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近藤源八宅跡長屋門、大石邸長屋門、赤穂大石神社

2015-11-17 21:54:30 | 西播磨
2015年11月16日、赤穂を散策しました。
神戸より山陽自動車道で赤穂ICで降りて、赤穂城跡の西側駐車場(無料)に自動車を止めて散策です。
赤穂城跡
JR播州赤穂駅から南に約1Kmの位置にあります。浅野長直が慶安元年(1648)から13年を費やして築いた城です。
兵庫県赤穂市上仮屋
map
山鹿素行説明書
『素行は、江戸時代前期の儒学者・軍学者(1622-1685)。早くから秀才といわれ幅広い学問を修めるとともに、一介の浪人でありながらであり、若くして門弟3000人を抱えるほどでした。承応元年(1652)に、浅野長直に1000石で招聘された。、江戸で赤穂藩士に文武を講じていました。また、築城中だった赤穂城二之丸付近の縄張りを一部変更したとの記録もあります。その後、寛文6年(1666)、江戸にて「聖教要録」を出版するも朱子学批判の罪で赤穂の地に配流され、赤穂城二之丸内の大石頼母助屋敷の一角に預けられることになります。配流中は、藩主や重臣のもてなしを受けることも多く、その思想精神(山鹿流兵法)、門弟であった大石良雄をはじめ多くの赤穂義士たちに影響を与えたと言われています。』

西側城壁





北側堀



三之丸大手隅櫓



太鼓橋

大手門

番所跡休憩所







近藤源八宅跡長屋門(赤穂市指定建造物)
「赤穂城の設計を担当した近藤三郎左衛門正純の子、近藤源八正憲の屋敷の長屋門です。」
説明書

大石邸長屋門(国指定史跡)
「この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が57年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋である。間口約26.8メートル、奥行約4.8メートルの建物で、屋根瓦には双ツ巴の大石家の定紋がついている。浅野内匠頭の刃傷事件の際、その知らせを持って早かごで駆 けつけた早水藤左衛門、萱野三平が実際にたたいたのもこの門です。」

説明書







赤穂大石神社
「城内にあります。国元筆頭家老、大石内蔵助の屋敷跡に、大正元(1912)年に創建し、内蔵助以下の47士を祀ります。赤穂事件三百年記念事業として、47士の石象を参道の両脇に立てました。」

東の鳥居

南側から





















































赤穂案内図

義芳門
「この門は東の楠公西の大石と称せられる我が国の二大忠臣義士のうち楠正成公をお祀りする神戸の湊川神社の神門であったのを昭和17年に移築したものである。明治天皇の思召しで明治5年湊川神社が創立された時建てられた欅材入母屋造四脚門の豪快な門である。」





由緒書

大黒さま

恵比寿さま





参道

手水舎

鳥居

さざれ石



義士発祥の地碑

浅野家 大坂蔵屋敷の舟石



拝殿



宝物殿











義士物語









































末社





筆塚











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