今日(20221014)は秋晴れ快晴だ。差し迫った仕事に追われるようなことがないリタイア的生活を送っています。朝起きるとまずは外のお天気の確認。今日は一日、カミサンに叱られないようにと誓うのですが、瞬間に小言となる毎日であります。
水木しげるさんの「戦争と日本」(右から読みなので、日本と戦争が正しい書名なのかな?)にふとしたことで出会い、厚いマンガ本2冊、従軍中に描いたというスケッチにコラムをつけた文庫本1冊を手に入れていっきに読みました。連日ウクライナの戦争が報道されています。水木さんの本を読んでいるとつくづく平和は大切だなあと感じる次第です。自然学校にも滞在したことがあるウクライナ学生が2,3名いました。 彼らはどうしているかなあ・・、何もできない・・案じるしかできない・・・
あっという間に2022年も10月下旬に。ことしもあと2ヶ月ちょっとしかないのだな・・。 事務机の周りの書類の山を今年こそ片付けてすっきりとしたいもんだと、一日に厚さ1cmくらいは片付けている。内容を確認して、そのほとんどはゴミ箱(リサイクル)行きなので、いっそのこと全てを捨てちゃえばいいのですが、それができない性分なんだなあ・・・。 後ろを振り向けば、棚やスチールボックスの中にも大量の紙類がある。これらも含めて・・、なんとかしたいね。
運動のためにパークゴルフに精をだしています。できるだけ毎日、やらねばならぬというルーチンにしたく近くの無料コースをホームにしており、2,3日に一回は周辺町村のゴルフ場にでかけています。これまで、黒松内町、寿都町、岩内町、共和町、真狩村、ニセコ町、蘭越町、長万部町、伊達市、泊村と制覇しております。 ところで、この秋この中で二度もホールインワンを達成しました。 腕前が上がったわけではなく、ホールインワンを出したコーススコアは凸凹があり、パーで回ること自体がこれまで数度しかないので、まぐれというか奇跡なわけですが・・・。 このツキに乗じて宝くじでも買うかなあ・・。
隣町寿都における高レベル放射線廃棄物の地層処分場の文献調査が年内にも終了し、次の概要調査(ボーリング調査などを行う)へ進むか否かの段階に来ています。次の段階へ進むときに北海道知事が意見を言える機会があるのですが、鈴木北海道知事へ反対を貫くようにとの応援署名を集めたり、原発既立地地域の地域づくりの学習会などに参加したりしています。なにが自分にできるのか、思うと無力感すら感じてしまうのですが、当該地域住民だけでなく、全国民がこのことに関心を持って欲しいものです。
自然学校の地域活動として、無積雪期に月いちで「元気いちば」というディ活動をしています。 元々は、近所で家庭菜園している野菜を売ったり、リサイクルフリーマーケットをしようと考えて、地域交流の場を始め、子ども向けのイベントも同時に始めたのですが、いつの間にやらお年寄りの交流会となり、昨年からは地域の振興会や老人クラブとの共催のカタチで定着してしまいました。 私が移住した頃は、いろいろな地域行事がありましたが、だんだんとなくなってしまい、さらにここ3年はコロナの影響もあって神社祭りで集まることもなく過ぎていましたので、この活動は特にお年寄りにとっては貴重な地域交流の場となっています。
地域行事がいろいろ行われていた時も、それぞれ大家族であるのに、この行事はじっちゃん・ばっちゃん、この集まりは現役世代が参加と、なんとなく暗黙の了解ごとがあって地域の世代が関係なく集まれる機会が作れずに今にいたっております。
最初にこの地区に入ったとき(旧小学校校舎の利用)、当時の地区長さん(三地区あり)等からのお願いで、「運動会をやってくんねべか」という意見がありました。 今思うと、小学校の運動会こそが、地域三世代が集まる唯一の地域行事だったのかもしれないなあ・・。
じゃぁなくて、ブリのこぶり段階のフクラギです・・・ 時々、寿都の漁師さんから直接買っています。
が、これは、鮭二本を買ったオマケなのです!! 網あげでちょっと傷ついたり、大きさや量で、その日の出荷を見合わせたりしたサカナです。 たくさんもらい夫婦ふたりでは食べきれないので、知り合いのお世話になっているお宅へと飛んでゆきました。
国葬を国葬儀とあえてぼかしたAさんの葬儀がありましたが、当町では町葬がありました。前々町長の谷口さんでした。
私たち黒松内ぶなの森自然学校が開校した当時の町長でした。そのいきさつをちょっと書き残しておくと・・、
もう25年くらい前になるんでしょうか・・。 当時の環境庁(現省)が、「ふるさと自然塾構想」という施策を展開しようとしていました。 これは、「国立公園にかからない市町村で環境教育や自然教育に熱心な自治体を支援補助しよう」というものでした。これは、これまで政策が地域に落ちてゆく過程(国⇒都道府県⇒市町村⇒民間、そして逆をたどって決定)と違って、民間の日本環境教育フォーラムという全国ネットワーク団体に照会がゆき、該当する地方自治体を推薦するという逆過程が踏まれました。当時そのフォーラムの構成団体であったNPOねおすは、北海道の自治体を紹介する役割をもらいました。 どのような環境・自然に関わる施策をどのくらいの財政予算で実施しているかなど提出資料がありました。 当時ねおすは、黒松内町、弟子屈町、東川町において拠点づくりをして当該町との関係性を構築(中)でした。 それぞれの町に資料作り提出をお願いしたのですが、それまで国の補助事業について、直接通達がなくて、それが民間からアプローチされたのですから、どこの自治体行政も???懐疑的でしたが、黒松内町はいちはやく資料を用意してくれました。 財政支援補助といっても、特別交付税を増額するという特定事業への交付補助措置ではないので、「ほんとうか?」との疑問は拭えなかったのですが、当時の環境庁長官(自民党から連立政権に代わった村山政権)であった社会党の岩垂長官が自ら役人を従えて来町されたのです。「これは本当の話か!!」ということになり、それからが早かった。あっという間に設立集会となり、黒松内ぶなの森自然学校が設立されたのでした。 その前年だったか、町内に廃校となる学舎が複数あり、その利活用について提案するワークショップや企画づくりを直接ねおすが町より受託していたということもあり、一気に現実化しましたが、時の谷口町長と若見教育長の即断即決でした。
黒松内の官民によるまちづくりは、それよりもさらに10年近く前から「北限のぶな里構想」という施策があり、行政立で宿泊施設、ビジターセンター、食品加工施設や温泉などが設立され、第三セクターの振興公社による経営がなされていました。 その民間の中核でまちづくりをリーディングしていた茂尾さんも同じくお亡くなりになりました。
黒松内町のまちづくりの大きな功労者おふたりが亡くなれて、次代に引き継がれる大きなできごととなりました。
根はタスク型人間なので、パークゴルフのようなわかりやすい目標がある遊びのほうが続くみたいです。 ホームグラウンドは寿都町の浜中パークゴルフ場です。ここは無料で9ホールx2コースあります。 先日、なんと初のホールインワンを達成しました。 ひとりで回っているんで証人はいませんが・・・。 36mホールで、白いボールが「あっ、ポールへ一直線、入るんじゃあ!!」と思った瞬間に視界から消えてカッシャーンというインした金属音が聞こえた時はひとり歓喜しました。
今日は一日中・・雨ね。 随分とブログ投稿のあいだがあいてしまいました・・。 それでも、このブログを開いてくださっている方々にありがとう、そして、ごめんなさいです。
今日は終日雨模様です。この雨が過ぎると一気に冷え込んでくるような予報です。 峠越えの車移動はスタットレスタイヤに履き替えておかないと立ち往生してしまいかねない季節となりました。 昨年の冬タイヤはその前年夏にも履き続けていたものなので、この冬は新調しなければなあ。タイアも10月から値上げと聞いていたのですが、手配する前に冬の足音が聞こえてきてしまった・・。 下旬に函館までゆくので、峠はないが、履き替えて置くかなあ。
ツアー仕事をしていた時代は11月文化の日が履き替えリミットであったな。
さて、これから、写真だけアップしていたブログページに入稿します・・。