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旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

福知山城・明覚寺

2019-04-25 20:47:36 | 京都
2019年4月23日行きました。
福祉山駅前の駐車場に自動車を止めての散策です。1時間無料です。福知山城に徒歩で行き、北側に進みました。
JR福知山駅

市内案内図



佐藤太清記念美術館









福知山城
説明書より「福知山城は、天正年間、明智光秀の縄張りと伝えられ慶長年間にいたり近世城郭として完成されました。明治の廃城後わずかに残された本丸に多くの皆様の協力により大天守閣続櫓小天守閣が再建されました。城郭研究の権威 東京工業大学名誉教授 藤岡通夫工学博士の復元設計による二重櫓に入母屋の大屋根をかけその上に小望楼をのせた姿は初期天守閣の様式をよく表しています。鉄筋コンクリート造三層四階建。」
京都府福知山市内記2−13
map

登城道















説明書

天守閣















































銅門番所
「この建物は福知山城の銅門の脇にあった番所で城内の建築物として当時の面影をしのばせるものです。大正時代のはじめに天守台に移築され更に昭和59年天守再建に伴いこの場所に移築されたものです。」







福知山城天守閣復元鯱瓦
「高さ150cm、基部たて80cm、よこ45cm、この鯱瓦は福知山市と旧大江町との合併を記念して、「日本鬼師の会」が福知山城の天守閣の鯱瓦を原寸大復元したものです。同会は平成3年に伝統的鬼瓦の保存と技術の継承を目的として設立されました。会員は国内各地110余名からなる鬼瓦製作集団です。平成18年9月2日から30日間にわたり、福知山市大江町にある「大江山鬼瓦工房」に、のべ91名の鬼師が参集し、土と格闘し互いに技術の交流をはかりながら完成した作品です。」

豊磐井
『本丸に残る「豊磐井」と呼ばれています。これは福知山藩主朽木氏初代稙昌の父である稙綱の神号「豊磐稙綱彦命」に因んだものです。井戸の深さは50メートル(城郭本丸内の井戸としては日本一の深さ)海抜は約43メートルですので、井戸底は由良川の河床よりも深く、海面下7メートルに達しています。この井戸が掘られたのは朽木時代になってからと思われますが、当時の井戸堀り技術の高さを記しています。』



朝暉神社
「福知山城主基朽木氏は近江源氏近江国守護佐々木信綱の孫義綱を始祖とし代々同国朽木谷に住す。朽木氏第13代元綱の第3子稙綱徳川三代将軍に側近して若年寄に列し幕閣及び幕藩の制度の確立に功績抜群たり累進して常陸土浦三万石の城主となる。稙昌入城の後、父稙綱を藩祖と仰ぎ、その尊霊を城中に祀り治政の全きを祈念する。」









明覚寺
「江戸時代のはじめごろ、福知山の城下町が整備されたとき、市内の各地にあった寺院が城下町の北側に集められました。明覚寺は下六人部長田村にあったもので、城下町の外縁に配置された寺院の一つです。明覚寺は規模も大きく、門、本堂をはじめ庫裏や鐘楼など諸堂もそろい、まとまった景観を示しています。山門は福知山城の城門を移築したもので、比較的細い部材で構成される軽快な門であり、高麗門の形式はほとんど当初のままで、福知山市の指定文化財になっています。明治維新の直後、福知山城の建物はほとんど破却されましたが、城門のいくつかが、市内に移築され、かつての城下をしのぶ遺構となっています。明治29年(1896)の大洪水では、裏の堤防が決壊、本堂以下、大損害を受け、同31年に本堂は再建されました。」















新町商店街



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