高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

人類は今もふたタイプいる・・。

2019-09-30 13:02:11 | 主義・主張

秋の日差しの午後です・・・。 つらつらとFacebook記事を見ていると・・・、関西電力の不透明なお金の流れやら、農薬のことやら、日米貿易交渉のでたらめや 消費税増税と法人税減税のことやら、次々と社会の不都合な真実問題ばかりが飛び込んで来る。そもそもそういった社会・政治問題に敏感な人たちをたくさんフォローしているからそういうことになるのですが・・、

ワタシが20代の頃もこういったことがたくさんあっただろうか・・と思ってしまう。あまり社会に関心がなかった、TVと新聞情報だけを見ていたから隠れて・隠してしまわれた社会問題に気がつかなったんだろうか・・・。 今の時代であったら、もっと自給自足がしやすい温暖な他国に逃げ出していたかもしれないなあ・・・。

そもそも人類は大きく分けてふたタイプがいると考えています。

ひとつは、そもそも自分が住み暮らしている地域を、自然環境を大切にしているタイプ、先住民タイプ。(台湾では先住民はすでに歴史上から消えてしまった民族をさし、現存している元々その土地に住み暮らしている民族を原住民と読んでいるのですが、ワタシがいう先住民は、台湾でいうところの原住民。 日本であればアイヌだろうけれども、200年も昔であれば、言葉も生活文化も異なる少数な部族的な先住民タイプは江戸のような首都以外の地域には、それはそれは多数存在していたと思う。)

もっとおおざっぱに分けるとすれば、縄文人はその土地に住み暮らすことを好む(人類生態として土着型)、弥生人や大和人は、自分たちの勢力・土地・財産を増やしてゆくことを好む(人類生態としては攻撃型)という二通りが存在するのだと思う。土着型は、攻撃型生態に馴染めずに流浪の末に自分が気に入った土地へ流入する土着タイプもあるだろう。わたしなんぞは、その部類ですね。

これは、それこそ人類先史時代からあって、滅亡された部族は多数いるだろう。しかし、それは精神性なものでもあって、争って奪うという精神的生態を持っていない人類なんだと思う。 当然に勢力拡大を生き甲斐にできる種族の方が土着型より強力であって、人類の歴史はそのふたつの種類の攻防というよりも、勢力拡大型に圧倒的に支配されてしまう歴史であった。

今言われる、グローバル主義も同様で、つまるところ勢力拡大主義であって、土着型はかなうはずもない・・・・。

アイヌがヤマトに土地を奪われ、同化させられていった歴史・状況と本質的には何も変わっていない・・・。

遺伝子組み換えであってもゲノム一部削除、ホルモンや農薬投与、農作物や畜産物であってもそれを拡大させたいのは、武力行使でなくても、結局のところ攻撃型なのである。

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そもそもここがプレイパークね。

2019-09-30 12:02:45 | 日記

日曜日(9・29)は、お天気だったので、倶知安に住む我が次女が孫ふたりを連れて遊びに来ていました。

ジジとしては、キャッチボールやら、火おこしさせられたりでエネルギーを使わされました。 が・・、多くの時間は自分たちで遊んでおりました。 それでも蒔きを投げたりするもんですから、安全管理に見守っておりました。

大きな石を集めて来てかまどづくりみたいな遊びをしたり、大きなネジクギを木に叩き込もうとしたりと勝手に遊んどりました。

彼ら(年少さんと小2)にとっては、ここ(自然学校)のフィールド自体が、自分で遊びを見つけられるプレイパークだなと、改めて思いました。 

前日は、フリースクールに通ったり、積極的?不登校の中学生男子3人が訪れて、薪移動積みをしてくれたり、今日は、専門学校の教壇に立っていた頃の教え子が訪ねてくれたりと・・・、 私たちがここに居るからこその、長年の居場所になっているなあとつくづく感じています。

自然学校を始めたのは、子どもたちの自然体験の場、担い手づくりが目的でしたが、隠れたるもひとつの目的は・・、

田舎を持たないアタシが、田舎が欲しくて移住したわけで、「新田舎づくり実践研究所 所長」なる肩書きを勝ってに作ってここで暮らしているわけです。 つまり・・、アタシはここに住み続けるのが使命なのであります・・・。

来年度からの運営はどうしようかと悩んでいる最中ですが、何にもまして、とにかく、この空間が維持できるようにしなくては。

              

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一日一善

2019-09-29 12:02:30 | 日記

私は、元来、怠惰なヒトでして、「これではいけない!」とつねづね思ってはいるのですが、なかなか身の回りのことができません。 ちょっと、気を入れ直して・・、で 草刈してますが、 刈払機の刃も付け替えて、燃料・オイルも充填したのに・・・エンジンがかからん・・・。

本日は、寝床周りの本棚を整理しました。 事務所の机周りはあいかわずです・・。 午後はやるかあ・・。

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居場所づくり

2019-09-27 11:45:08 | 来訪者

自然学校のインターネット環境づくりでお世話になっているODAさんが、WiFi環境改善のために来てくださいました。 彼のNPOの活動に参加している中学生を三人連れて・・。 半年前まではランドセルを背負っていたとは思えないような好青少年でありました。 ボラ仕事しないと飯ないよ、ということで、軒下にあった薪を日当たり風通しが良い場所に移動してもらいました。

また、元参加者の子どもであった どぐうちゃん(YMH)も休暇を使って京都から滞在。今は精神科のお医者さんです。彼女には千歳病院の森林療法時間でもボラをしてもらいました。

私は、自分の田舎がないもんだから、自分で田舎の居場所を創ろうと黒松内へ来て、なりわいとして自然学校を始めたのですが、こうして皆さんが訪ねてくださると、やっぱ居場所づくりは死ぬまで続けてゆこうと思うのでした。

自称、新田舎づくり実践研究所 所長ですから。

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来年度に向けて

2019-09-26 17:18:05 | 日記

9月25日

夏は終わりと告げるように、枯葉が舞始める9月すえ、鮮やかなサフランがドキッとするくらいに、元気をなくしてきた緑の中に咲いています・・・。 なにやら象徴的だなあ・・・。

ひさしぶりにスタッフ全員が揃いました。 来年度に向けて、そもそも来年度はあるのかを真剣に意見交換をしました。 私とスタッフの認識がずれていたために、にらみ合いのような結論がでてこない状況になっていたと気づかされました。

昨年、「夏の長期村の責任者は2019年を最後にする」宣言させられて(私にはさせられた感があり・・・)、自分自身も65歳までは頑張ると周囲には言っていたこともあり、スタッフとしては、高木が経営する自然学校は閉じる方向であり、それをどう受け取ってゆくかの大きな課題を抱えたままで結論に達しないというジレンマがあったようです。

私としては、この場(自由度が高く使える校舎と敷地)は確保し続けたい。 

この場は、黒松内町が自然学校運営協議会に貸与しているのだから、運営協議会そのものを解消することは、ここが使えなくなるということになるので(もちろん、責任ある使用主体が明確に別に存在すればということもあろうが、高木=経営責任者という信用で成り立ってきた契約であることも間違いないので、そう簡単なことではないだろう・・・)運営協議会自体の解散はない、ということを明確に表明しました。 明確に代かわりができるまでか、もうこれ以上、経営は無理というところまでは、御輿にのった役割でいるのが、いいのではないかね・・。

そのうえで、事業として何を継続して、何をやめるか・・・。

私自身は、来年度よりは個人年金で、なんとか暮らしてゆこうかと思っております。

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コズミックダンスとジョハリの窓

2019-09-26 14:45:01 | 来訪者

9月13-16日

毎年秋にご利用を頂いているコスミックダンスカンパニーの皆さんが、今年はきっちりと満月に合わせてご来校くださいました。当初、昨年からお願いされていたのに、ガールスカウトの団体予約を受け付けてしまって、ダブルブッキングとなり慌てましたが、ガールの皆さんが予定を1週ずらすことにご譲歩くださり、大きな混乱もなく実施の運びとなりました。

コスミックダンスカンパニーは、リーディング(いろいろな占い)やヒーリングや自己開発などスピリッチュアルなイベントをする人々の集まりです。その中心人物のJUJUとは、もう20数年来のお付き合いなのです。

昔昔、30代中半頃に会社を辞めて自然体験活動を生業として始めた時に、私はすぐに大きな壁にぶち当たりました。 それは、他者とのコミュニケーション力の欠如でした。 子どもの自然体験活動と言っても、子どもだけが対象者・相手ではなく、彼らの親御さんがいる。泊りがけでの登山活動やネイチャーツアーでは、当時の私にとっては30も年上の自分の親のような世代の方々と時を共にする・・。これはやって行きたくても、私には無理だなあと感じたことがありました。 それを解きほぐしてくれたのが、JUJUとの出会い、そして、それがあったから、アイヌの故萱野茂さんや屈斜路湖のattoiさんとの出会いもうまれたのだでした。

出会いの順番がどうだったのか、記憶が定かでないのですが、いい機会なので思い出し整理してみると・・・、

自然体験活動を生業として始めたのは、札幌社会体育専門学院という専門学校の経営・教壇にも立っていた30代中盤でした。体験活動のお客様もそうでしたが、毎日学校で顔を合わせるハイティーンのやんちゃな子もいる学生達の扱いにも自分のコミュニケーション能力不足を痛感していました。・・・・・、うーん、何が最初のきっかけだったんだろうか・・・、

たぶん、当時の登山のお客様だったYSRさんからブリージングセラピーというのを教えてもらいその体験に参加したのが始まりかな。その講師のINKさんからのつながりで、SKIさん(Return to innocentという曲を教えてくれた)、そしてコスミックダンスセラピーのJUJUを紹介してくれたのが順番ではなかったかなあ・・・。 それをきっかけに、アメリカンネイティブ(インディアン)のスウェットロッジのSTOさん、EIMYさん、アイヌの人々に出会っていったという順番だったかなあ・・・。

私は、喜怒哀楽が激しい父親の元で育ちました。今時だったらアレは、折檻というより虐待だったんじゃあないかというコトもしばしばありました。しかし、一方では猫っかわがりもされるという中でいたので、人との距離のとり方が幼少期にうまく育まれなかったのではないかと思います。社会に出てからの最初の社長からもいつも怒鳴られていた、自分の業務の貿易デリバリー(輸送)仕事では、とにかく業者をどやしつけて貨物を早く輸送しろと教えられ、その通りにもしていたこともあります。という具合だったので、専門学校でもやんちゃな学生とは力と力のぶつかり合いになっていました。

 なので、基本接客業でもある自然体験活動など転職起業して、即、向いてないないと、コミュニケーション力欠如の壁にぶち当たったのでした。

その時にであったのが、これらスピリッチュアル系なセラピーでした。 特にコスミックダンスは、その名のとおりダンスセラピーなのです。 Return to Innocent つまり、無邪気になりなさい・・・。 渡されたバラの花と踊ったり、他の生き物になったりと身体を自由に動かす活動によって、自分に身についた鎧のように固いものが徐々に取り除かれてゆきました。と同時に環境教育という概念にも出会い、他者との関わり方も変わってゆきました。 コスミックダンスで解きほぐされていなければ、環境教育という分野を自分に取り込むことも、アイヌのみなさんとのつながりもできなかったかもしれない・・。

と、いった人生の大きな転記をサポートしてくれたのが、私にとってのコスミックダンスでした。

心理学のジョハリの窓という考え方に照らせば、まさしく「閉ざしたこころの窓」を自己開示によって開いて行ったという感じを自ら体感したということですな。

そして・・、今回の参加者のMSBさんがAttoiとのつながりがあり、近々一緒にお会いにゆくことになりそうです。

さらに、開かれるかあ・・・!!??

 

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ガールスカウトのキャンプ受け入れ

2019-09-25 12:59:06 | 日記

9月21-23日

ガールスカウト札幌地区協議会の設立70周年の記念キャンプが自然学校で開催されました。 100名ほどが来校。体育館にも避難所体験のような感じで宿泊。 同時期にボーイスカウトの団体も町営キャンプ場に滞在したそうです・・。

スカウト活動はイコール野外活動という偏見?が私にどうもあるようで・・、実のところガールスカウトは、インドアな活動やボランティア活動が多いそうで、ハエや虫にもびっくりしている都会の少女たちでした。

なにしろ女性ばかりで、うちの男性職員はお休みだったので、男ひとりの三日間でした。

さすが、ガールのイベント、女性ならでの気配りがテーブルの飾り付けやらお掃除などに随所にありました。 時間割スケジュールがびっちりで、うちのキャンプとは随分と違う雰囲気でしたが、年上の子が年下の子の面倒をたいへん良くみていました。

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千歳病院森林療法時間

2019-09-25 12:57:52 | 日記

9月24日

千歳病院の森林療法時間へ出張。 年二回だけの開催なのですが、認知症の患者さんが主な対象の作業療法の一環と位置づけられています。

周囲150mほどの周回路がある病院林が隣接されており、そこをゆったりと歩いて、声をだしたり気功もどきの体操をします。その間は15-20分ほど。戻ってきて、いつものように野外キャンプ道具をセットしたOchanova(お茶の場)で簡単な木工やお茶を飲んでわらわらのんびりとすごします。

今回は、先日、黒松内町でブナセンターが開催した森林療法時間で味わった野草茶セットをまるまる借り受けて。各人、野草をブレンドしてして楽しみました。

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読書の秋

2019-09-19 10:15:28 | 日記

読みたい本が溜まっています。 この颶風の王は、北海道の江戸末期から昭和にかけて150年、馬と共に生きてきた家族の物語。読み始めから、ココロを動かされる予感がありました。 根室の小島に今も残されて野生化している馬は、元々は昆布料の使役として夏だけに島に渡されていたそうです。断崖絶壁に囲まれた小島の唯一の上陸道が崩壊し、馬を返せなくなった、そんな実話を元にしたフィクションです。  感動ものでした。

続いて、先日のコスミックダンスカンパニーのイベントでアイヌ話をして頂いたMSBさんよりご紹介を受けた、蝦夷の英雄アテルイの小説を入手。これに読みかかろうとしましたが・・、

          

北海道アイヌのクナシリ・メナシの蜂起を題材にした「蝦夷地別件・船戸与一著」に二度目なのですが、手をつけてしまいました。

さらには、東北・蝦夷氏(この場合は,えみし)とも言われる奥州藤原四代記の「蒼き蝦夷の血」も手に入れました。

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あれから2年。

2019-09-16 11:42:51 | 日記

2年前の今日は、入院していた病院から一時外出許可が出て、3週間ぶり位に家に戻ってきた日だ。

車に轢かれて背中側の肋骨を多数折ったり、ヒビが入り、室蘭の病院に入り緊急手術を受けた。かなりたくさんのチューブをカラダにつけて1週間ほどは集中治療室に入っていた。本人は、救急車で運ばれている時から「死ぬ」とはもうとう考えてもいなかったが、痛かったなあ。。。傍目から見れば生死の境だったようだ。

ともかくも合計で1ヶ月ほどで退院し、今では、ガイドもしているし、身体はギクシャクはしているものの、日常生活には支障はない。 生きているということは、ありがたいことだ。

 

 

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