2015年11月3日、粉河寺(こかわでら)にお参りしました。根来寺から約10km東の位置です。
「奈良時代末 宝亀元年(770)の開創。草創時この方、粉河寺は多くの人達の信仰をうけて繁栄し、鎌倉時代には七堂伽藍、550ヶ坊、東西南北各々四キロ余の広大な境内地と寺領四万余石を有していましたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の兵乱に遭遇し、偉容を誇った堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失しました。その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期に現存の諸堂が完成しました。」
和歌山県紀の川市粉河2787
map
上淡路街道の橋を渡ったところの駐車場に車を止めてお参りします。
大門(重要文化財)
「宝永4年(1707年)建立で、本瓦葺きの楼門です。」
説明書
「大門は桁行12.48m、梁間7.48m、平面積93.38㎡を有する規模の大きな楼門です。」
長屋橋
不動堂、大門をくぐって左手です。
「弘法大師爪刻不動尊を安置する。」
境内案内図
子育地蔵
本坊
童男堂(和歌山県指定文化財)
「延宝7年(1679年)の建立とされ、千手千眼観世音が姿を変えたといわれる童男大士を本尊として祀っています。」
石畳の参道です。天気がいいですね。
石碑
仏足石
出現池
「童男大士が柳の枝を手に白馬に乗って、この池より出現したと伝えられている。」
石碑
念仏堂
阿弥陀如来座像(紀の川市指定文化財)
参道
太子堂
石碑
歌碑
盥漱盤(紀の川市指定文化財)
身代わり地蔵尊
中門(重要文化財)
「本瓦葺きの楼門で、左右の間に四天王像を安置しています。天保3年(1832年)に建立。」
牧水歌碑
庭園(国指定の名勝)
「中門から本堂へ行くところの石組の庭です。」
千手堂(重要文化財)
「本堂の左手に建つ宝形造の小堂です。宝暦10年(1760年)建立。」
地蔵堂
丈六堂
「文化3年(1806)の再建で、丈六(一丈六尺の略)の阿弥陀如来を安置しています。」
供養塔
本堂
「江戸時代中期の欅材による代表的建築で西国三十三ヶ所の中で最大の建物です。享保5年(1720)に再建されました。」
六角堂
湯浅桜
クスノキ(紀の川市指定自然保存木)
鐘楼
薬師堂
法華塔
行者堂
「奈良時代末 宝亀元年(770)の開創。草創時この方、粉河寺は多くの人達の信仰をうけて繁栄し、鎌倉時代には七堂伽藍、550ヶ坊、東西南北各々四キロ余の広大な境内地と寺領四万余石を有していましたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の兵乱に遭遇し、偉容を誇った堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失しました。その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期に現存の諸堂が完成しました。」
和歌山県紀の川市粉河2787
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上淡路街道の橋を渡ったところの駐車場に車を止めてお参りします。
大門(重要文化財)
「宝永4年(1707年)建立で、本瓦葺きの楼門です。」
説明書
「大門は桁行12.48m、梁間7.48m、平面積93.38㎡を有する規模の大きな楼門です。」
長屋橋
不動堂、大門をくぐって左手です。
「弘法大師爪刻不動尊を安置する。」
境内案内図
子育地蔵
本坊
童男堂(和歌山県指定文化財)
「延宝7年(1679年)の建立とされ、千手千眼観世音が姿を変えたといわれる童男大士を本尊として祀っています。」
石畳の参道です。天気がいいですね。
石碑
仏足石
出現池
「童男大士が柳の枝を手に白馬に乗って、この池より出現したと伝えられている。」
石碑
念仏堂
阿弥陀如来座像(紀の川市指定文化財)
参道
太子堂
石碑
歌碑
盥漱盤(紀の川市指定文化財)
身代わり地蔵尊
中門(重要文化財)
「本瓦葺きの楼門で、左右の間に四天王像を安置しています。天保3年(1832年)に建立。」
牧水歌碑
庭園(国指定の名勝)
「中門から本堂へ行くところの石組の庭です。」
千手堂(重要文化財)
「本堂の左手に建つ宝形造の小堂です。宝暦10年(1760年)建立。」
地蔵堂
丈六堂
「文化3年(1806)の再建で、丈六(一丈六尺の略)の阿弥陀如来を安置しています。」
供養塔
本堂
「江戸時代中期の欅材による代表的建築で西国三十三ヶ所の中で最大の建物です。享保5年(1720)に再建されました。」
六角堂
湯浅桜
クスノキ(紀の川市指定自然保存木)
鐘楼
薬師堂
法華塔
行者堂
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