2018年3月20日、和歌山観光で世界遺産めぐりです。熊野本宮大社、熊野速玉神社、そして補陀洛山寺、那智大滝、熊野那智大社、青岸渡寺にお参りしました。雨が降って残念でした。
補陀洛山寺
世界遺産の説明書
『那智大滝を下ること約6㎞、二本の参詣道が合流する海岸近くに位置し、青岸渡寺と同様に開基伝承を持つ寺院で、小舟に乗って南方洋上の観音浄土・補陀洛山を目指す僧侶により、9世紀から18世紀までの間に二十数回の「補陀洛渡海」が試みられた場所である。熊野那智大社の主祭神の本地仏である千手観音を本尊とし、また、古来熊野三所権現を祀る「浜の宮」と隣接するもので、神仏習合の信仰形態を示している。』
説明書より「宗派は比叡山延暦寺を総本山とする天台宗山門派。沿革は補陀洛渡海で全国に知られる当寺は、仁徳帝(313~399)の御代に印度より渡来の裸形上人により開かれたと伝えられ、那智本願の一寺として隆盛をきわめた。ご本尊の三貌十一面千手千眼観世音菩薩は、平安後期の作と伝えられ、御丈1メートル90センチの立像で、国の重要文化財の指定を受けている。補陀洛渡海は、那智の浜から生きたまま船に乗せ、観音の浄土、すなわち補陀洛山に往生しようとする宗教儀礼で、当寺から多くの行者が渡海した。江戸時代まで那智七本願の一角として大伽藍を有していたが、文化5年(1808年)の台風により主要な堂塔は全て滅失した。その後長らく仮本堂であったが、1990年に現在ある室町様式の高床式四方流宝形型の本堂が再建された。」
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮348
map
本堂
熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)
「神仏習合の形態が今に残り、本殿のすぐ前で参拝ができる数少ない神社である。」
那智大滝(名勝)
2度目の訪問ですが、今回も雨でした。
滝の前の売店
那智大滝(史跡名勝天然記念物)
「那智山中に源を発する那智川の中流にあって、石英斑岩から成る断崖にかかる。落ち口の幅13メートル、ほとんど垂直の崖壁に沿って落下し、滝壺までの落差は133メートルである。熊野那智大社の神域にあり、飛滝大権現の神体としてあがめられている。国宝那智滝図、重要文化財一遍上人絵伝・熊野曼荼羅その他の宗教美術にみられるように、古くからわが国の文化との関係の深い名瀑である。周辺は天然記念物那智原始林に包まれ、また熊野灘からも直接これを望見できる。那智山中にはこの大滝をはじめとして48滝と呼ばれる大小多数の滝がある。次の称名滝に次ぐ巨瀑である。」
熊野那智大社(世界遺産)
『那智山の中腹、標高約500mの地点にあり、遠く太平洋上からも見ることができる那智大滝に対する原始の自然崇拝を祭祀の起源とする神社である。熊野三山の一つとして、主として熊野十二所権現を祀るほか、那智大滝を神格化した「飛瀧権現」を併せて祀っている。熊野那智大社社殿は、1853年に再建されたものである。しかし、1299年に描かれた絵画によると、谷を挟んで那智大滝を拝することができるように配置された形式はほとんど変わっていないことが明らかである。当初、神殿は信仰の起源をなした那智大滝の下にあり、古代に現社地に遷座して以来行われている「那智の火祭」は、滝を表す高さ6mの細長い神輿を大松明の炎で浄めるもので、和歌山県の無形民俗文化財に指定されている。』
工事中でした。
那智の樟(和歌山県指定文化財)
那智山青岸渡寺(せいがんとじ)本堂(重要文化財)
「桃山時代の天正18年(1590)建立、桁行九間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺。」
境内(世界遺産)
『青岸渡寺の創立は、5世紀前半にインドから熊野に漂着した僧が那智大滝で観音菩薩を感得したことに始まり、その後、784年まで宮都があった大和国から僧が来訪し、如意輪観音像を彫刻し本尊としたと伝えられる。熊野那智大社に隣接し、1868年の神仏分離令以前は、那智の「如意輪堂」として熊野那智大社と一体の寺院として発展してきたもので、神仏習合の形態を良く保っている。青岸渡寺本堂は、日本を武力統一した大名が1590年に再建した素木造の壮大な建築で、本尊・如意輪観音が出現したと伝えられる那智大滝を拝する向きに建てられている。この堂は、1161年に成立した「西国三十三ヵ所観音巡礼」(西国巡礼)の第一番霊場となっており、内部には多数の参詣者が礼拝するための広い空間が設けられている。西国巡礼は、観音菩薩が三十三の姿に変化して人々の願いを聞き届けることに因み、霊験あらたかとされる三十三の観音霊場を巡礼するもので、奥駈に引き続く修験道の修行の一環として行われたものである。民衆が西国巡礼に参加するようになる15世紀以後は青岸渡寺への巡礼者が増加し、17世紀以後になると全国から多くの巡礼者が訪れるようになった。』
仁王門
本堂
三重塔と那智の滝
宝篋印塔(重要文化財)
「鎌倉後期の元享2年(1322)築造、総高が4.3mの大型の石塔で、尼僧が願主となって造立した旨の銘文が刻まれており、美術的にも優れた石造構造物として貴重である。」
鐘楼
那智大黒天堂
阿弥陀堂
写経蔵
三重塔
宿坊尊勝院(和歌山県指定文化財・史跡)
補陀洛山寺
世界遺産の説明書
『那智大滝を下ること約6㎞、二本の参詣道が合流する海岸近くに位置し、青岸渡寺と同様に開基伝承を持つ寺院で、小舟に乗って南方洋上の観音浄土・補陀洛山を目指す僧侶により、9世紀から18世紀までの間に二十数回の「補陀洛渡海」が試みられた場所である。熊野那智大社の主祭神の本地仏である千手観音を本尊とし、また、古来熊野三所権現を祀る「浜の宮」と隣接するもので、神仏習合の信仰形態を示している。』
説明書より「宗派は比叡山延暦寺を総本山とする天台宗山門派。沿革は補陀洛渡海で全国に知られる当寺は、仁徳帝(313~399)の御代に印度より渡来の裸形上人により開かれたと伝えられ、那智本願の一寺として隆盛をきわめた。ご本尊の三貌十一面千手千眼観世音菩薩は、平安後期の作と伝えられ、御丈1メートル90センチの立像で、国の重要文化財の指定を受けている。補陀洛渡海は、那智の浜から生きたまま船に乗せ、観音の浄土、すなわち補陀洛山に往生しようとする宗教儀礼で、当寺から多くの行者が渡海した。江戸時代まで那智七本願の一角として大伽藍を有していたが、文化5年(1808年)の台風により主要な堂塔は全て滅失した。その後長らく仮本堂であったが、1990年に現在ある室町様式の高床式四方流宝形型の本堂が再建された。」
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮348
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本堂
熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)
「神仏習合の形態が今に残り、本殿のすぐ前で参拝ができる数少ない神社である。」
那智大滝(名勝)
2度目の訪問ですが、今回も雨でした。
滝の前の売店
那智大滝(史跡名勝天然記念物)
「那智山中に源を発する那智川の中流にあって、石英斑岩から成る断崖にかかる。落ち口の幅13メートル、ほとんど垂直の崖壁に沿って落下し、滝壺までの落差は133メートルである。熊野那智大社の神域にあり、飛滝大権現の神体としてあがめられている。国宝那智滝図、重要文化財一遍上人絵伝・熊野曼荼羅その他の宗教美術にみられるように、古くからわが国の文化との関係の深い名瀑である。周辺は天然記念物那智原始林に包まれ、また熊野灘からも直接これを望見できる。那智山中にはこの大滝をはじめとして48滝と呼ばれる大小多数の滝がある。次の称名滝に次ぐ巨瀑である。」
熊野那智大社(世界遺産)
『那智山の中腹、標高約500mの地点にあり、遠く太平洋上からも見ることができる那智大滝に対する原始の自然崇拝を祭祀の起源とする神社である。熊野三山の一つとして、主として熊野十二所権現を祀るほか、那智大滝を神格化した「飛瀧権現」を併せて祀っている。熊野那智大社社殿は、1853年に再建されたものである。しかし、1299年に描かれた絵画によると、谷を挟んで那智大滝を拝することができるように配置された形式はほとんど変わっていないことが明らかである。当初、神殿は信仰の起源をなした那智大滝の下にあり、古代に現社地に遷座して以来行われている「那智の火祭」は、滝を表す高さ6mの細長い神輿を大松明の炎で浄めるもので、和歌山県の無形民俗文化財に指定されている。』
工事中でした。
那智の樟(和歌山県指定文化財)
那智山青岸渡寺(せいがんとじ)本堂(重要文化財)
「桃山時代の天正18年(1590)建立、桁行九間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺。」
境内(世界遺産)
『青岸渡寺の創立は、5世紀前半にインドから熊野に漂着した僧が那智大滝で観音菩薩を感得したことに始まり、その後、784年まで宮都があった大和国から僧が来訪し、如意輪観音像を彫刻し本尊としたと伝えられる。熊野那智大社に隣接し、1868年の神仏分離令以前は、那智の「如意輪堂」として熊野那智大社と一体の寺院として発展してきたもので、神仏習合の形態を良く保っている。青岸渡寺本堂は、日本を武力統一した大名が1590年に再建した素木造の壮大な建築で、本尊・如意輪観音が出現したと伝えられる那智大滝を拝する向きに建てられている。この堂は、1161年に成立した「西国三十三ヵ所観音巡礼」(西国巡礼)の第一番霊場となっており、内部には多数の参詣者が礼拝するための広い空間が設けられている。西国巡礼は、観音菩薩が三十三の姿に変化して人々の願いを聞き届けることに因み、霊験あらたかとされる三十三の観音霊場を巡礼するもので、奥駈に引き続く修験道の修行の一環として行われたものである。民衆が西国巡礼に参加するようになる15世紀以後は青岸渡寺への巡礼者が増加し、17世紀以後になると全国から多くの巡礼者が訪れるようになった。』
仁王門
本堂
三重塔と那智の滝
宝篋印塔(重要文化財)
「鎌倉後期の元享2年(1322)築造、総高が4.3mの大型の石塔で、尼僧が願主となって造立した旨の銘文が刻まれており、美術的にも優れた石造構造物として貴重である。」
鐘楼
那智大黒天堂
阿弥陀堂
写経蔵
三重塔
宿坊尊勝院(和歌山県指定文化財・史跡)
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