2017年11月17日、お参りしました。
「養仙寺は、約500体余りの布袋像をお祀りしていることから、別名ほてい寺と呼ばれ親しまれている、丹波七福神第二番の札所です。当寺の創建は、寛正年間(1460~1466)に泰岩和尚により開かれたと伝えます。その後、度重なる兵火等により焼失し、さらに明智光秀の亀山城築城に際しても石塔等も持ち去られたと伝えます。現在の臨済宗妙心寺派としての開山は、妙心寺塔頭智勝院の開基でもある大光普照禅師(1639)で、以降法灯を守り伝え、関重紹通和尚や越厳玄超和尚、弘邦祖隆和尚等名僧が続き、寺門の護持再興に努め、現在に至っています。堂内に安置されている木造地蔵菩薩立像は、式内社愛宕神社の本地仏とも言われ、平安時代末の穏和な相好の遺風を残しながらも、鎌倉時代の理知的なきざしも現れています。寺伝では、将軍地蔵とも言われ、足利利尊氏の念持仏とも言われています。当寺の別称の所以ともなっている布袋尊は、七福神の中で唯一実存した人物で、契比と呼ばれる弥勒菩薩の化身として崇められ和顔愛語、度量と寛容の大切さを説き、身を以って大衆と共に教えを行じた中国の禅僧です。法縁により当寺に集蔵の布袋群像と会するときは、その福徳円満とほほえみを享受することができます。」
京都府亀岡市千歳町国分中山ノ口17
map



山門





本堂









「養仙寺は、約500体余りの布袋像をお祀りしていることから、別名ほてい寺と呼ばれ親しまれている、丹波七福神第二番の札所です。当寺の創建は、寛正年間(1460~1466)に泰岩和尚により開かれたと伝えます。その後、度重なる兵火等により焼失し、さらに明智光秀の亀山城築城に際しても石塔等も持ち去られたと伝えます。現在の臨済宗妙心寺派としての開山は、妙心寺塔頭智勝院の開基でもある大光普照禅師(1639)で、以降法灯を守り伝え、関重紹通和尚や越厳玄超和尚、弘邦祖隆和尚等名僧が続き、寺門の護持再興に努め、現在に至っています。堂内に安置されている木造地蔵菩薩立像は、式内社愛宕神社の本地仏とも言われ、平安時代末の穏和な相好の遺風を残しながらも、鎌倉時代の理知的なきざしも現れています。寺伝では、将軍地蔵とも言われ、足利利尊氏の念持仏とも言われています。当寺の別称の所以ともなっている布袋尊は、七福神の中で唯一実存した人物で、契比と呼ばれる弥勒菩薩の化身として崇められ和顔愛語、度量と寛容の大切さを説き、身を以って大衆と共に教えを行じた中国の禅僧です。法縁により当寺に集蔵の布袋群像と会するときは、その福徳円満とほほえみを享受することができます。」
京都府亀岡市千歳町国分中山ノ口17
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