2015年2月15日、お参りしました。あいにくの雨でした。数日前は雪が降ったようです。
パンフレットより『推古天皇の御代に、聖徳太子の御願により百済人のために創建された古刹で開創当時の御本尊は、太子御自作の「植木の観音」であったと伝えれらる。又、御堂は百済国の梵閣「龍雲寺」を模して建てられ、開闢に当たっては高句麗の僧、恵慈を咒願とし、その後の供養には、百済の僧に任ぜられました。その後、時代は移り、平安京に都が奐められ、「湖東の小叡山」と称せられたほど壮大な寺院となった。明応7年、自火により本堂附近の建物を焼失し文亀3年には、戦乱による災厄に遭い、荘厳な古建築物の多くを焼失し、天正元年信長の焼討により更に衰微し、慶安3年、本堂・仁王門・山門等が竣工した。これが現在の建築物である。』
入山料は500円です。
滋賀県東近江市百済町323
map
説明書
百済寺三百坊跡図
表門
本坊
菩提樹
不動堂
参道
雪が結構残っています。
十三重の塔
仁王門、3mの大草鞋が飾っていました。
さらに参道
弁財堂
観音杉、山内最大の杉で推定樹齢430年
手水舎
五輪塔
本堂(重要文化財)
一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられています。内部に外陣と内陣とに引違格子戸を用い、内陣の厨子には、秘仏本尊の2.6mもある巨像の十一面観音立像(平安時代)を安置しています。
閻魔大王
鐘楼
千年菩提樹
喜見院庭園
池泉廻遊式庭園です。
パンフレットより『推古天皇の御代に、聖徳太子の御願により百済人のために創建された古刹で開創当時の御本尊は、太子御自作の「植木の観音」であったと伝えれらる。又、御堂は百済国の梵閣「龍雲寺」を模して建てられ、開闢に当たっては高句麗の僧、恵慈を咒願とし、その後の供養には、百済の僧に任ぜられました。その後、時代は移り、平安京に都が奐められ、「湖東の小叡山」と称せられたほど壮大な寺院となった。明応7年、自火により本堂附近の建物を焼失し文亀3年には、戦乱による災厄に遭い、荘厳な古建築物の多くを焼失し、天正元年信長の焼討により更に衰微し、慶安3年、本堂・仁王門・山門等が竣工した。これが現在の建築物である。』
入山料は500円です。
滋賀県東近江市百済町323
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説明書
百済寺三百坊跡図
表門
本坊
菩提樹
不動堂
参道
雪が結構残っています。
十三重の塔
仁王門、3mの大草鞋が飾っていました。
さらに参道
弁財堂
観音杉、山内最大の杉で推定樹齢430年
手水舎
五輪塔
本堂(重要文化財)
一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられています。内部に外陣と内陣とに引違格子戸を用い、内陣の厨子には、秘仏本尊の2.6mもある巨像の十一面観音立像(平安時代)を安置しています。
閻魔大王
鐘楼
千年菩提樹
喜見院庭園
池泉廻遊式庭園です。
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