2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「魚吹八幡神社の起源は202年(神功皇后摂政3年)、西海より御環幸のとき、お艦(ふね)を宇須伎津の湊に泊められた際、皇后御神託を受け此処に浄地を開き一小社を造り、五依姫命を奉祀して敷島宮と号せられました。第16代仁徳天皇悪夢を畏み給いて紀角宿禰を遣わされ、319年頃、上の御三神を崇め祀られました。505年(第25代武烈天皇7年)に至り、魚の砂吹き寄せの故事に依り魚吹大神宮と号せられました。
725年(神亀2年)播磨大掾吉備朝臣魚養公、神域を営繕しましたが、保元の頃(1165年~1158年)、石清水八幡宮の別宮となり源平の乱世も公武の厚く保護せられるも、1576年(天正4年)兵火に罹り社殿すべて灰尽となり祭祀の中断のやむなきに至りました。後1645年(正保2年)網干3ケ村、氏子協力して正殿を再建し、1650年以上に亘り、当地方産土神として信仰と伝統が受け継がれてきました。今日では氏子25ケ村、戸数15000戸を擁し特に秋の例祭には見事な屋台練りと、宵宮の華麗な提灯練りが繰り広げられます。」
兵庫県姫路市網干区宮内193
map
楼門(兵庫県指定文化財)
「建築年代は不祥だが、鬼瓦及び丸瓦に『1686年(貞享3年)の刻銘がある。三間一戸八脚入母屋造楼門で、どっしりとした重量感があり、細部手法も優れており、播磨地方における江戸時代前期の代表的な楼門である。」
手水舎
狛犬
拝殿・注連柱
鐘つき堂
社務所
神馬舎
本殿(姫路市指定文化財)
「現在の本殿は1645年(正保2年)の再建と伝えられる。桁行三間、梁間三間、入母屋造り、正面千鳥破風付き平入本殿で、屋根銅板葺きで、播磨地方において江戸時代前期という遺構の少ない時代の建築である。」
厳島神社
敷島神社本殿(兵庫県指定文化財)
「三間社流造で、三方廻り縁・高欄付、中規模ながら細部手法にも優れている。社伝に1645年(正保2年)網干郷民協力して正殿を再建し摂社等を整備したと伝えている。江戸時代初期の神社建築の技法を今によく伝える貴重な文化財である。」
金比羅神社
三神社
松尾神社
放生池
招魂社
力石
「江戸期の文政・天保年間、力石を担いで大力持ちとして関東一円を風靡した武州岩槻藩領三野宮村生まれの『三ノ宮卯之助』が仰向けになって両足で差回した『曲持ち』銘の力石と、手で差し上げた『差し石』銘の力石が当神社に現存する。これは1840年(天保11年)2月、大阪・天満宮で三ノ宮卯之助一行が興行したさい、魚吹八幡神社の氏子である網干回船の船仲間たちが当神社に招き興行したものとみられる。卯之助が担いだ刻銘の力石は、長野・諏訪大社など関東を中心にして26の有名な神社に37個現存しているが『曲持ち』と刻まれた力石は当神社に唯一つ残る貴重な力石。当地より以西には三ノ宮卯之助の足跡は見当たらない。」
小松神社
説明書より「魚吹八幡神社の起源は202年(神功皇后摂政3年)、西海より御環幸のとき、お艦(ふね)を宇須伎津の湊に泊められた際、皇后御神託を受け此処に浄地を開き一小社を造り、五依姫命を奉祀して敷島宮と号せられました。第16代仁徳天皇悪夢を畏み給いて紀角宿禰を遣わされ、319年頃、上の御三神を崇め祀られました。505年(第25代武烈天皇7年)に至り、魚の砂吹き寄せの故事に依り魚吹大神宮と号せられました。
725年(神亀2年)播磨大掾吉備朝臣魚養公、神域を営繕しましたが、保元の頃(1165年~1158年)、石清水八幡宮の別宮となり源平の乱世も公武の厚く保護せられるも、1576年(天正4年)兵火に罹り社殿すべて灰尽となり祭祀の中断のやむなきに至りました。後1645年(正保2年)網干3ケ村、氏子協力して正殿を再建し、1650年以上に亘り、当地方産土神として信仰と伝統が受け継がれてきました。今日では氏子25ケ村、戸数15000戸を擁し特に秋の例祭には見事な屋台練りと、宵宮の華麗な提灯練りが繰り広げられます。」
兵庫県姫路市網干区宮内193
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楼門(兵庫県指定文化財)
「建築年代は不祥だが、鬼瓦及び丸瓦に『1686年(貞享3年)の刻銘がある。三間一戸八脚入母屋造楼門で、どっしりとした重量感があり、細部手法も優れており、播磨地方における江戸時代前期の代表的な楼門である。」
手水舎
狛犬
拝殿・注連柱
鐘つき堂
社務所
神馬舎
本殿(姫路市指定文化財)
「現在の本殿は1645年(正保2年)の再建と伝えられる。桁行三間、梁間三間、入母屋造り、正面千鳥破風付き平入本殿で、屋根銅板葺きで、播磨地方において江戸時代前期という遺構の少ない時代の建築である。」
厳島神社
敷島神社本殿(兵庫県指定文化財)
「三間社流造で、三方廻り縁・高欄付、中規模ながら細部手法にも優れている。社伝に1645年(正保2年)網干郷民協力して正殿を再建し摂社等を整備したと伝えている。江戸時代初期の神社建築の技法を今によく伝える貴重な文化財である。」
金比羅神社
三神社
松尾神社
放生池
招魂社
力石
「江戸期の文政・天保年間、力石を担いで大力持ちとして関東一円を風靡した武州岩槻藩領三野宮村生まれの『三ノ宮卯之助』が仰向けになって両足で差回した『曲持ち』銘の力石と、手で差し上げた『差し石』銘の力石が当神社に現存する。これは1840年(天保11年)2月、大阪・天満宮で三ノ宮卯之助一行が興行したさい、魚吹八幡神社の氏子である網干回船の船仲間たちが当神社に招き興行したものとみられる。卯之助が担いだ刻銘の力石は、長野・諏訪大社など関東を中心にして26の有名な神社に37個現存しているが『曲持ち』と刻まれた力石は当神社に唯一つ残る貴重な力石。当地より以西には三ノ宮卯之助の足跡は見当たらない。」
小松神社
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