もう夏ですから、放牧前に毛刈り。地域の小学生も体験をしました。
もう夏ですから、放牧前に毛刈り。地域の小学生も体験をしました。
毎日のように私のfacebookに冒頭のような美しい花や鳥、昆虫の写真がアップされて、その度に感動しているアタシです。
が・・、
これはホンモノなんだろうか・・・。
チコさんいわく
「美しいものだったら、作られたものでもいいじゃあありませんか・・」
でもさ、自然界の不思議さ美しさだとフェイク画像で感動しているのも・・、なんだかなあ。。。、
大学の同期のWさんから寮歌全集の CDをもらった(なぜだ•••) 日本各地の旧制高等学校(今は国立大学)の寮歌です。 北海道大学には旧制高等学校時代はなくて、それは札幌農学校だったと思うのですが・・
で、車のデッキで聴いているのですが、なかなかバンカラ(今は死語だな。硬派)感があって懐かしくも学生若者の大志を感じてなかなかよろしい。
私は、北海道大学出身であるが、下宿生活は2年ほど仲間としたが、寮生活はしていない。当時の北大には古い木造の建物の「恵迪寮」が現役でまだ健在で学生自治がされていた。この木造寮の玄関付近は北海道開拓村に移設されて今も見学ができます。 友人らが入寮していたので寮内を訪れたことはあった。 ひと部屋4人くらいで共同生活をしていたのではなかったかな。洞窟のような暗く怪しい部屋であったなあ・・。
北大には旧制高等学校時代はなくて、札幌農学校だったんだと思いますが、寮歌は毎年、作詞作曲され、寮歌指導者が任命されていて寮生全員で歌い継がれています。 今の鉄筋コンクリートの新寮でも続いているのかしらん・・。
北大で有名な寮歌は、明治何年かの「都ぞ弥生」であり、これはまるで校歌のごとく歌われている。 春夏秋冬がそれぞれ歌われているのですが、その一番が春、都ぞ弥生なのです。
♫ 都ぞ弥生の雲紫草(くもむらさき)に
花の香漂う(はなのかただよう)宴の莚(うたげのむしろ)
尽きせぬ奢りに濃き紅や(つきせぬおごりに こきくれないや)
その春暮れては移ろふ色の
夢こそ ひと時 青き繁(しげみ)に
燃えなん我が胸 想いを載せて
星影 冴か(さやか)に光れる北を
人の世の 清き國ぞとあこがれぬ ♫
少年よ、大志を抱け! だなぁ。
老いてきた身に やわらかなるも 鞭打たれる 感じがしたよ。
光みちて 北国の初夏の黒松内です。 明日からは台湾からの親子づれのツアー受け入れです。りーはん一家の長期滞在(コーディネイトお仕事しながら・・。)それに続き、スウェーデンやウェール人の滞在も続き、キッチンまりこは、ブツブツ言いながらも盛況を極めております。
私と言えば、みんなの迷惑にならんように時々ドライバーしたりしておりまする・・・。
3週間ほど前に(飲み会あとに)転んでしまい、目の下と手のひらを痛めてしまいました。おかげで趣味?のパークゴルフもしばしお休みをしていましたが、一昨日再開。
まあまあのスコアでありました。(パー+3つくらい)
農家へ訪問したり、黒松内のそば打ちサークルの方々に協力いただいての体験活動など、地域性を出した特措色ある活動をしています。 今やインバウンドツアーやらアドベンチャーツアーなる冠で旅行業界は活気づいていますが、アタシらはずっと前から「やってたよ」と言いたいよな。
しかし、りーはんやちこさんおのおかげで、黒松内のいわゆる「地域資源」というモノ・ヒト・コトが磨かれて地域内、地域内外の交流活動もすすんでいるようで、アタシは嬉しいよ。
オッファーは「アウトドア活動のリスクマネージメント基礎」でしたが、主催者に御願いして「自然体験活動の意義」なる講座コマも設定してもらった次第です。
あー、ここは・・・と、最近は過去を思い出すことが多くなっている。
写真のこれは、札幌中島公園傍のホテル正面なのですが・・・、 ここは札幌社会体育専門学院の教務責任者だった当時、学院の卒業式で使っていたホテルだな。 のちに演劇コースもできて、その公演もここでやったのではなかったか・・。私も役をもらって出演したなあ。
松山千春の歌だったか、♫ ふりかえるには、はやすぎるぅ~♫ なんてのがあるが、歳を取ると自然にそうなるんだろうかねぇ・・・・。
そんな議論を 北海道NPOサポートセンターで始めています。
6月3日 孫たちが通う倶知安東小で運動会が開催されました。北海道の大運動会は本州と異なり初夏なのですが、このコロナ禍で3年ぶりの開催となりましたが、お弁当なしの午前中のみの開催でした。 観戦者数の制限もなかったのですが、晴天とはゆかず、羊蹄山がみごとに見える校庭なのですが、霧雨で雲の中、薄ら寒い半日でした。 上は小学校最後の、下は小学校最初の運動会だったので、ちょっと残念でした。
午前中だけなので、「走り」がメインの運動会でした。 最後を飾るリレーは、低学年、中学年、高学年と2年ずつ三部に分かれた全員リレーでした。 我が孫が走るのだけでなく、ひと様のお子さんが力いっぱい走しる姿をみていて、つい感動して涙ぐんでしまう、爺さんでした。
なにに感動するのだろうか・・・
足の速い子も、遅い子も懸命に走る姿に感動しているのだけれども、その裏には・・
「もう、全速力で、いや駆けることすらできなくなった」自分をうらかなしく思っているせいもあるなあ・・。
自然体験活動を仕事にし始めたのは1990年頃でしたが、すぐに担い手を増やさないことにはいかんと気づいて、その担い手づくりに力を注いで来たアタシです。 ワークショップという体験型学習法の存在を知り、さまざまな分野の先駆者を講師に招いて学習・セミナーを開催したり、自らもせっせと実施体験をしてきました。おかげで、その手法を応用して、自然体験活動指導者養成のみならず、社会的起業活動やまちづくり、果ては企業研修、行政職員研修などもてがけるようになり、それも仕事の一環として収入を得てきましたが・・、
たくさんの若手も現れて、体験型学習や自然体験活動のレジェンドなんと神輿に乗らされてしまう年寄り年齢になり、そろそろ、消費期限ではないが、賞味期限に達しております・・・。 そんなアタシに久しぶりに講師仕事が舞い込みました。 体験活動のリスクマネージメント。
2000年当初だったでしょうか、北海道にもアウトドア事業者が増えてきたのですが、一方では人身に関わる事故も少なからず生ずるようになりました。 アウトドア観光を北海道振興の大きな位置づけにおいた北海道は危機感を募らせ、「アウトドアガイドリスクマネージメント研修」というものを大体的に主催することになり、その実施団体として、当時のNPOねおすが受託をしました。
しかし、その研修方法は前例もなく、たいへん試行錯誤をしました。 野外事故の裁判事例に詳しい弁護士や傷害保険屋さん等の専門家も加え、ニュージーランドからリスクマネージメントのテキストを手に入れたりしてその研修内容を試行錯誤しました。 その結果として、基礎講習(座学・ワークショップ)を3日間、実技を夏、冬4,5日間、それも全道数箇所で実施するという、移動も含めてほぼ3,4ヶ月は研修研修・ワークショップで過ごすという巡業家業をしていた時代がありました。
NPO法人自然体験活動推進協議会(通称CONE)という全国ネットワークがあり、アウトドアリスクマネージメントの普及に力をいれているのですが、その資格制度の中に活動全体のリスクマネージメントを掌握するディレクターというものがあります。この資格を取得するためにはCONEより担当理事講師を招聘する必要があるのですが、参加者の条件として基礎的なマネージメントの考え方・概念を学んだものというハードルがあります。 そのディレクター研修会を実施したい道南の仲間が、基礎講習会をやって欲しいとお願いされたのです。
そういった研修知見はけっこうありますし、長年生きてきて、アウトドア活動もやってきたので、実際に体験、身近で起こって対処したリスクをそれこそ多数実体験してもいるので、久しぶりに講師をすることに張り切っています。
おまけに、「自然体験活動意義」という時間枠を作って欲しいと主催者側にお願いまでしてしまった。
がぁ・・、しばらくぶりなので、うまく頭が回り、くちが回るかは心配なんだなあ・・。
当然に身体を張っての実技指導をするのはそれこそリスクが高いので、講習のカタチですが、頭のサビを落として油を差して、集大成くらいのつもりで、頑張ろうとロートルにムチを入れんとしております・・。
ガンバ!! 俺!