台風がきそうですが、消えてしまったようで、海は穏やかでした。 20210729-30の1泊2日で、「身内キャンプ」を実施しました。2年前の夏は7-8月の3,4週間をまるまる主催長期体験村を開催していたので、違うタイプのキャンプや受け入れ活動はできませんでしたが、昨年からなくなったので、短いキャンプをいろいろと実施している今年です。
2021になっちゃったけどね、東京オリンピック2020が開幕されました。 コロナウィルスの感染防止宣言下であり、日々感染者が増加している中での開催です。 開催に賛否がありましたが、IOCもJOC,政府も聞く耳持たずで開催の運びとなりました。 私も開催すべきではないという考えではありましたが、政府曰く「開催されれば国民は競技に熱中する・・」みたいな側になって、テレビ観戦をしています。
前の東京オリンピックは1964年。私は小学4(5?)年生だった。 太平洋戦争終戦から19年。まさに戦後復興の象徴であり、東京には高速道路が完備され、東海道新幹線が開通し、都市開発ゆけゆけの時代でした。子どもから大人まで千国民が熱狂した一大イベントでした。 市川崑監督の記録ドキュメント映画は、たぶん日本中の小学生が鑑賞したんではないだろうか。 カラーテレビもこれを契機に一般家庭に大々的に普及しましたね。 戦後テレビの普及とともにアメリカドラマが大量に放映されました。これは、日本人の西洋洗脳化のためにGHQが日本のテレビ局の無償で提供したらしいです。ホームドラマである奥様は魔女、絶対的アメリカ正義の西部劇、戦争映画コンバットなどなど 私達世代は西洋人の素晴らしさを映像で刷り込まれたもんです。 だから、画面を通してですが、生身で活躍する外国人に驚愕したなあ。 水泳のショランダー、陸上のヘイズ、柔道のヘーシングなど記憶に貼り付けられたスポーツ選手が数々いますね。
そんな時代経験がある世代の私は、どーしても先の東京オリンピックと比べてしまいます。 芯から感激感動をもって感染できないのが切なくもあります・・。
この一大イベントによって、コロナ感染者も爆増するという予測もあります。 それだけは、どーか外れて欲しいものですね、
2年前の夏のはじまり、今頃には、海外からのボランティアスタッフが集まり、すでに夏休み長期自然体験村の開催準備に入っていました。 20年つづけた活動で長い時は4週間キャンプを実施していました。 コロナがあるにかかわらず、2019年を最後にして終了しました。 最大30人の子どもを募集し関わるスタッフ数も20数名で、毎日、海へ、山へ、農場へとでかけて体験活動をするので、スタッフ数も多く必要でした。
初めの頃は日本の大学生がボランティアで参加していましたが、大学の授業や試験が八月に掛かるようになり、日本人わ若者を集めるのが難しくなり、その頃から徐々に海外からの若者を募るようになりました。台湾の大学との実習契約もし、国際ボランティアネットワークともつながり、スタッフの半分10数名は海外勢という構成で運営体制が定着をしてゆきました。しかし、彼らを集めるネットワークは日頃から維持していなくてはなりませんし、なにかと手間暇がかかりましたが形が整ってゆきました。
3週間も合宿生活すること自体が大きな体験活動です。開始した時期はそのような経験がありませんでしたから、それはそれは大変でした。 いろいろな事件も起こりましたが、大きな事故やケガもなく過ごせたことは私自身にとっても得難い体験でした。 3年目くらいに大きなプログラムラインができあがりました。
1週目 子どもたち同士、スタッフと子どもも初対面です。どんな人がいるかをお互いに知り合う期間。そのために、海山川と、全員が同じ場所へゆき同じ活動をします。 最終には太平洋から日本海までの40kmウォークをしました。歩く行為は個人技ではありますが、全員が同じ目標を持って歩くので、終了したあとには、おれたちは仲間ダァという全体感が高まりました。
2週目 小グループで別々の場所で活動をします。 自然学校にはどんな道具があるのか、自然学校の周りにはどんな場所があるのかを体験してゆきます。 この2週目は疲れが出てくるので、子供同士のいざこざが発生したり、スタッフ間の連携がギクシャクすることもあるので、心身の微調整が必要になります。 この週は、第3週のメーンイベントであるチャレンジプログラムへの前哨戦となります。3週目は、自分でやりたいことを決めて仲間を集めてグループを作り、2泊3日の活動をします。 それを意識づけながら、第2週を過ごします。
3週目 個人個人でやりたいことを発表しながら、グループを構成してゆきます。スタッフが厚い夏は(人数が多く技量もある)2-3人の活動も許可しましたが、通常は5-7人で5班くらいの活動に集約してゆきます。このグルーピングに長いときは3日かかりました。そのうえで、行動計画、食料計画をつくり、運営スタッフから実施OKをもらいます。
なかなかユニークな活動がたくさんありました。その報告書が廊下に張り出されています。けっこう壮観だなあ。記憶に残る活動は・・
・一輪車で旅する企画
・砂浜に露天風呂を作る「ビーチミックス」(お湯にさまざまな物質を入れるのでついた名前)
・大学ワンダーフォーゲルがゆくような山奥の天然露天風呂探検
・打ち抜き井戸掘り
・川の源流から海までの「ガールズウォーク」
・カヌー三艇を連結して台座をつくりその上にテントを張り過ごす、「水上生活」
・パフォーマンスの踊りを作って披露しながら移動する「大道芸人の旅」
・出会った人と物物交換しながら移動する「わらしべ長者の旅」
・昼寝て夜だけ歩くという 「ロングナイトウォーク」
そして、4週目は道外からの子どもいたのでオプションで、北海道の道東や奥尻島でのキャラバンキャンプをしたこともありました。
運営コンセプトは、「全開遊び」と「大家族」。スタッフ合計50名ほどの3週間。それはそれは熱く暑い夏でした。私が力づくでリスクを背負って、育ててきた活動ですが、夏休み期間中は別な活動や受け入れもできないこともあり、現スタッフに運営委譲したこともあり、2019年を最期に思い切って長期村の歴史を閉じることになりました。
1ヶ月間、大家族のように過ごす夏は、エキサイティングなものでしたので、今は無くなってしまい、寂しさもあります。しかし、まあ、私自身も歳をとりました・・・、もう10年くらい前になりますかね・・、子ども数人を連れての海岸歩きのプログラムをしました。ロープも必要、断崖をよじり、泳ぐこともする活動なのですが、サポートしていて、「もし、この子がここで滑ったら止められないな・・」風が出てきた泳ぎの必要な箇所で若いスタッフがいなければ先導してゆけない」ということありました・・。 気合だけでは子どもを守ることはできないので、その次の年からは通称:ロックビーチ歩きは止めました・・。
さらには数年前からは毎晩9時くらいから開かれるスタッフミーティングまで体力が持たなくなっていましたし、多少リスクのある冒険的な活動の現場ディレクターもできなくなりましたので、致し方なしではありますが・・。
放射性ゴミ最終処分場づくりは国の基本政策となっています。 原発を止める止めないにかかわらず、すでに核燃料廃棄物は膨大な量を抱えている日本であり、プルトニウムの再処理システムもすでに見通しの立たぬことになっています。すでに青森で保管されている物質も国は青森から移動させるという約束もしていますし、廃炉となる原発からも膨大な高レベル放射性物質が出ることは避けられません。 それらは最終処分場(国は燃料棒だけだとは言っていますが、)に地下埋設されるのは、ありとあらゆる廃棄物が持ち込まれることは、容易に想像できます。
その処分場への(事実上の)誘致にわが町(黒松内町)の隣町寿都が名乗りを上げたことはすでに全国から注目を集めています。 処分場決定へのプロセスは三段階あって、まずは処分地に適切であるかを過去文献から調査する文献調査から始まります。これをクリアーすると、実際にボーリングなどをする調査、さらに建設設計が妥当かと調査することになっています。 国は処分場を造ることが絶対国策としていますから、名乗りをあげたかぎりは絶対に手放さいでしょう。
この第一段階の調査を受け入れるだけで特別な交付税が地元に付加されます。その額はなんと2年間で最大20億円です。しかし、その全額が当該町村にあたるわけではなくて、最大5割であり、残りは近隣町村に交付される枠組みになっているのです。 文献調査を同じく受け入れた神恵内村の隣接3町村は交付税を受ける決定がなされました。 寿都町に隣接する、我が黒松内町、島牧村、蘭越町については、8月4日に協議会が開かれることになったとの報道がありました。 協議会とは、どうも各町村長が集まって交付税を受けるか否かを協議するらしいのですが、これまた町村長の専決事項なので、下手をすると寿都町のように明確な民意が反映されないこともあり得るのです。
幸いにして、3町村ともに、核ゴミ受け入れ禁止条例を創った経緯がありますから、議会を無視してまで町長が専決することはなかろうかと思いますが、当町の知り合いの議員さんに尋ねたら、「拒否するとは思うが・・、ことは政治ですから、なにがあるか余談はゆるさない・・」との回答でした。
要望書なりを文書でいち町民として、役場に出しておこうかな・・・。
それにしても、札束で顔をなでるような国のやり方に憤慨だ!!!
もう既に、全国的な話題となっている、放射性廃棄物・いわゆる核ゴミの最終処分場建設への調査が、当黒松内町の隣町寿都町と車で1時間程離れた神恵内村で始まっています。 この調査を受け入れるだけで20億円と言われる交付税は補助されるのですが、その全額が当該町村に落ちるのではなく、半分は周辺町村に配られる仕組みになっています。 神恵内村周辺の3町が交付金を受ける名乗りを上げました。もともと泊原発がある地域ですから、原子力に精神的な免疫をもっているのでしょう。すんなりと決まったようです。 寿都町の隣町である黒松内町、島牧村、蘭越町ではそれぞれ核ゴミ受け入れ拒否の条例成立がされた(準備されている)ので、まさか、受け入れることはないでしょうが、8月4日に交付を受けるか否かの協議会が開かれるそうです。たぶん、各町村長と議員さんが参加して意思表明されるのでしょうが、ここにも民意を問うての会合ではなさそうです。 黒松内町の拒否決断を断固望むしだいです!!
北海道に移住して46年。こんなにも暑い夏があっただろうか!! 連日30度超えです。 大学受験当時の大昔、千葉の家での暑さを彷彿させます。ジッとしていても汗ばむ低温サウナ状態が続いています。 朝夕は涼しくなるのが救いの北海道ではありますが・・。 小さな畑には毎日水をやらんと、暑さに萎れてしまいます。 プロの農家は干ばつにならんかと心配です。 ナスやブロッコリーはたくさん届くので、どうも豊作で、彼らは暑さに強いのだな・・と知る。
定年退職したわけではありませんが、以前より時間があります。 校舎周りには、整備しなければいけない場所はいくらでもあるのですが、そういうことはコツコツとやることが苦手なアタシは、コロナ禍で遠くに旅にはいけませんが、MRKさんにお弁当作ってもらって、時々ドライブピクニックにでかけています。
210712は、数日前に洞爺湖温泉街にアウトドアグッズのお店が新規開店したとの情報を得たので、水活動用の靴を手に入れようとの目的で洞爺湖方面にでかけて来ました。 しかし、なかなかおしゃれなアウトドア用品を扱っているお店で、欲しいものはありませんでしたが・・、ひさしぶりに洞爺湖近辺をブラブラとしました。
洞爺湖湖畔でひとりランチ。
国道を太平洋側にゆくと、豊浦町に入る手前の岬高台に展望台があり気になっていたので、行ってみました。 きれいに整備された展望公園で、30mほどの塔があり、この日は曇ってはいましたが、太平洋と眼下の豊浦町など展望はよろしい場所でありました。