旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

横屋八幡(はちまん)神社

2021-12-21 21:49:03 | 神戸市東灘区
2021年12月21日、お参りしました。
説明書より「当社の創建は不祥、1591(天正19)年の『摂津一国御改帳』に『横屋村』が初見され、1692(元禄5)年の寺社奉行に提出した『寺社改帳』の控え『八幡大神宮・天照大神宮・春日大明神・・・古来より当村之鎮守・・・村中廻り持仕候』と記され、『巡見留書』にも祭を当番制にて奉仕している旨が記されている。」
神戸市東灘区魚崎北町2-3-21
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社標

鳥居



手水舎

狛犬





拝殿



本殿



稲荷社



愛宕神社
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春日神社

2021-12-21 21:34:37 | 神戸市東灘区
2021年12月21日、お参りしました。
説明書より「大昔、住吉の神が鎮祀された時、ここ西青木が供米の地として定められたので、神を祀ったのに始まるといわれている。『摂州菟原郡村々寺社吟味帳』には『西青木村、春日大明神社』とあって『春日』の神が祀られている。徳川期には山路庄(住吉・野寄・岡本・田中・横屋・魚崎・西青木の七カ村)に属していて、庄の総氏神本住吉神社の祭礼には舁番もあり、『だんじり』も住吉へ宮入りした。」
神戸市東灘区青木4-20-1
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鳥居

手水舎

拝殿

本殿
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三王(さんのう)神社

2021-12-21 21:20:16 | 神戸市東灘区
2021年12月21日、お参りしました。
説明書より「当神社は、近江国坂本に御鎮座の、俗に『山王さん』とも奉称する、元官幣大社日吉神社の分霊社にして、明治6年8月を以て元村社に列せられる。1746(寛永元)年までの記録である『尼崎領神社書上帳』に『山王権現社村中支配』とある所から、すでに天明年間(1781~)には石造神祠として、当地に奉祀されていたものと思われる。
 また、『古事記』によると、大山咋の神は淡海国の日枝の山に坐し、また葛野の松尾に坐して鳴鏑を持つ神とある。」
神戸市東灘区田中町2-2-1
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鳥居



手水舎

社務所

狛犬



拝殿



三王稲荷
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山神社(さんじんじゃ)

2021-12-21 20:58:51 | 神戸市東灘区
2021年12月21日、お参りしました。
「創立年月不祥、古くは山神とも称され『尼領書上帳』、1692(元禄5)年の『寺社吟味帳』、『寺社御改帳』には、社名、境内を載せ、『1846(弘化3)年在』銘の石灯籠が奉納されており、明治6年社格制定の際、山神社となり現在に至っている。
 山神社は天井川上流沿いにあり、岡本八幡神社を経て、八幡滝を越えて百メートル程登った平地にあり、現在は石祠一基残っている。戦後山中の境内地のみ残して財産処分して、本山北町3丁目の旧田辺地に神社遥拝所を建造している。」
神戸市東灘区本山町田辺鯖緒279

八幡谷入口の標識、ここから山道を登ります。

ハイキング案内図

細い山道です。

永光大神







道祖神が道の両側にあります。







又、登ります。



神社のようですが不明



再び登ります。



結構険しいですね。













八幡滝第二堰堤









山神社、八幡谷入り口の標識から徒歩約15分です。
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岡本八幡(はちまん)神社

2021-12-21 20:26:34 | 神戸市東灘区
2021年12月21日、お参りしました。
説明書より「創始年月は不祥、源頼朝が1192(建久3)年鎌倉に幕府を開いた頃に、岡本は村としての姿を整えたようで、源家の勢にあやかろうと、源氏の氏神八幡神を村の高台に祀ったものであろう。神社の地名は旧字は八幡林であった。社地の東を流れる川の谷は八幡谷と呼ばれている。
 1692(元禄5)年の『寺社吟味帳』には、『古来よりの鎮座にて御座候へ共、由来年暦相知れ申さず候』とあり、実在したことは判るが、前記川の氾濫の為か当時の石造物等は現存しない。」
神戸市東灘区岡本6-10-1
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鳥居

参道

社務所

手水舎
 
石灯籠

狛犬



拝殿



本殿


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保久良(ほくら)神社

2021-12-21 20:10:49 | 神戸市東灘区
2021年12月21日、お参りしました。
説明書より「創立年代不祥なれども境内外地は上代祖神の御霊が鎮座せる盤座磐境の古代祭祀跡地にして其れらより発見されつつある石器時代の石斧、石剣、石包丁、石鍬類、青銅器時代の銅戈(重美)、弥生式土器が前期中期後期に亘り多数出土せり。
 西暦紀元前二、三世紀より西暦紀元三世紀頃のものにしてそのいずれもが儀礼的なものたることの考証せられてあるを見ればその頃にはもはやこの霊地に祭祀せられたる証拠なり。また当社は始めに権現津彦命の子孫たる大和連倉人水守(769)等が祭祀したるとも、神功皇后(101)三韓の役の戦利武器を此の社地に収蔵し奉りしより起因するとも、又社名の火倉、火の山烽火場の地より起こしとも称せられる。尚祝部土器、玻瑠玉の発見せられてあり平安時代の延喜式(927)には社格社名を載せ奉りてあり。
 鎌倉中期の青銅製懸仏が発見されており摂津誌には1250(建長2)年重修の棟札の所持せる事を記載する等上代より祭祀の存続せる事実を実証する資料となれり。
 古来より天王宮とも称せられ中古本荘の庄の総氏神にして工業商業者はもとより多くの崇敬の中心となる当神社の位置は古成層天王山(海抜185米)の山頂にあり背後に六甲の翠巒を負い、前には茅淳の海を一望に見渡す最景勝地にして社頭に古石燈燈明台ありて毎夜北畑天王講の人々交替して御神火を点じ、近海を渡る船舶の航路安全を祈る『灘の一つ火』として崇拝せられ、古来より航海者等の一針路となる。
 これは祖神の代表的事蹟たる海路嚮導の行為と考え合わすとき氏子人の祖神のご遺徳を追慕する行事にして上代より現在に至るまで長年月の間、一日として絶ゆすことなく奉仕し居れり。
 旧本庄九カ村の鎮座であったが、1872(明治5)年に森、深江、青木の三カ村が分かれ、1889(明治22)年には、三条、津知は精道村(後の芦屋市)に属するようになったため次第に離れ、残る北畑、田辺、小路、中野の四カ村の鎮守となった。」
神戸市東灘区本山北畑680
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社標、ここから900メートル、約15分登ります。

ハイキング案内図

坂道です。







磐座(いわくら)、珍生岩(うづなりいわ)



坂道が続きます。









石灯籠
「この石灯籠は1825(文政8)年のものですが、往古は、かがり火を燃やし中世の昔より"油"で千古不滅の御神火を点じつづけ最初の灯台として『灘の一ツ火』と海上の船人の目じるしにされました。古くから、ふもとの北畑村の天王講の人々が、海上平安を願う『祖神』の遺志を継承し交替で点灯を守り続けてきたものです。」

景色です。

社標

鳥居

権現津彦命像
「摂津国菟原郡(夙川西岸から生田川東岸までの間)の当地を委任された『命(みこと)』は、多くの村里が良く見渡せる場と、海から昇る日輪(太陽)が遥拝できる場を兼ね合わせた処を、海上から眺め探し求められ、咲いてきな場所として「ほくら山」を見つけられ青亀を麓の真下の海岸に着けられました。この由緒から、青亀(あおき)が着いた岸部・青木(おおぎ)の地名が起る。早速、青木から南田辺、北畑を経て山を目指して登られました。山頂から眼下に広がる海、対岸の山々、東西に広がる村里を眺められ『命』の心に適合した場所であり、祭祀する場として清めた後、東から昇る日輪を遥拝し、大岩を並べ『磐座』とし『祖先神』(須佐之男命・大歳御祖命・大国主命)を祭祀して『農業生産・諸産業繁栄・村里安全』を一族の人々と共に祈願されました。社名由来は、『火種を保持する庫(くら)・倉』が『火倉(ほくら)』となる」

十二支



手水舎



社務所

狛犬



拝殿





本殿

磐座・立岩

遥拝所

末社



末社・祓御神社










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小路八幡宮(しょうじはちまんぐう)神社

2021-12-21 17:56:15 | 神戸市東灘区
2021年12月21日、お参りしました。
説明書より「創立年代不祥、中古、源満仲の四天王の一人である臼井貞光(954-1021)が後年この小路に永住し、源氏の守護神たる八幡大神の信仰に習って、当地に祭祀したと云う。『尼崎領神社書上帳』、1692(元禄5)年の「寺社吟味帳』には、社名、建物、敷地を記載し、『1703(元禄16)年1月奉納』の石灯籠の銘文には『本庄庄、庄司村中』とあって所在地である小路は、庄司と書かれていたこともあるらしい。1月15日オトー(御祷講)神事、1月19日厄除祭、9月15日例祭」
神戸市東灘区本山北町5-2-10
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鳥居

手水舎

狛犬



拝殿

本殿

尼崎領の石標



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中野八幡(はちまん)神社

2021-12-21 17:36:13 | 神戸市東灘区
2021年12月21日、お参りしました。
由緒書より「創立年代不祥なれど中村村の鎮守社として氏子人により奉斎されております。古記録によれば1339(暦応2)年大山崎八幡宮(現在は石清水八幡宮)より勧請され社殿の棟札、石灯籠の寄進など1657(明暦3)年も1692(元禄5)年の寺社吟味帳や御祷講の古文書に記載されています。1873(明治6)年村社に列し、1907(明治40)年には境外社の山神社、竈神社を合祀しております。」
神戸市東灘区本山北町4-14-9
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社標

参道



鳥居



手水舎

社務所

狛犬



拝殿

本殿

境内社・琴浦社




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稲荷神社(森のお稲荷さん)

2021-12-21 17:14:13 | 神戸市東灘区
2021年12月21日、お参りしました。
説明書より「社伝によると、『元正天皇の715(霊亀元)年卯月卯日の夜、深江の沖に闇夜を照らす妙な光が現れた。人々が不思議に思い、海岸に集まると波のまにまに一基の神輿が近づき、『われは稲荷の神霊、この山手の森かげに鎮まりたい』と告げられたので、神託どおりにお祀りすると五穀豊穣となり平安な日々が続いた。』稲荷神社は『森のお稲荷さん』と親しまれ、明治時代まで近郊の本庄九ケ村(森・深江・青木・北畑・中野・田辺・三条・小路・津知)の総氏神として篤く信仰されてきました。明治12年に森・深江・青木の三地区が氏子地として残り、他は保久良神社の氏子地となった歴史があります。」
神戸市東灘区森北町4-17-11
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鳥居

狛犬、吽形しかなかった。

参道

社務所

拝殿







中門



本殿



地車倉
「森地区地車(だんじり)は、1847(弘化4)年の製作と伝わる。製作者は大工棟梁・柳平兵衛中良(大阪市平野区住人)、杉田信也(西宮市若山町)、木彫刻師・柳原清蔵、井岡勘治(東灘区田中町住人)、酒井宏・秀哲(富山県城端)、錺師・後藤正嗣(京都市山科区)、縫師・高木一彦(香川県観音寺市)、合田武司(新居浜市大正院)、金物師・上田徹(東灘区森北)、高さ4.0米、長さ6.5米、幅3.0米、重量約3.5トン」

神具倉

神楽倉

末社





稲荷社


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慶明寺

2021-12-14 18:50:28 | 神戸市西区
2021年12月12日、お参りしました。
「臨済宗妙心寺派の寺院で、弘安4年(1281年)に法外圓和尚によって開山された。山号は覚照山で、ご本尊には薬師如来様をお祀りしています。境内の一画に天文学者で陰陽家であった安倍晴明がここに立ち寄り、梵字を彫ったという自然石がある。」
神戸市西区平野町慶明97
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史跡、安倍晴明ゆかりの石
「今昔物語に登場する天文学者、陰陽師(おんみょうし)であった安倍晴明が、ここに自筆で書かれたという、阿弥陀三尊(観音、阿弥陀如来、勢至菩薩)の梵字を彫った自然石である。また、この石はこの辺りの村民を悩ませた難題を解決した証しとして、安倍晴明の手により、印されたものと伝えられている。さらに、この梵字は月輪と云われ、丸い輪の中に刻まれており、梵字が印されたのは、平安時代であると思われる。







寺標











山門





本堂


















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