旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

佐賀市、徴古館・松原神社・佐嘉神社・宗龍寺ほか

2016-09-13 21:30:21 | 佐賀
2016年9月7日、九州旅行3日目、佐賀城の後、時計周りに市内散策です。

徴古館(登録有形文化財)
「佐賀藩主・候爵鍋島家ゆかりの博物館として昭和2年開館。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りで、簡素ながら本格的な洋風意匠が特徴です。」
佐賀県佐賀市松原2丁目5-22















松原神社
「松原神社は、8代藩主鍋島治茂により藩祖鍋島直茂を祀るために創建された。隣接の佐嘉神社は10代藩主鍋島直正を祭神として創建され、のち11代直大も合祀。楠が繁り、鳥が憩う清冽な松原川の流れはニつの御社と一体的な空間を作り出す。」















佐嘉神社









松根社純忠の碑

松根社













有田焼の燈籠















松原神社







































荒神さん











恵比須社

















稲荷神社







河童社

















白磁の鳥居













オシャレなトイレです。



























ガス灯







宗龍寺
「曹洞宗の禅寺で、佐賀藩祖鍋島直茂公が佐賀城、城内の鬼門に建立し、城の守護神として崇拝した由緒ある名刹である。」



















さがレトロ館
「明治20年、佐賀県最初の県警本部として建てられたオシャレな建物でアーチ型の窓と高い天井は当時のままです。」











お疲れ様でした。
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佐賀市、佐賀城

2016-09-13 21:22:42 | 佐賀
2016年9月7日、九州旅行の3日目です。5日は大分日田市の豆田町並み、福岡のうきは市の吉井町並み、佐賀の鹿島市の肥前浜宿と祐徳稲荷神社、島原城、雲仙温泉宿泊、6日は1日長崎市内観光で稲佐山観光ホテルに宿泊し、佐賀市内観光です。
佐賀城の無料駐車場に車を止めて、少し歩きます。
佐賀市城内2-18-1
map
佐賀城
「佐賀城本丸歴史館は、天保期の佐賀城本丸御殿の遺構を保護しながら福元した施設で、木造建造物としては全国最大級の規模を誇ります。」
鯱の門(重要文化財)
「天保9年(1838)当時の姿をのこす。佐賀の乱(佐賀戦争)の銃弾跡も刻まれている。」









説明書





本丸歴史館、入館無料ですが、寄附を募っています。























































































































































北濠


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長崎・稲佐山観光ホテル

2016-09-13 00:24:01 | 温泉、旅館、ホテル
2016年9月6日泊まりました。4日夜阪九フエリーに乗船し、5日朝新門司港着で、大分県の日田市、福岡県のうきは市、佐賀県の鹿島市、長崎の島場にと観光し、雲仙温泉宿泊。6日は1日長崎市内観光をし当ホテルへ。
部屋タイプは、【曙館】 和洋室 オーシャンビュー(wayou32)、Wi-Fi接続無料!ベッドが2つと6畳間のオーシャンビュー和洋室。稲佐山中腹からの景色をお楽しみください。宿泊プランは、【九州ふっこう割】【涼旬いろどり会席】長崎の味覚を会席で楽しむ1泊2食付プラン【駐車場無料】です。お風呂は夜景を楽しめる大浴場露天風呂と本館1階の風呂があります。
長崎市内観光の後、夜景を楽しむためにこちらのホテルにしました。
長崎県 長崎市曙町40-23
map
外観

館内案内図

室内





おもてなし

景色



廊下







ロビー







売店





屋上からの景色です。稲佐山ロープウェイ











夕食です。もちろん生ビールを飲みながらの食事です。

先付、前菜

きのこと栗の炊き込み釜飯



吸物

造り、鯛・寒八・烏賊

甘鯛若若狭焼き、焼き栗、むかご串

蓋物、蓮根豆腐の海老餡かけ

和牛ステーキ、焼野菜

鯛きのこ包み揚げ、季節の野菜天ぷら

味噌汁と旬の魚の茶碗蒸し

デザート

食事を堪能し、再度、屋上に上がり夜景を見ます。























朝食です。バイキング形式でした。

ご馳走様でした。食後のコーヒーを飲んで、7日の観光で佐賀から別府に行きます。
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長崎市内観光その5、興福寺

2016-09-13 00:23:35 | 長崎
2016年9月6日、長崎市内観光です。正覚寺下駅より公会堂前まで電車で移動です。





興福寺
「国内最初の黄檗禅宗の唐寺でその由来は古く、中国・明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人が、1620年ごろ航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。この時代は、幕府のキリスト教禁令が厳しく、長崎居住の中国人もキリシタンの疑いがかかったため、仏教徒であることを証明するためにも、崇福寺、福済寺、聖福寺など、つぎつぎと唐寺が建てられたといわれています。日本最古の石橋の眼鏡橋を架設した第ニ代黙子如定、南画の祖と称される第三代の逸然、さらには明の高僧隠元隆琦禅師が住職として興福寺に滞在されたころは、大きな堂宇が建ち並び、全国から僧や善男善女が参集して禅の一大センターとなりました。」
山門(長崎県指定文化財)
『三間三戸八脚の入母屋造単層屋根、総朱丹塗りの豪壮雄大な門、上部の扁額「初登宝地」は隠元禅師の御書。』

















大雄宝殿(重要文化財)
「本堂になります。寛永9年(1632)第ニ代黙子如定禅師が建立。元禄2年再建。さらに明治16年再建し現在に至る。中国工匠による純粋の中国建築で、氷裂式組子の丸窓、アーチ型の黄檗天井など珍しい。桁行三間、梁間四間、一重もこし付、切妻造、本瓦葺。」











鐘鼓楼(長崎県有形文化財)
「寛文3年(1663)の市中大火のあとの元禄4年(1692)再建。2階建て上階は梵鐘を吊り太鼓を置き階下は禅堂とした。」







中島聖堂遺構大学門(長崎県有形文化財)
「儒者向井元升の流れをくむ聖堂。学舎の門で正徳元年(1711)に竣成。昭和34年保存のため興福寺に移築。」















三江会所門(長崎県有形文化財)
「江南・浙江・江西三省出身者が明治初期に設立した集会所。原爆で大破し門だけ遺存。豚よけの高い敷居が中国風。」









唐人さんの寝棺











媽祖堂(長崎県有形文化財)
『寛文10年(1670)の扁額「海天司福主」がある最古の建物。唐船に祀る守護神の媽祖小像を在泊中、安置した。』





旧唐人屋敷門(重要文化財)
「元禄2年(1689)に完成した広大な唐人屋敷に遺存した門を保存のため移築したねの。」





魚板









一覧橋と光永寺の説明書



中島川の鷺





お疲れ様でした。
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長崎市内観光その4、崇福寺

2016-09-13 00:23:04 | 長崎
2016年9月6日、長崎市内観光です。
石橋駅に戻ります。

電車に乗ります。蛍茶屋行きです。西浜町駅で正覚寺下駅に行きます。



崇福寺
「寛永6年(1629)長崎に在留していた福州人たちは、故郷の福州の僧超然を迎えて、寺を造りました。これが崇福寺の始まりです。建築の特徴は、明の末期から清の初期(17世紀)の南支建築様式をそのまま輸入したものでわが国では他に類例がありません。享保年間(18世紀初)唐僧の渡来が絶えましたが、それまで渡来して来た唐僧には書画に秀れた人が多く、寺にかけられている扁額や柱聯は、これら唐僧の墨跡です。」
三門(重要文化財)
「俗に竜宮門といわれています。嘉永2年(1849)棟梁大串五郎平が、中国人の指導を受けて造りました。桁行三間、梁間二間、二重門、入母屋造、本瓦葺、左右脇門付です。」





















第一峰門(国宝)
『唐門、赤門、海天門などともいいます。正保元年(1644)創建、元禄9年(1696)改築、寧波で切組み唐船で輸入して組立てた。軒下の複雑な斗栱と、即非禅師の扁額「第一峰」で有名です。四脚門、入母屋造、本瓦葺。』









大雄宝殿(国宝)
「本堂です。本尊は釈迦如来。正保3年(1646)創建、桁行五間、梁間四間、二重、入母屋造、本瓦葺。」









媽祖堂門(重要文化財)
「文政10年(1827)再建、媽祖堂に対する門と仏殿と方丈を連絡する廊下を兼ねている。菩薩門とも呼ばれ、三間三戸の三棟造の八脚門形式になる。前面は黄檗系の建物によくみられる輪垂木の化粧屋根裏とし、意匠的にもみるべきものがある。」



大釜(長崎市指定文化財)
「天保年間の飢饉のとき、住持千獃禅師が、書籍什物を売って施粥をしました。そのとき鍛冶屋町の鋳物師に注文して造ったものです。4石2斗を炊くと伝えています。」



鐘鼓楼(重要文化財)
「享保13年(1728)の再建。楼上に正保4年(1647)開創時の檀越たちの名を連ねた梵鐘がかかっています。」





媽祖堂(長崎県指定史跡)
「往時唐船主たちが海上安穏を祈願して海の神様媽祖を祀ったものです。」



方丈

開山堂



祠堂

魚板


















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長崎市内観光その3、大浦教会・大浦天主堂・旧香港上海銀行長崎支店・東山手十三番館

2016-09-13 00:21:22 | 長崎
2016年9月6日、九州旅行の2日目、長崎市内観光です。グラバー園の後、グラバー通りを下りての観光です。
大浦教会













大浦天主堂(国宝)
「幕末の開国にともなって造成された長崎居留地の中に、在留外国人のために建設した中世ヨーロッパ調の国内現存最古の教会堂です。聖堂内を飾るカテンドグラスには、約100年前のものもああります。」
拝観料600円













長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館(重要文化財)
「香港上海銀行は、明治25年長崎に支店を開設した。現在の社屋は下田菊太郎の設計によって明治三十七年に完成した。この支店は昭和六年に閉鎖された後、警察関係の庁舎として用いられ、その後、長崎市立歴史民俗資料館になった。建物は煉瓦造、三階建であるが、前面は石造とし、正面に特に意をもちい、一階部分をアーケードとして出入口を設け、2、3階部分を通してコリント式の円柱を建てた大オーダーとし、上に切妻破風をあげ、正面のデザインをこらしている。旧香港上海銀行長崎支店は、銀行建築として、重厚で端正な意匠になっており、長崎の海岸通りに建つ規模が大きい建物として欠かせない存在である。」











長崎市べっ甲工芸館(重要文化財)
「歴史と伝統に培われたべっ甲細工の技術と技能を保存するため、社団法人日本べっ甲教会から寄贈を受けた貴重な作品のうち約300点を展示、ビデオの上映や税関に関する資料等も展示している。」







蛍茶屋行き電車



領事館の小径

旧長崎英国領事館(重要文化財)
「安政5年日英修好通商条約が締結された後、長崎は開港場として自由貿易が開始され、英国領事館が開かれて外交事務が始められた。現在の領事館は、在上海英国政府建築課ウィリアム・コーワンの設計によって、明治40年に建設された。第二次世界大戦中にこの領事館は閉鎖され、昭和30年に長崎市が買収、現在は児童科学館として活用している。」本館は工事中でした。



オランダ坂に行きます。







湊会所跡





オランダ坂の説明書
『開国後も長崎の人々は東洋人以外を「オランダさん」と呼んでいた為、当時「オランダさんが通る坂」という意味で居留地にある坂はすべてオランダ坂と呼んでいたと考えられている。現在は主に活水学院下の坂、活水坂、誠孝院前の坂がオランダ坂と呼ばれている。』



東山手十三番館
「東山手オランダ坂の西側に占める敷地の南寄りに建つ。桁行14m梁間9.9m、寄棟造桟瓦葺の2階建で、南に寄棟造2階建の付属屋を突き出し、北に庇を設ける。外観は下見板張で、港側の西面にはベランダを設ける。港町長崎の主要な景観要素の一つである。」
喫茶室として休憩ができるようになっていました。暑いのでジュースと長崎カステラをいただきました。



























東山手洋風住宅群(長崎市指定有形文化財)
「この7棟の洋館群は、明治20年代後半に社宅または賃貸住宅としてまとめて建設されました。このように用途の住宅遺構が群として残存することは全国的に類がなくまた、東山手の景観上特異な存在であり貴重である。」

















孔子廟中国歴代博物館











日本キリスト教団長崎教会(登録重要建造物)

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長崎市内観光その2、グラバー園

2016-09-13 00:20:27 | 長崎
2016年9月6日、九州観光の2日目です。長崎市内で平和公園、中華街で昼食の後、築町駅から電車で移動です。
石橋駅からグラバー園に行きます。大浦天主堂下駅からも行けますが、登り坂となるので石橋駅から下っていきます。
旧居留地マップ

大浦川沿いのまち並み説明書

グラバースカイロードに行きます。こちらはエレベーターがありますので大変便利です。

もちろん無料です。地域にすまれている方が利用もしています。





景色です。











グラバー園マップ、第2ゲートから入場します。





旧三菱第2ドックハウス
「ドックハウスは修理のために船が造船所に入っている間、乗組員たちが宿泊した施設のことです。明治29年に造られた典型的な西洋風建築で、上下のベランダを8本の柱が支えています。ベランダからは長崎のすばらしい景色が眺められます。」

















































旧長崎高商表門衛所
「明治から昭和初期にかけて日本の経済分野の高等教育を担った官立高等商業学校(長崎高商)創立時の表門衛所を移築復元したものです。モダンな装飾の中に障子の間があり和洋折衷の造りになっています。」





旧ウォーカー住宅
「イギリス人実業家、ロバート・ネール・ウォーカーの次男が暮らしていたこの家は、明治中期、大浦天主堂のすぐ隣に建てられていました。屋根から突き出した日本風の庇など、細部に日本趣味が反映されています。」





旧長崎地方裁判所長官舎
「明治16年、長崎市の上町に建てられた長崎地方裁判所長の官舎。居留地の外側に建てられた洋風の官庁建築として長崎で唯一残る貴重な建物です。内部は日本人の設計によるもので、板張りの洋間と畳敷きの居間があります。」



水道創設当時の共用栓

旧自由亭
「江戸時代の終わりごろ、日本人シェフによる初めての西洋料理店として伊良林の神社前にオープン。創立者の草野丈吉は出島のオランダ人のもとで修業し、大いに料理の腕を上げたといわれています。」









三浦環の像

旧リンガー住宅(重要文化財)
「明治初期に建てられた三方をベランダで囲まれたバンガロー風の建物。ベランダの床石には、ウラジオストクから運んだ御影石、ベランダの屋根を支える角柱には天草の石を使用。木と石が調和した珍しい木骨石造です。」







旧オルト住宅(重要文化財)
「長崎の残る石造りの洋風建築の中で最も大きいものが旧オルト住宅です。大浦天主堂、旧グラバー住宅を手掛けた小山秀によって施行。港に向かって突き出た切妻屋根のポーチ、廣井ベランダを支える天草石の列柱が見事に華麗な建物です。」













旧スチイル記念学校
「明治20年、東山手の丘に建てられたミッション系の学校。居留地時代には作られた典型的な木造洋風建築です。3階は鐘楼になっており、平屋建ての建物の多いグラバー園の中でも一際高い建物です。」











旧グラバー住宅(世界遺産・重要文化財)
「幕末期、1863年に建てられた、現存する日本最古の木造洋風建築。正面玄関を設けないクローバー形の建築は、南国のバンガローをイメージさせます。2015年7月8日明治日本の産業革命遺産の1つとして世界遺産登録されました。」

























































トーマス・ブレーク・グラバーの像









園を出ます。

土産物店




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長崎市内観光その1、平和公園・中華街

2016-09-13 00:17:27 | 長崎
2016年9月6日長崎市内観光です。4日から9日、九州3泊と船泊2日の旅行です。5日は大分の日田、福岡のうきは、佐賀の鹿島、長崎の島原と観光し雲仙に宿泊しました。台風12号も過ぎ去って、好天です。むしろ暑いくらいですね。雲仙から少しはなれていますが馬込教会に最初に行き、今日1日市内観光をします。まずは、松山町駐車場に車を止めて電車で移動します。駐車場管理事務所で500円で何回も乗れる「電車1日乗車券」を購入しました。電車は1回乗車は120円なので5回以上の乗車すれば得ですね。長崎のパンフレットはインターネットで事前に観光協会に申し込み郵送していただきました。
1日乗車券

松山町駅

平和公園案内図



平和公園、エスカレーターが設置されています。

















長崎の鐘、原爆殉難の碑

平和記念像
「世界平和への願いを込めて長崎出身の彫刻家北村西望が製作、小高い丘に建つ平和記念像は、軽く瞼を閉じ原爆犠牲者の冥福を祈り、悲惨な戦争を二度と繰り返さないように天を指した右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和への想いを表わしています。」
核兵器はなくさないといけないですね。オバマ大統領が2009年のプラハでの演説で「核兵器のない世界」の実現を訴えましたが、核抑止力は国同士でのけん制はあるのかも判りませんが、国家ではないテロリストには効果はないのでしょうね。だから、オバマ大統領は2001年の9.11同時多発テロを機に、もしもテロリストに核兵器が渡れば都市が壊滅すると危惧したのではないでしょうか。核保有国は真剣に検討し、完全に核兵器を廃止してもらいたいですね。

折鶴の塔

浦上天主堂、時間の関係でお参りはしませんでした。
「東洋一の大聖堂はレンガ造りで大正14年正面双塔にフランス製のアンジェラスの鐘を備え完成。明治維新後、弾圧に耐え続けようやく信仰の自由を得た浦上のキリスト教信者たちが建てた天主堂です。ロマネスク様式の大聖堂で30年の年月をかけて築かれましたが、原爆で建物は破壊され、鐘も鐘楼とともに崩れ落ちました。現在の建物は昭和34年に再建され、昭和55年に往時の姿に復元、原爆の爆風に耐えた一方の鐘が今も時を告げています。」

長崎刑務所浦上刑務支所跡案内



平和の泉

松山町駅に戻ります。



松山駅です。正覚寺下行きの電車がきました。この駅では蛍茶屋行きと2系統があります。それぞれ8分毎に運行していますので、とっても便利ですね。

八千代町駅です。

バスも運行しています、そして1日乗車券があります。事前に調べましたが、電車のパンフレットは色分けしてどこからどこへと運行しているのが一目で判るのですが、バスは系統図がありませんでした。観光客には不案内の路線図です。ということで、バスは選択しからはずれました。

八千代町で「日本26聖人殉教の地」と本蓮寺に行こうと下車しましたが、昼前なので、中華街に移動することにし、正覚寺下行きで築町駅へ。

築町駅



長崎新地中華街です。
「日本三大中華街の一つ、あわせて約250mの十字路で、東西南北の入り口に中華門が立ち、通りには中華料理店等が軒を連ねています。東門に青龍、西門に白虎、南門に朱雀、北門に玄武と中国伝説上の動物があしらわれています。」
中学校の修学旅行生で一杯でした。























































くるりと一周してもとにもどり「西湖」で長崎ちゃんぽんを食べました。あっさりした味です。妻は揚げそばを食べました。同じ具材でとろみをつけたものを麺にかけていました。

お腹も満たしたので、築町駅から石橋駅に行きます。黄色の電車です。

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