旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

豊中・原田神社

2016-09-17 21:56:51 | 大阪
2016年9月13日、お参りしました。阪急岡町駅のすぐ東横です。
大阪府豊中市中桜塚1丁目2-18
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「原田神社の創建は、社伝によると奈良時代以前、天武天皇の時代にさかのぼるといわれています。室町時代には将軍足利家より社領として西牧六車庄の寄進をうけ、東は豊嶋郡榎坂村(現吹田市江坂)から、西は川辺郡富松村(現尼崎市富松)にわたる72か村の氏神として栄ました。その後天正6年(1578)には、荒木村重の兵火によって社殿や宝物類を焼失、慶安5年(1652)に再興されました。もとは祇園社とも牛頭天王社とも呼ばれていましたが、貞享5年(1688)に原田大明神の神号を得て現在の社名となりました。この本殿は棟札により慶安5年(1652)の建立が明らかで、五間流造の形式をもち、正面に千鳥破風および軒唐破風がみられ、屋根は檜皮葺であります。材料工法ともに上質の江戸時代前期の建築で、全国的にも類例の少ない五間流造の形式をもち、虹梁の配置や身舎とのつなぎ方、妻飾などに配した邪鬼など細部の形式意匠にも特色があり貴重な文化財であります。」



石鳥居(豊中市指定有形文化財)



手水舎

末社













御神庫



拝殿









本殿(重要文化財)



獅子神事(無形民俗文化財)の説明書



十ニ神社(豊中市指定有形文化財)





稲荷神社







神明社



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長岡天満宮

2016-09-17 20:28:00 | 京都
2016年9月13日、お参りしました。阪急長岡天神駅で下車、南側に線路沿いに歩き、右に曲がって信号まで進みます。駅から約500mのところです。
京都府長岡京市天神2-15-13
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大鳥居







水上橋



菅原道真(845年~903年)と長岡天満宮の由緒
『長岡天満宮周辺は、もともと菅原道真の所領でした。道真は当時、在原業平(平安時代前期六歌仙の一人)らと共に、この地でしばしば詩歌管弦を楽しんだと伝えられています。道真は、幼くして学問に優れ、その聡明さと政治的手腕から宇多天皇の信任を受けます。以降も政府の要職を歴任し、宇多天皇が法皇となったのち醍醐天皇のときに右大臣まで昇りつめました。しかし、時の権力者・藤原氏は、道真の出世を快く思っていませんでした。昌泰4年(901)、左大臣の藤原時平は、醍醐天皇に「道真が娘を斉世親王(宇多法皇の息子・醍醐天皇の弟)に嫁がせ、醍醐天皇を失脚させようとしている」と虚偽の報告をします。宇多法皇の政治的影響力を疎ましく感じていた醍醐天皇は、この讒言を聞き入れ、道真に九州・太宰府に左遷を命じます。無罪の罪により平安京を追われることとなった道真。道中、この地を訪れ、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と都を想ったそうです。(このことから長岡天満宮は「見返り天神」とも呼ばれています)。その後、道真は九州に向いますが、その時にお供したのが乙訓郡開田村(このあたりの旧地名)の中小路宗則らでした。道真は宗則らと別れる際、自身の姿を模した6センチ余りの木像を贈り、名残を惜しみます。左遷から2年後の延喜3年(903)、道真は配流先の大宰府で亡くなります。これを聞いた宗則らは、道真から贈られた木像を御神体として祀りました。これが長岡天満宮の始まりです。』

長岡京市の名所・観光史跡ご紹介

長岡京市案内マップ



八条ケ池の説明書
「寛永15年(1638)に当時の領主・八条宮が造るように命じた、灌漑用の溜め池です。」











鳥居



































手水舎



社務所

拝殿



御牛様



狛犬

















長岡稲荷社





山神社

本殿(京都府指定有形文化財)



白梅殿



和泉御社





笠松地蔵



















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向日市、南真経寺と向日神社

2016-09-17 18:09:51 | 京都
2016年9月13日、お参りしました。午後から大阪大学会館でニュースキャスターの岸井成格さんの講演がありましたので、それまでの時間を観光にと阪急電車1DAYパスで廻りました。
まずは、阪急西向日駅で下車し、向日神社に行きます。

向日市観光史跡案内図

途中に南真経寺がありましたので、お参りしました。
南真経寺
向日市鶏冠井町大極殿
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説明書
『鶏冠山(かいでざん)南真経寺(みなみしんきょうじ)、本尊は十界曼荼羅です。当寺の創建は、寺伝では鎌倉時代末の徳治2年(1307)とされています。御開山日像上人は、宗祖日蓮聖人の帝都に日蓮宗布教せよとの遺命を受け鎌倉時代末期に上洛されたが、他宗派の迫害をうけて、しばしば京都から追放され、これを三黜三赦(三度追放されその度に赦される)といい、徳治2年(1307)頃、乙訓郡山崎付近にとどまって布教活動を行っていました。当時、鶏冠井には真言寺という真言宗の寺院がありましたが、住僧実賢は日像上人の教化によって日蓮宗に改宗し、寺名も真経寺と改めました。(真言寺の真と、日像上人の幼名経一丸の経をとられた)真経寺は、関西における日蓮宗の最初の寺院となり、以降日像上人の布教活動の拠点となりました。現在向日神社参道前の左に日像上人が石の上に座して説法された説教石が祭られています。真経寺は、はじめは、一寺でありましたが、江戸時代の承応3年(1654)に、南北のニつに分かれ北真経寺は壇林(仏教の学問所)、南真経寺は鶏冠井村人の信仰の場となりました。法華経の信仰を現した当時の鶏冠井題目踊は京都府無形文化財として踊り継がれています。明治時代の初めころに整備された台帳には、山門正面にある開山堂が寛永11年(1634)に、本堂が正徳4年(1714)、鐘楼は元禄12年(1699)の建立と記されています。また「真経寺」の額は本阿弥光悦により書かれたものです。』



山門



開山堂(京都府指定文化財)









本堂(京都府指定文化財)



鐘楼



向日神社に進みます。





鳥居

歴史街道と向日市の説明書

向日神社説明
「奈良時代の養老2年(718)の創建と伝えられています。本殿は、応永29年(1422)に上棟された室町時代の代表的な三間社流造として同神社所有の紙本墨書11本日本書記神代紀下巻と共に、国の重要文化財に指定されています。」

参道

説明書
「向日丘陵南端部、乙訓地域を一望できる最良の地に鎮座する当社は、『延喜式』神明帳に記載された式内社で向神社と称されていました。『向日神社略記』によれば、後に乙訓坐火雷神社を併祭して現在に至っています。後世、向神社を上ノ社と呼び五穀豊穣の神、火雷神社を下ノ社と呼び祈雨・鎮火の神として朝廷の崇敬の特に篤い神社であったことは古書に数多く見られます。神社の創建は養老2年(718)に六人部が当地を賜ったことに始まるといわれています。棟札によれば、本殿は、応永25年(1418)より4年の歳月をかけて建造されたもので、造営は、向日市域内外の7ケ村の共同事業として行ったことを記しています。本殿の建物は、三間社流造で、創建年代のわかる室町時代の代表的な神社建築として重要文化財に指定されています。現社殿は、透塀を囲んで本殿覆屋があり、弊殿・拝殿と連結して権現造のような一連の建物を呈しています。明治神宮本殿は、当本殿をモデルとして建立したとも伝えられています。現本殿は、東面して建っていますが、江戸時代の『山州名跡志』等には、南面した姿が描かれています。本殿背後には、京都府下最古の前方後方墳・元稲荷古墳が所在しており、当神社の地が古くから乙訓地域を治める人々の聖域であったことが伺われます。当社の神官六人部氏は、平安時代以来の由緒を伝える家系で、特に幕末にでた六人部是香は有名です。是香は、平田篤胤に師事し、多数の書を著した国学者で、倒幕運動の一翼を担っていました。京の情勢を窺うに便利な地にあった六人部家には、坂本竜馬や中岡慎太郎も立ち寄ったといわれています。」

京都府向日市向日町北山63番地
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さざれ石



参道





勝山稲荷神社の鳥居





向日神社末社勝山稲荷神社拝殿(登録有形文化財)
「間口三間の入母屋造に向拝一間を付ける。」









手水舎(登録有形文化財)
「江戸後期建立、木造、瓦葺、面積4.0㎡、手水鉢・井戸付」



向日神社末社天満宮社本殿(登録有形文化財)
「天保4年(1833)建立、切妻造の本体前面に切妻造妻入の向拝を併設する独特の構えとなる。」

舞楽殿



拝殿(登録有形文化財)
「江戸時代の天保13年(1842)建立、桁行五間の拝殿は柱間が広く大規模で、正面に千鳥破風と向唐破風造の向拝を付す。」



狛犬



「拝殿向拝廻りの雲龍等の彫刻は特に濃密で目を引く。」













本殿(重要文化財)
「三間社流造の本殿を納める覆屋は方五間で、流造のような形態。」

瑞垣(登録有形文化財)
「瑞垣は瓦葺で腰下を竪板張、上部を菱格子とし、内側に石製の添柱を付す。」

南門(登録有形文化財)



御霊神社



向日神社末社御霊神社本殿(登録有形文化財)
「江戸中期建立、明治10年移築。木造平屋建、こけら葺、建築面積2.3㎡、覆屋付。一間社流見世棚造で、見世棚左右に板壁を張る。」







勝山身代不動尊







客殿(登録有形文化財)
「境内の南寄りに東面して建つ。T字形平面で屋根を入母屋造とする主体部の東正面に切妻の車寄を付ける。」





五社神社(登録有形文化財)
「江戸末期建立、桁行三間梁間一間、切妻造で、正面中央間のみ広めて虹梁を架ける。正面は腰下を板壁、内法を菱格子、上部土壁とする。」

渡廊と祖霊社(登録有形文化財)
「江戸末期の建立、本社拝殿と祖霊社本殿を南北に繋ぐ、長さ約10メートルの渡廊。向日神社末社祖霊社本殿は、江戸時代の元禄元年(1688)建立、もとは祈祷所として建立されたもので、桁行二間半梁間二間、入母屋造妻入である。天保期の境内整備以前に遡る遺構として貴重。」

隣接している桜の園





勝山公園



元稲荷古墳の説明書







日像上人が石の上に座して説法された説教石



五辻の常夜灯





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