倶知安に親切丁寧施術の整骨院があるということを知り、電話をしたところ、評判通りのご繁盛でなかなか希望日と合わなかったのですが、なんとか来週月曜日に予約を入れました。
ちょっと畑仕事をすると腰が痛くなり、肩が張って首を回すにもイテテ、イテテで、ちょっと歩けば息切れしてしまう状況なアタシである。
私の腰痛との付き合いについての以下・・、どうでもいいような長話しです・・・が、関心のある方はご参考に・・。。
小学5年生の時、教室で机飛びが流行りました。 二列並んでいる机の間を飛んでできるだけ前の両側の机に手をついて、その勢いでどのくらい先へ着地するかを競う遊びでした。 私はけっこうトップクラスで頑張っておりましたが、ある時、飛んで手を付いて勢いをつけた拍子に腰がガクッとしてイテテとなりました。 そして全速力で走れなくなりました。それは中学まで続いて・・・、ついには親に申し出て整形外科病院を受診させてもらいました。 診察結果は、第五腰椎すべり症なることでした。分離までいっていないので、日常生活には支障ないので手術も必要なしとの診断。ではこれからどうしてゆけばいいのかと問えば・・、「腹筋背筋を鍛えて脊椎を支えなさい」というものでした。
高校大学では重い荷物を背負っての山岳生活に明け暮れていましたが、大きな再発もなく過ごし、社会人になってもしばらくは山岳ガイドで30歳中半くらいまでは重い荷物を担いでおりましたが、大過はありませんでした。
そして・・、小林峻ちゃんがぶなの森自然学校のチーフディレクターをしていた時だったので、もう10年くらい前かなあ、始めてギックリ腰を経験しました。 その夏は春先からいつになく一生懸命に草刈をしました。そして、それなりに腹筋背筋を鍛える運動をしてもいました。 夏終盤のプログラムは後志利別川の川下りでした。岩場もありカヌーのポーティング(カヌーを降りて手で運ぶ)箇所も多いということで、私は沿線を車でサポート役になりました。で、待ち時間も多いので、腹筋背筋トレーニングなんかをしていたのでした。 無事プログラムは終了し、カヌーをワゴン車に積んで自然学校に戻り、積み下ろしかたずけに入りました。 子どもたちは何も手伝わずにいたもんだから、「おまえらぁ!! ライフジャケットくらいは片付けろ!」と言いながら、左手で足元にあったジャケットを取り上げた瞬間に魔女の一撃をくらい、その場に崩れ落ちました。ともかくも立ったまま痛くて一歩も動けない初めてのギックリ腰体験でした。その時は、4,5日で動けるようになりました。
次の年の夏。前年の体験があるので、それなりに用心しつつも、仕方がないので草刈は多少作業していましたが、夏本番ではあまり無理なことをせずにおりました。 無事に乗りきった夏終盤、家の犬小屋のそばにある椅子に座って私はホっとして休んでおりました。 ふと足元をみると 愛犬のう○こが目に入りました。かたずけなければと、地面にあった小さなスコップを左手で取ると・・、来ました一撃が。その場で崩れ落ちました。 この時は2,3日たってもちっとも快方しないので、病院にも運んでもらいました・・が、「安静、ジッとしてなさい」という診断。 普通に歩けるようになるのに10日間ほどかかりました。
この二回の体験をもって・・、私の身体は左手を動かした時に腰に負担がかかるらしい、それが危険だと悟りました。 そう思って自分の生活を冷静にみてみると、左手で取って右手に持ち帰る動作が多いと気づきました。例えば、テーブルの上の醤油さしをとる時も、左手でとって右手に持ち変える二段階動作をするのです。 子どもの頃から首は右側に傾けている癖もあります・・。小学生の時、後ろに座っている女の子に「たかぎくんは、どうしていつも首をかしげているのぉ」と言われ、クラス中の女子からマネされいじらました。つまり利き腕でないのに左手の可動範囲が大きくしている・・・。
話は戻して・・・、そして、その後の一年は無事に過ごしたと思うのですが、たぶんその翌年のこと。
この夏の終盤プログラムも野外にも出ずに事務所本部で待機サポートをしました・・・が、プログラム最終日に緊急SOSが飛び込んで来ました。近くの川原で炊事中に「お湯を沸かしていた鍋をひっくり返して子供が脚に大やけどをした」というのです。慌てて飛んでゆきました。すでに川の水で冷やしたというのですが、明らかに冷やし足りないと判断した私は、当時小4の女の子だったかな・・、その子を横抱きかかえて数m先の深場の川にその子の脚をつけに川原石の中を走りました。 (太腿の半分くらいの広範囲の火傷だったのですが、その後の手当は、たまたま自然学校のキャンプ場にお医者さんパーティがキャンプに来ていたので、応急処置も適切にでき、その後の後遺跡はほとんで残りませんでした・・・。)
その後、腰に激痛がはしるようになってしまいました。 これは整形外科にさすがにゆきました。脱出性ヘルニア診断でした。あまりにも痛さが続くので、手術も考え、セカンドオピニオンをもらおうと別の病院へ行きました。そこで良い先生に出会いました。「手術しても必ず治ることはないよ。何ヶ月たったの?(その時は2ヶ月くらいでした) じゃあ、もう少し、半年くらいは安静を心がけて様子をみませんか、できるだけジッとしていなさい。ヘルニアは白血球が作用して収まることがありますよ」とのことでなんの処方もしてくれませんでした。「ジッとしているだけで本当なのかぁ!!」 その年秋には、中国への長期出張もあり杖をついて歯を食いしばってでかけました。(中国で国家機密級という湿布薬を手に入れましたが、この話はさらに長くなるので止めます・・)
そして、先生がおっしゃったように年があけて二月になり、杖なしでも歩けるように回復しました。
そして、さらに二年おいたくらいかなあ。 なんと、交通事故に合いました。 経緯は別として、ともかくもうつ伏せに倒れた私の背中にゆっくりとバックしてきたワゴン車が通過して、何かをひっかけたと気づいた運転手が、私を乗り越えたあとにまた前進して二度轢かれてしまいました。 ゆっくりと通過するもんですから、背骨がバキバキと折れる音が自分でも聞こえました。 救急車で運ばれ診断は、多発性骨折、脊椎や肺にも損傷がある重症でした。 CPU(違ったか?)にも入る大きな手術を受けて、背中にはたくさんのビス、板やチューブみたいのが埋め込まれました。
おまけに、3か月前には狭心症診断で、心臓の血管を膨らませるステンとやらも埋め込みました。という身体が今のアタシなワケです。 体幹どころか全体がギクシャクしたままここ10年ばかりを生きておるのです。
で、新たな出会いの整体、接骨院の先生に期待しているところです。