旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

聖ミカエル天主堂(馬込教会)

2016-09-11 20:30:22 | 長崎
2016年9月6日、お参りしました。5日に雲仙温泉の富貴屋に宿泊し、翌日6日に少し不便ですが、伊王島町まで足を伸ばしました。正式名称は、聖ミカエル天主堂ですが、「馬込教会」「馬込天主堂」「沖之島教会」「沖之島天主堂」「沖ノ島教会」「沖ノ島天主堂」「沖の島教会」「沖の島天主堂」という、9通りもの名称を持つ国登録有形文化財です。昭和6年(1931)に建立されたゴシック様式の天主堂です。最初の教会は明治23年(1890)に建てられましたが、台風や落雷などで被害を被り改修不可能となったため建て直されました。堂内は撮影禁止のため、外観のみ写しました。
青空に白亜の教会が浮いています。素敵ですね。
長崎県長崎市伊王島町617
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堂の前からの景色です。台風一過で、すごく天気が良いです。


































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雲仙温泉の町並み

2016-09-11 20:09:54 | 長崎
2016年9月5日、雲仙温泉の富貴屋旅館に泊まりました。朝6時前に目が覚めましたので、朝風呂に入る前に町並みを散策しました。
『掘削による汲み上げ方式ではなく、自然の力で自噴する雲仙の源泉は、古くから名湯としてその名を知られていました。かつてこの地は「温泉山」と書いて(うんぜんざん)と呼ばれていました。』
雲仙温泉散策マップ

「ハイカラさんの街」雲仙
雲仙温泉の歴史は古く、大宝元年(701)に名僧行基が満明寺を開創し、西の高野山として栄えたと伝えられる。
明治に入った頃より、雲仙には外国人が姿を見せるようになり、英・米・欧人など、陸路あるいは茂木より船を仕立て小浜へ上がり、屈強な4人の男が担ぐ「チェアカゴ」等で雲仙温泉をめざしました。
明治10年頃になると、夏季に訪れる外国人避暑客が増えてきて、雲仙では部屋を洋風に改築したり、新たに建てるホテルには洋間を、また小地獄には完全洋式のホテルが完成した。明治18年以降県道が整備され、茂木・網場より小浜に至る船便も開通した。
明治44年雲仙は県営公園となり、施設の充実が図られ、県温泉公園事務所が開所し治安から駐在所が設置され、特に夏期英語の堪能な巡査を配置し外国人避暑客の便宜を図るようになった。
さらに大正2年日本初のパブリックゴルフ場がオープンし、プール、テニスコートの開設、外国人避暑客の利用を目的とした雲仙娯楽館も開設され、英語やロシア語で書かれた外国人向けの観光パンフレットを作成し雲仙公園をアピールした。
やがてゴルフ場周辺には外国人ゴルファーの自動車があふれ、テニスコートでは鮮やかなボレーに拍手と歓声がわき、娯楽館では外国人の礼拝、ダンスパーティや映画会などの他、ピアノ、チェスなどの用具も取りそろえてあった。
当時外国人避暑客は30ケ国に及び、年間約3万人の盛況で、雲仙温泉は外国人が街中をかっぽし、夜はダンスパーティなど、洗練されたオシャレな異空間として「ハイカラさんの街」と呼ばれていました。

朝の6時前なので、まだ暗いですね。
旅館を出てすぐ横に温泉神社があります。

















雲仙地獄案内図、とりあえず時計周りに行きます。

硫黄の臭いがします。結構音もします。

一番左が温泉神社です。三差路です。





温泉と噴気の説明

八万地獄の説明書

噴気でレンズが曇ります。















キリシタン殉教碑
「キリシタンが厳しい弾圧を受けていたころ、幕府は改宗をせまる手段として温泉の熱湯をかけるというひどい仕打ちを行っていました。寛永7年(1627)からの7年間にこの地で殉教して行った者は33名といわれています。この地獄を見下ろす丘の上に建っている十字架は、今なお殉教の信徒をたたえています。」富貴屋の源泉は96℃ですから、やけどしますね。

修導士と神父が拷問を受けた。

十字架



殉教者の氏名が彫られていました。悲しいですね。合掌しお祈りしました。





お糸地獄







































邪見地獄











































タゴールの碑























満明寺本堂
「温泉山一乗院は大宝元年(701)行基菩薩開山の温泉山満明寺が島原の乱の兵火にて焼失した後、寛永17年(1640)島原城主高力摂津守忠房の命を受けて当地に復興された寺院である。江戸時代は島原藩主の祈願所として領内精神文化の源として世の尊崇をあつめる。明治2年(1869)神仏分離廃仏毀釈の法難により当時一乗院の末寺であった南串山の歓喜庵に本坊を移転、以来この地は一乗院の飛地境内となる。一乗院は雲仙飛地境の釈迦堂を新たな満明寺として独立を容認し釈迦大仏や寺領等を寄附し、仁和寺末寺南串山一乗院の法類寺院温泉山満明寺として活動し現在にいたる。」





















バス時刻表



お疲れ様でした。
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長崎・雲仙富貴屋

2016-09-11 20:09:19 | 温泉、旅館、ホテル
2016年9月5日泊まりました。九州旅行の1泊目です。今回の旅行は4日の夜に阪九フェリーに乗船し、5日の朝に新門司港着です。台風12号を避けて南へ移動し、大分県の日田の豆田町の町並み、高速大分道で西に向かって、福岡県のうきは市の吉井の町並み、さらに西へ進み、佐賀県の肥前浜宿、祐徳稲荷神社、そして島原城を観光し、こちらの旅館に着きました。阪九フェリーの自動車往復と雲仙の旅館1泊がセットでの個人パック旅行です。有明フェリーもセットされていましたが、乗り継ぎとの時間的な制約もあり、熊本に行かずに陸路で来ました。
温泉は酸性硫黄泉で、乳白色です。内風呂、露天風呂、サウナ風呂、薬草風呂は毎日変わります。もちろん3回入浴しました。
長崎県雲仙市小浜町雲仙320
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外観



部屋は10畳に広縁です。



おもてなし

窓からは雲仙地獄の湯けむりが見えます。

洗面台



廊下





エレベータ

フロント

土産物コーナー

夕食です。1階の会場食です。「湯けむり膳」総料理長は荒木幸男様です。

食前酒の梅酒、先付前菜のシーフードサラダ・島原半島地産の旬菜と海鮮、焼肴のサザエツボ焼・茄子鶏味噌焼・ハトシ



お造里

温物・雲仙活き活きポークと雲仙木ノ子鉄板焼き

吸物・蟹饅頭・順菜など

デザート・杏仁豆腐と季節の果物

ご馳走さまでした。生ビールを飲みながら堪能しました。
ラウンジ

奥が食事会場です。









客室係の方が折りヅルを置いていました。心を込めて折りましたとのメッセージ付きです。

朝食です。ハーフバイキング形式です。











庭園

素敵な旅館でした。朝7時から無料でのヘルスツーリズムとして自然と史跡をめぐるガイドウォークを行っています。時間の関係で参加せずに早朝6時前から町並みを散策しました。
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