旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

宝蔵寺

2022-11-10 18:28:47 | 明石市
2022年11月9日、お参りしました。

「室町時代の1396(応永3)年のことである。林崎に藤原太郎左近という人がいた。5月2日の夜、夢の中に毘沙門天が現れ、『私は長い間、海の中にいる。引き揚げてまつってくれれば、末代までいいことがある。』と告げた。仏像を引き揚げ、お堂を建てて安置したという。このお堂が宝蔵寺である。真言宗大覚寺派海門山、土地の人は毘沙門さんと呼ぶ。船上の護国寺密蔵院の末寺西蔵坊として創建されたという。境内に入るとすぐ右手に立派な石造十一面観音がある。本堂の前には、雌鹿の松、歌碑が立ち、マリア観音の十字架も保存されている。キリシタン大名高山右近が明石に転封され、右近の在任中、明石での洗礼は2千人を超えたという。昭和20年の空襲で本堂などは焼失した。本堂は1961(昭和36)年に再建されたが損傷がひどく、1993(平成5)年、新しく本堂が建設された。」

兵庫県明石市林2-1-12

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手水舎


 


 


十一面観音菩薩


 


 




本堂


 


 


 


 


かくれキリシタンの遺跡

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若宮神社

2022-11-10 18:21:59 | 明石市
2022年11月9日、お参りしました。
「昔、林村に角屋掃部は船上村の山王権現(山王社)を勧請し、若宮大明神と呼び氏神にしたという。この伝承は1762(宝暦12)年の『播磨鑑』に記されており、『年数享保四年(1719)マデ百余年也』とある。逆算すると元和年間となる。しかし、神社由緒には、1585(天正3)年とある。1686(貞享3)年11月2日、時の領主松平若狭守直明が社領三石を与えている。」
兵庫県明石市林2-2-21
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鳥居

手水舎

狛犬



拝殿

本殿

石碑

末社、猿田彦社・皇太神社



稲荷社


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密蔵院

2022-11-10 18:09:40 | 明石市
2022年11月9日、お参りしました。
「報徳大地蔵院の”船上名物”、巨大なお地蔵さん。真言宗大覚寺派護国寺、平安時代の904(延喜4)年に観賢僧正により創建されたと伝えられる古い寺である。寺記によると、室町時代の応永年間(1394~1428)の僧運公が中興、この地方の中心として栄えた。当時、八つの末寺があったといい、奥之坊、東禅坊、吉祥坊、宝蔵寺、神応寺、十輪寺、坂上寺、福蔵寺だったという。江戸時代の1653(承応2)年には、大覚寺宮院門跡になり、ますます栄えた。明石藩主の信仰も厚く、仏像が寄贈されるにど、明治の初めまで大寺院の威勢を誇った。しかし、昭和20年7月の明石大空襲により、これらすべて灰じんに帰した。戦後の昭和27年、戦没者の慰霊のため、地上15メートルという報徳大地蔵尊を建立、昭和51年に鉄筋コンクリート造りの本堂が再建された。」
兵庫県明石市船上町3-8
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油掛地蔵尊







本堂







仏足跡



地蔵尊

報徳大地蔵尊

御崎神社





境内社光森大明神


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大蔵院

2022-11-10 17:49:40 | 明石市
2022年11月9日、お参りしました。
「臨済宗の寺院で、伝定朝作の観世音菩薩を本尊とする。五山禅の高僧中厳円月が1370(応安3)年に開き、1441(嘉吉元)年赤松円心の孫、赤松祐尚は大蔵谷に陣を構えた居城を三木城に移すにあたり、陣屋のあとを寺院にしたといわれている。境内の祠には青面金剛の石仏が祀らりている。墓地には赤松祐尚夫婦の墓があり夫婦の法号の"見江院""大蔵院"が山号と寺名になっている。1602(慶長7)年、姫路城主池田輝政が寺屋敷と周囲の竹林を寄進し、以来、寺は代々の領主から手厚く待遇されている。」
兵庫県明石市大蔵本町18-40
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山門、閉まっていました。

境内

本堂

庫裏
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圓乗寺

2022-11-10 17:45:32 | 明石市
2022年11月9日、お参りしました。
「山号を寿量山と号し、京都妙満寺の末寺。日蓮上人を宗祖と仰ぐ根本法華宗である。本尊は大曼荼羅で、慶長年間(1596~1615)、姫路城主池田輝政に招かれ、姫路に来住した日円上人が創建した。この日円は、姫路に妙立寺、岡山に本行寺、鳥取に法泉寺を建立し、法華経の教義をひろめた人である。」
兵庫県明石市大蔵中町7-9
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山門

本堂









庫裏


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西林寺

2022-11-10 17:38:36 | 明石市
2022年11月9日、お参りしました。
「山号は蓮台山と号し、浄土真宗大谷派(東本願寺)の寺で阿弥陀仏をまつる。もと天台宗寺院で、1362(康安2)年二階堂出羽守の三代の孫空円上人が開いたという。1664(寛文4)年に改宗した。1945(昭和20)6月、文豪永井荷風がこの寺に投宿した。」
兵庫県明石市大蔵町11-22
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鐘楼門



本堂









社務所
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大蔵八幡神社

2022-11-10 17:10:53 | 明石市
2022年11月9日、お参りしました。
由緒書より「祭神は、鴨部の大神(越智益躬)、息長足姫命、玉依姫命、応神天皇である。推古天皇の御代に人皇第七代孝霊天皇第三の御子伊予の皇子より十七代の嫡葉の小千の益躬が鉄人を和坂にて撃ち、益躬 伊予三嶋大明神を大蔵谷に祀る(稲爪神社)其の後益躬の子武男、稲爪神社の辰巳の方角に一社を建て益躬を祭る(越智神社)。さきに、鉄人、九州を通過せし時、これを防ぐことも得さりし者の末裔此社前を通るとき、馬、籠より下り益躬に敬意を表せり又、これをさけ、殊更、船にて上る諸候あり。明石城主これを気の毒に思い越智神社を穂蓼(ほたて)八幡と改む。尚、同時に神社を建て替をした。この年号は宝永2(1705)年にて、城主は松平右兵衛門督直常。その後諸大名、馬又籠のまま通行した。又、八幡神社社領に権現山あり、東西共宮山で、西山の小神祠は熊野三社権現を祀る。西の登り口に水を湧出る所を大蝮(おおひる)谷と言う。」

兵庫県明石市大蔵八幡町2571-1
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鳥居

手水舎



狛犬





拝殿

本殿

石碑



地蔵さん

西国街道の街並み


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舞子六神社

2022-11-10 07:43:12 | 神戸市垂水区
2022年11月9日、お参りしました。
「当社の創建は、所蔵する1689(元禄2)年の金幣に、『六社明神、播州明石郡山田村之住、施主敬白』と刻されている。御祭神は明石・岩屋神社と同神であることより、江戸時代前期に同神社より御分霊を勧請して山田村の鎮守としたのであろう。この地区は昔、明石郡山田村で、土地の人達は今も『ヤマタ」といい、ヤマタ内の東舞子1丁目・2丁目・仲之町・戎町・西舞子・北之町・川西町の旧町名六地区が神社を境にして東西に分かれ、各町2名ずつの宮総代がいて祭礼の準備・諸行事を取り仕切っている。境内には、江戸期の海運業者から寄進された『寛政7年』(1795)銘の狛犬や、『享和7年』(1801)銘の石灯籠がある。」
神戸市垂水区西舞子1-5-7
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鳥居

手水舎



拝殿





末社




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舞子の叩き地蔵

2022-11-09 21:37:46 | 神戸市垂水区
2022年11月9日、お参りしました。
「台座に木のツチがたくさん置かれ、このツチで叩きながら願いごとを頼むと叶うという。昔、高知の桂浜を船出しようとした際、綱をかけていたこの地蔵さんが船倉に転がり込み、あまり大きすぎて重たくて挙げられず、そのまま航海してきて、この山田ノ浦(舞子ケ浜の旧名)で荷揚げをした時に一緒に上げ、ここに祀った。そのため、南の桂浜の方に向けて祀った。舞子の旧家の古文書では、1825年(文政8年)に、御影の石工に作らせたものとなっています。」
神戸市垂水区東舞子町7-22
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塩屋若宮神社

2022-11-09 20:55:15 | 神戸市垂水区
2022年11月9日、お参りしました。
「JR塩屋駅から西へ約100メートル、小高い丘の上にあります。ここは摂津と播磨の国境にあり、古くより顕宗天皇・仁顕天皇・安閑天皇を御祭神として祀っている。もともと塩屋は三里浜と呼ばれ、須磨の塩家と云われていた、潮の干満を利用して製塩をしていた所で、『須磨の海士の塩焼衣間遠にしあればまだ着馴れず』(万葉集)と歌にも詠まれている。境内社には、蛭子社・稲荷社・梅ケ崎天神社・磐境がある。現在当神社には、三宝荒神を合祀している。」
神戸市垂水区塩屋町4-14-9
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鳥居

参道



手水舎





狛犬



拝殿





末社




















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