ向かう長崎街道脇往還で、浜新町・大村方・八宿・中町を通って、浜橋を渡り、継の手に折れて、南舟津・庄金に至ります。肥前浜宿は、浜川の河口につくられた在郷町で、室町時代には町として成立していたと考えられます。江戸時代は宿場町として栄え、明治以降も酒造業や水産加工業に支えられ、豊かな町並みがつくられました。人口も多く、江戸時代から「浜千軒」といわれ、藤津郡でも有数の町でした。400年ほどの前の慶長年間には、スペインのドミニコ会が備前で最初の教会を建てています。このような歴史を持つ町並みでは、今でも土蔵造りや茅葺町家が建ち並び、伝統的な景観を色濃く残しています。これらの伝統的建物は、江戸時代後期から昭和初期にかけての建物が中心ですが、茅葺町家から洋館まで、バラエティに富んでいます。また肥前浜宿は江戸時代からそれぞれの地区に異なった業種の人々が住み分けていた名残りで、今でも地区ごとに町の雰囲気が異なります。そのため海道(往還)沿いや周辺には、商家町、漁師町、下町、田町など変化に富んだ風景が広がります。』
JR肥前浜駅の南300mの東西400mくらいの通称酒蔵通りです。無料駐車場が通りの両端にあります。

町並み案内図

継場(登録有形文化財)
『旅人の荷物を運送(中継)する問屋で幕府が定めた人馬の料金が適用されました。この継場の建物は江戸時代の建物で入口には馬をつないだ鉄の輪が残り、帳場の跡や人足が控えていた部屋があります。継場前の旧往還は、近年「酒蔵通り」と呼ばれ、往時の面影を残しています。』



浜郵便局跡(八宿公民館)
「明治時代になると、政府によって郵便制度が敷かれました。浜郵便局の開局は明治18年(1885)で、藤津郡内では嬉野局に次いで2番目でした。現在公民館となっているこの建物は、昭和12年(1937)に造られ、昭和50年まで郵便局として使われました。なお、現在の地名「八宿」は、「八本木宿」(昔は八本木村と呼ばれていた)という地名が短くなったものです。』

山口宗昭家住宅(湯間口醤油屋)
「この住宅は、この通りでも古いものの一つで、19世紀中ごろにさかのぼる建物です。山口家は江戸時代は武士で、鹿島藩士の名簿(着到帳)にも記されています。内部は2階建てで、元武士の屋敷らしく格式が高い造りとなっています。周囲は古い街並みが連続して良好に残り、昔の面影を色濃く残しています。」























光武酒造(佐賀県遺産)
『光武酒造場は、通りのちょうど中間に位置しています。この通り一帯には、戦前まで十数軒の造り酒屋をはじめ、醤油屋、油家、魚市場など白壁土蔵の町家が並んでいました。現在、酒を醸造しているのは数軒だけです。しかし現在でも使われなくなった土蔵が多く残り、昔の酒蔵の繁栄の様子をしのばせていることから、通称「酒蔵通り」と呼ばれています。』









呉竹酒造蔵(登録有形文化財)
「昭和8年(1934)に建てられた呉竹酒造の母屋と土蔵は、当時の経済力を反映して、ケヤキ等の「各地名材」を使用し、共にこの通りでも最も大きいものです。」



魚市場













南舟津の町並み、茅葺町家が建ち並びます

浜橋より浜川の鷺



















天満宮





お疲れ様でした。
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福岡・うきは市筑後吉井(重伝地区)の町並み

2016-09-10 17:17:36 | 福岡
2016年9月5日、九州旅行の2か所目です。台風12号を避けて大分県日田市の豆田町の町並みを散策した後に大分自動車道で日田ICから杷木ICで走り、筑後吉井の町並みに行きます。
うきは市観光協会の隣の無料駐車場に自動車を止めて散策です。JR筑後吉井駅から北東約1Kmほどのところです。
福岡県うきは市吉井町1043−2
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説明書です。

うきは市観光協会です。本日休館でした。今日は月曜日・・・。パンフレットは手に入らず。



うきは市の中心部の筑後吉井地区について、説明書より『かつて吉井町は田畑に水がなく穀物の収穫も少なく農民の飢えを見兼ねた庄屋たちが久留米の有馬藩に筑後川から水を引き入れる工事の嘆願書を出しました。この嘆願書には「これらの工事に掛かる費用は私共、五人の庄屋が全部受け持ち決してお上にはご迷惑をかけませぬ」と書かれていました。寛文4年(1664)1月11日工事が始まり長野村(吉井町)の入り口には5人の「はりつけ台」が立てられ、これを見た人々は「庄屋どんを殺すな」とばかり老人、女、子供までがこの水路工事にかかり、寛文4年(1664)3月に人口の川(南新川)が完成しました。
 川の新設工事に成功によりこの地方が有馬藩有数の穀倉地帯となりました。南新川が田畑を潤すだけでなく唐臼、水車が造られ精米、製粉、酒造、製麺、櫨蝋、菜種油など工業、商業の豊かな町造りの基盤となりました。また寛文3年(1663)有馬藩下町久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の中心として吉井に宿駅が新設されました。吉井の宿場町は豊富な穀物を地主商人などが商品化、販売し莫大な富を蓄え、その後「分限者どん」の住居造りが始まりました。「吉井銀(よしいがね)」と呼ばれる有力商人の金融活動などにより繁栄しました。寛延元年(1748)、文化12年(1815)、明治2年(1869)に大火に見舞われ、草葺きの町屋にかわって瓦葺塗屋造が普及し、「分限者どん」たちは富を象徴する白壁土蔵の防火対策の住居を競って造りました。明治、大正と繁栄を見せた白壁土蔵造りの吉井の町並みも第2次世界大戦後の経済・社会の変動の中で失われて来ましたが、平成8年12月に福岡県で初めて(全国で44番目)国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け、修理修復が行われ保存されています。現在でも、豊後街道の街路沿いに漆喰塗の重厚な土蔵造りの商家跡が連続する町並みと、災除川と南新川沿いに広がる屋敷群が約250ほど、ほぼ当時の姿のまま残されており、本保存地区は、町屋や土蔵が連続する町並みと、豊かな緑に包まれた屋敷や社寺建築、さらに吉井の経済基盤を支えてきた河川や水路などが一体となって歴史的景観を形づくり、筑後地方の商業都市として、特色ある歴史的景観を今に伝えています。』
案内図、赤い点線が筑後吉井の重要伝統建築物群保存地区です。

















居蔵の館
「この建物は吉井町の重厚な町並みを形成した土蔵造りの中でも完成度の高い居蔵家のひとつです。明治初期の大火後、建築され軒先まで漆喰で塗り込まれ、また2階の窓は鉄製の扉によって覆われており外部から延焼しにくい構造になっています。精蝋業で財をなした大地主の分家で銀行経営に携わる当主一家の家でした。」





白壁通りへ

「現在この道路は国道210号線に通じる県道甘木・吉井線として利用され、通称「白壁通り」と呼ばれています。道路拡張で西側には古い建物は少ないですが、東側は海鼠壁で白壁土蔵造りの重厚な町並みが残っています。この白壁通りでは、おひなさまめぐりや小さな美術館めぐり、吉井祇園祭り、若宮おくんち、しらかべ楽市楽座など一年を通して多くの祭りやイベントの場所として賑いを見せています。」









































豊後街道(国道210号線)
「この豊後街道は筑後軌道が走り大正3年には、蒸気機関車になりました。その後、昭和3年に国鉄久大本線が開通するとレールが取り除かれ25年間の幕を閉じることになりました。」











































金子文夫資料館

お疲れ様でした。
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日田市・豆田町(重伝地区)の町並み

2016-09-10 17:15:11 | 大分
2016年9月5日、行きました。5日阪九フェリーで新門司に朝7時半着。台風12号が北九州を通過とのことで、当初予定のコースを変更して、南に走り、大分の日田市の豆田町を散策することにしました。九州エリア乗り放題プラン3日間6500円を事前に申し込みしていましたので、臨機応変で行き場所を適宜変更します。自家用車での旅行のいいところですね。まずは日田市観光案内所に立ち寄り、地図と駐車場などの情報を得てからの散策です。
日田市観光案内所
大分県日田市元町11-3
JR日田駅にあります。
無料の豆田北駐車場に車を止めて、散策です。
駐車場
日田市豆田町(重要伝統的建造物群保存地区)は、「大分県西部に位置し、近世初期に建設された城下町から商家町へと変遷しました。寛永16年(1639)に幕府の直轄地となってからは、日田御役所(日田陣屋)が置かれ、九州における政治・経済の中心地として発展した。当初は城下町にちなんで丸山町、ついで永山町と呼ばれていましたが、天領となった頃に豆田町に改称されました。南北2本の通りと東西5本の通りによる整然とした町割を残し、各時代で特色ある多様な建築様式は、変化に富んだ町並みを形成しています。近隣諸国や京都・大阪商人との取引で富を得た商人達が台頭し、代官所の公金を預かり、西国諸大名に貸し付ける掛屋として活躍する者も現れました。明和9年(1772)と明治13年(1880)に大火があり、火災を契機に茅葺の町家が居蔵造(瓦を葺いて木部を土で塗りごめる造り)へと変わっていきました。江戸期から大正期に建てられた居蔵造の町家を中心に、木部を見せる真壁造の町家、近代の洋館、醸造蔵、昭和初期の三階建家屋等が並び、町ごとに特徴ある歴史的景観を残しています。全国から5000人を超える入門者を集めた廣瀬淡窓が創設した近世日本最大規模の私塾後の咸宜園跡があります。」
無料駐車場

豆田町の説明書

赤の点線部分が豆田町です。









花月川



豆田みゆき通り

















嶋津屋(明治中期)

木下酒店(明治31年)



ハタノ時計店(明治21年)

北川靴店(明治22年)

アカシ文具店(明治25年)

wabi(明治10年)

赤司日田羊羹本店(明治21年)

そば店草八(明治15年)



市山懐古館



草野薬局(昭和9年)

豆田まちづくり歴史交流館



嘉永~天保年間建築の長屋





嘉永~天保年間建築の蔵



魚町(いおまち)



天領日田資料館



















豆田上町通り







廣瀬資料館(天保~慶応年間の建築)





天保年間建築の長屋







住吉町



大正3年建築の3階建て洋館













元禄期の建築





岩尾薬舗(登録有形文化財)







長福寺
「当寺は、天正12年(1584)に武内山城守によって開山されたと伝えられ、寛永14年(1637)に現在の地に遷った。寛文9年(1669)に建造された本堂は、江戸時代前期から後期に至る平面及び装飾の変遷過程がわかり、真宗寺院建築の様式や技法をよく残している。西本願寺旧本堂の西山別院と類似した建築様式をもった全国的にも貴重な建築物である。

山門

本堂(重要文化財)

鐘楼(安永6年(1777))

経蔵(享保20年(1735))

























お疲れ様でした。
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阪九フェリーでの九州への船旅

2016-09-10 17:14:21 | 福岡
2016年9月4日から9日までの阪九フェリーで愛車を乗せての九州旅行です。往きは4日神戸六甲アイランド港20時発、5日福岡の新門司港8時30分着、帰りは8日新門司18時40分発、9日神戸7時10分着です。台風12号が8日に長崎に接近し、北九州上陸し9日昼に北九州を通過いるとのことで、そして、8日の当日にしか、船が欠航か出航かが判らなくて、やきもきしながらの出発でした。4日の午前中に阪九フェリーから出航するが、到着の時刻は台風の進路と状況で判断するとのことでした。今回の旅行はヴイーナストラベルの「雲仙1泊と阪九フェリーでマイカー往復1等洋室プラン」で個人で宿泊を2泊追加しました。
乗船の1時間前に手続きとのことで、早目に港に着き、ターミナル1回の受付で車検証を持って手続きをし、チケットを受け取って出発です。台風の影響で、早く新門司港に入港するとのことでした。予定より1時間早い5日の7時半に着く予定とのこと。
「やまと」に妻はターミナル4階から船の5階へ、私は自動車で乗船、4階の車輌スペースから4階へ。妻が案内所で部屋のカギを受け取り、合流して6階の部屋に移動です。
室内です。ベッドが2つとソファー、テレビと洗面台です。浴衣と茶器セット、アメニティはタオル、使い捨てスリッパ、歯ブラシ、ヒゲソリ、石鹸ヘアブラシなどです。



通路

エントランスロビー、6階から

正面、エレベーター

レストラン



メニュー

カフェテリア方式で、好きな食べ物を取って、レジで清算です。





食事をしましたので、少しアテでビールを飲みました。

プロムナード

7階に展望浴屋、湯船は2つで1つは泡風呂でした。洗い場は8つほどなので、乗船すぐは混雑しているようです。乗船時から24時までと朝は7時から入港前まで利用できます。6階にはシャワールームが男女あり何時でも使えます。

売店

キッズコーナー

リラックスルーム

ゲームコーナー



景色、もう暗いですね。













明石大橋











淡路サービスエリアの観覧車

予定より1時間早くの入港です。6時過ぎです。
朝は、朝粥セット500円を食べました。

5日朝、新門司港ターミナルに着きました。少し雨が降っています。台風の影響です。


8日、新門司港のターミナル

帰りは「つくし」です。



8日、18時40分出航です。









9日5時20分、明石海峡大橋が見えてきました。







5月37分、明石海峡付近です。

エレベーターホール

まだ、うす暗いですね。





明石海峡大橋の下を通ります。















真下です。





























































神戸空港です。



































まもなく入港です。











お疲れ様でした。無事に神戸に着きました。


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