秋の日差しの午後です・・・。 つらつらとFacebook記事を見ていると・・・、関西電力の不透明なお金の流れやら、農薬のことやら、日米貿易交渉のでたらめや 消費税増税と法人税減税のことやら、次々と社会の不都合な真実問題ばかりが飛び込んで来る。そもそもそういった社会・政治問題に敏感な人たちをたくさんフォローしているからそういうことになるのですが・・、
ワタシが20代の頃もこういったことがたくさんあっただろうか・・と思ってしまう。あまり社会に関心がなかった、TVと新聞情報だけを見ていたから隠れて・隠してしまわれた社会問題に気がつかなったんだろうか・・・。 今の時代であったら、もっと自給自足がしやすい温暖な他国に逃げ出していたかもしれないなあ・・・。
そもそも人類は大きく分けてふたタイプがいると考えています。
ひとつは、そもそも自分が住み暮らしている地域を、自然環境を大切にしているタイプ、先住民タイプ。(台湾では先住民はすでに歴史上から消えてしまった民族をさし、現存している元々その土地に住み暮らしている民族を原住民と読んでいるのですが、ワタシがいう先住民は、台湾でいうところの原住民。 日本であればアイヌだろうけれども、200年も昔であれば、言葉も生活文化も異なる少数な部族的な先住民タイプは江戸のような首都以外の地域には、それはそれは多数存在していたと思う。)
もっとおおざっぱに分けるとすれば、縄文人はその土地に住み暮らすことを好む(人類生態として土着型)、弥生人や大和人は、自分たちの勢力・土地・財産を増やしてゆくことを好む(人類生態としては攻撃型)という二通りが存在するのだと思う。土着型は、攻撃型生態に馴染めずに流浪の末に自分が気に入った土地へ流入する土着タイプもあるだろう。わたしなんぞは、その部類ですね。
これは、それこそ人類先史時代からあって、滅亡された部族は多数いるだろう。しかし、それは精神性なものでもあって、争って奪うという精神的生態を持っていない人類なんだと思う。 当然に勢力拡大を生き甲斐にできる種族の方が土着型より強力であって、人類の歴史はそのふたつの種類の攻防というよりも、勢力拡大型に圧倒的に支配されてしまう歴史であった。
今言われる、グローバル主義も同様で、つまるところ勢力拡大主義であって、土着型はかなうはずもない・・・・。
アイヌがヤマトに土地を奪われ、同化させられていった歴史・状況と本質的には何も変わっていない・・・。
遺伝子組み換えであってもゲノム一部削除、ホルモンや農薬投与、農作物や畜産物であってもそれを拡大させたいのは、武力行使でなくても、結局のところ攻撃型なのである。