2022年12月11日、お参りしました。高野山真言宗の寺院で、山号を神谷山と号す。播磨八薬師霊場第六番
説明書より「大化年中(645年から649年)法道仙人の開基と伝えられています。現本堂は1620年(元和6年)の再建です。1601年(慶長6年)、領主池田輝政から境内高27石の寄進を受け、徳川三代将軍家光の時に改めて27石の御朱印寺となっている。中世以前の最盛期には堂塔院坊が50有余もある天台宗の大寺院であったと伝わるが、依藤城の戦い等度々の兵火に遭い次第に減少し、江戸初期頃には高野山寶城院末の古義真言宗の寺院となった。」
兵庫県加東市栄枝72
map
仁王門
塔頭・金蔵院
太鼓橋
手水舎
石灯籠
本堂(加東市指定文化財)
説明書より「桁行、梁間ともに五間で一重宝形造の本瓦葺、正面一間向拝付。外陣は側一間通りを化粧屋根裏とし中央部は虹梁を架け鏡天井としている。内陣は正面に唐様の須弥壇を置き江戸時代造立の薬師三尊立像を安置している。当本堂は各所に後補が見られるが、平面や堂の内、外陣の雰囲気など典型的な密教寺院の形式を備えていまる。」
蔵
不動堂
説明書より「大化年中(645年から649年)法道仙人の開基と伝えられています。現本堂は1620年(元和6年)の再建です。1601年(慶長6年)、領主池田輝政から境内高27石の寄進を受け、徳川三代将軍家光の時に改めて27石の御朱印寺となっている。中世以前の最盛期には堂塔院坊が50有余もある天台宗の大寺院であったと伝わるが、依藤城の戦い等度々の兵火に遭い次第に減少し、江戸初期頃には高野山寶城院末の古義真言宗の寺院となった。」
兵庫県加東市栄枝72
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仁王門
塔頭・金蔵院
太鼓橋
手水舎
石灯籠
本堂(加東市指定文化財)
説明書より「桁行、梁間ともに五間で一重宝形造の本瓦葺、正面一間向拝付。外陣は側一間通りを化粧屋根裏とし中央部は虹梁を架け鏡天井としている。内陣は正面に唐様の須弥壇を置き江戸時代造立の薬師三尊立像を安置している。当本堂は各所に後補が見られるが、平面や堂の内、外陣の雰囲気など典型的な密教寺院の形式を備えていまる。」
蔵
不動堂
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