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熊野速玉大社(世界遺産)

2018-03-25 16:48:38 | 和歌山
2018年3月20日、熊野本宮を後にして、次は熊野速玉大社に向かいます。
道の駅「熊野川」







熊野速玉大社
「創建年代は不詳です。熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山を構成する大社で、神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を勧進するため、景行天皇の時代に社殿を造営したと伝えられています。熊野速玉大神は、伊邪那岐神とされています。」
世界遺産
『1951年再建の社殿が建ち並ぶ現在の熊野速玉大社の境内を中心とし、背後の山と、熊野川を約1㎞遡った所にある祭礼の場、「御船島」・「御旅所」を含む。熊野川の川岸に接した社地は、遅くとも12世紀以来の位置をそのまま踏襲していることが考古学的調査や文献史料、絵画等によって判明している。背後の「権現山」は、古代の神話に登場する「天磐楯」とみなされる断崖の多い山で、その中腹に、祭神が降臨した所とされる「神倉神社」があり、神体として信仰される巨岩(ゴトビキ岩)の周辺からは、3世紀の銅鐸をはじめ、12世紀を中心とする経塚が多数発見されている。また、この神倉神社で熾した神火を松明に移し山を駈け下る「熊野御燈祭」は原始信仰を受け継ぐ祭礼として、和歌山県の無形民俗文化財に指定されている。熊野速玉神社のナギは神門の南南東にある推定樹齢800年を誇る古木で、1159年の社殿再建の際に有力武士が寄進植樹したと伝えられ、神木として丁重に扱われている。』
和歌山県新宮市新宮1
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鳥居







八咫烏神社













武蔵坊弁慶
「弁慶の生涯について、歴史的には謎に包まれているが、熊野別当の関係者として、今日まで伝えられている。当地の伝承として、弁慶の出自は速玉大神に仕えた熊野三党の一つの鈴木一族とされ、源平の戦いに出陣したとなっている。又、その最後においては、源義経の叔父である新宮十郎行家とともに源頼朝から追討を受け、この地で討ち死にしたとも伝えられている。尚、弁慶に関係する史跡として、弁慶産家楠跡石碑と旧産屋敷の地(奥野々)に残されている鉄甲塚がある。」





狛犬



手水舎



社務所

熊野稲荷社

神門









拝殿





由緒書

熊野御幸























オガタマノキ(新宮市指定文化財)





折り畳み式家屋









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