2014年5月31日、弁慶の足跡に行きました。
説明書より「三草の戦いで敗れた平家は、三木を縦走して、一の谷へ逃げのびたが、これを追う義経軍も三木を通って鵯越へと向いました。跡部(あとべ)の六ケ井堰に近い畦道に「弁慶の足跡」といわれる大きな石があります。二つの石の表は地蔵尊が彫ってあり、その一つの裏側は人間の足跡のように凹んでいます。途方もないおかしな伝説ですが、跡部という地名や義経軍が三木を進軍したという歴史が、このような言い伝えになったと思われます。」
三木市跡部
兵庫県道20号線の久留美のA永久橋バス停を西に700m行った畦道のB点にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/38/ed3358ec030c974cbd6516039a2b1ca1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ee/ec19c357ec2757bba3e492af89a2f18f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/43/b0aba2e1a7de0eba778c918723d40ec9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/1e/d16289a91bc0f16f57604f1b286f011b.jpg)
説明書より「三草の戦いで敗れた平家は、三木を縦走して、一の谷へ逃げのびたが、これを追う義経軍も三木を通って鵯越へと向いました。跡部(あとべ)の六ケ井堰に近い畦道に「弁慶の足跡」といわれる大きな石があります。二つの石の表は地蔵尊が彫ってあり、その一つの裏側は人間の足跡のように凹んでいます。途方もないおかしな伝説ですが、跡部という地名や義経軍が三木を進軍したという歴史が、このような言い伝えになったと思われます。」
三木市跡部
兵庫県道20号線の久留美のA永久橋バス停を西に700m行った畦道のB点にあります。
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