今、のめり込むように読んでいる本。
人間の卵子が受精してから生まれてくるまでの細胞の変化やカラダが形成されてゆく過程が書かれています。
この本を中高生くらいの時に読んでいたら、人生が大きく変わるような気がした。 まっ、けっこう大人になってからここに書かれているようなことの神秘さ、不思議さ、奇跡さに気づいたから・・、今のアタシがあるので、結局おなじことかいな・・・。
今、のめり込むように読んでいる本。
人間の卵子が受精してから生まれてくるまでの細胞の変化やカラダが形成されてゆく過程が書かれています。
この本を中高生くらいの時に読んでいたら、人生が大きく変わるような気がした。 まっ、けっこう大人になってからここに書かれているようなことの神秘さ、不思議さ、奇跡さに気づいたから・・、今のアタシがあるので、結局おなじことかいな・・・。
台湾からの親子滞在のお二人と隣町蘭越の農家、下島さん宅へ訪問交流をしました。お近くで新規就農でイチゴなどを作っている牧野さんも来られて, 焚き火で棒パンを焼いたり、台湾の自然の話や下島さんよりは後志で増えているアライグマについてのプレゼンをしてもらい、交流をしました。
自然の中での交流コミュニティはなにも自然学校の専売ではなくて、さまざまな形態で星の数ほど現れること、それらがお互いにネットワーキングしてゆける社会づくりを続けてゆきたいものです。
黒松内の図書館へ行って、アイヌ関係の書籍を探していたところ、「痛みのペンリウク~囚われのアイヌ人骨」という本を見つけました。
日高平取コタンの首長だったペンリウクの遺骨が学者達にそれが北大の研究室の倉庫に他のアイヌ遺骨1000体と共にあることがわかり、子孫が遺骨返還を求めてゆくことが書かれた本でした。 その記述の中で平取にも入ったイギリス宣教師のバッチラー塞いのことを改めて知り、バッチラー夫婦は伊達にも関わりがあったことがわかりました。
そして、バッチラーさんが建てた教会が伊達にあるということも知り、27日に室蘭の通院の帰りに探してきました。 ナビがうまく導いてくれなくてちょっと右往左往しましたが、伊達善光寺の近くでみつけました。 有珠山の凝結集塊岩のブロックで建てられた趣ある建物でした。記念館になっていますが、中は一般公開されていませんでしたが、時代を経て会うべきものに出会えた感がありました・・。
そして、バッチラーさんの養女になったアイヌ民族の歌人でもある八重子さんのことも知りました。
作秋に台湾の国立先史博物館のフォーラムに平取のアイヌ文化伝承を仕事とされているYさんやアイヌ協会の副理事長のAYさんと招かれ訪問をしたことをきっかけに、平取のアイヌ文化の森づくりプロジェクトに関わりを持つような流れのなかに今年はありそうです。
紐解くように、アイヌ文化に関わりのあることが、つながってゆくことに心地よさを感じています。 バッチラー夫妻については、次をご参照くださいな。
[発行日]=2001年1月10日 道新コラム改訂版
[見出し] 森の生命力 困難乗り越え 高木晴光(自然遊びのすすめ)/北海道
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遠くに見えた! 彼は、深い新雪の中にしっかりと立っているようだった。とりあえず、ほっとした。雪が降り積もり、笹(ささ)や潅木(かんぼく)が埋まる雪原にならないと、彼のそばには近づけないし、見ることもできないのだ。スノーシューを履いても、膝(ひざ)までもぐるフウァフウァな雪をけ散らし近づいて行った。「一年ぶりだなあ。元気にしてたねえ」と見上げる。すると、彼に今回も会えたことに「感謝する」気持ちが自然にわいてくる。ありがたいことだ…。
「彼」とは、定山渓の山奥に住んでいる僕の友人、ハリギリの年寄りで、雪の上でも胸高直径が一メートル以上はある巨木だ。彼がすごいのは、頭上の大きな枝にある。人が胸に手のひらを置いた時の肘(ひじ)と同じように曲がっているのだ。若い時に、落雷か、隣の倒木のためか、とにかく大きな事故に遭い、枝が折れたらしい。それを自ら治癒した姿なのだ。
初めて彼を紹介する人には、「よくがんばったね」と声をかけ、そっと触れながら一周してもらう。すると…、だれもが彼の本当のすごさに感嘆の声をあげる。実は…、彼には年輪がないのだ!? 中は大人が入れるほどの大きな祠(ほこら)、空洞になっているのだ。生命力のすごさを実感する瞬間だ。
この森には、こんなすごい連中がたくさん住んでいる。コブが百目のようにあるハルニレのおじいさん、先端が三つもあるトドマツのおばあさん。さまざまな困難を乗り越え何百年も生きてきたのだ。だから、この森に入るとたくさんのエネルギーを分けてもらえる。彼らを大事にしたいと切に思う。そして、そんな大切な友達に支えられ、僕もだれかに元気を分けながら、今年も生きてゆきたい。
(北海道自然体験学校NEOS 高木晴光)
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この感性を取り戻したいな・・ためには森にゆかねば!!
今日も三月中旬並のお天気とかでプラス気温でした。「週末からは真冬並みの寒さになるでしょう」と天気予報が言っています・・、えっ、今が真冬だろうに!!って、返したくなります。 いったい残りの冬はどうなるのだろうか・・・。
で・・、春のような日差しを浴びて、私のまさしく座右の銘が机の上で輝いています。
風と往き来きし、雲からエネルギーを取れ!!
宮沢賢治さんの言葉です。こういう姿勢と態度で生きてきたはずなんですが、ここのところ、うまく受け取れないなあ・・・。 北海道のあちらこちらを飛び回っていた40代の頃、あちらこちらで実際にそんな場面に遭遇した。空の雲からだけでなく、 屈斜路湖畔の霧なかで水面のさざなみと会話し、魚が跳んでカゲロウを捕獲するのを見た。 バケツの中で捕られたホタテが怒って私の顔に塩水をかけた。円山の森で念じたら大枝が折れた・・、森で背後から視線を感じ振り向いたらヒグマがいた・・、冬の怒濤の波打際で乱舞した・・・などなど不思議で濃い自然エネルギーを感じることができたなあ・・・。
そいいった身体感覚感性は衰えがあるだろうが、何よりもまして、そういったアンテナを建てないことにはエネルギーは受け取れない・・・(ということはわかっている)
感覚器官を整えたいね・・・。
演劇ワークショップと私は勝手に呼んでいますが、そのファシリテーターの第一人者である大野さんの「スポーリン即興ワークショップ」が、なんと比較的参加しやすい日曜日に開催されます。 このワークショップはオススメです。
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私が、サラリーマンを止めて自然体験活動を生業にしようと決心したのは、30代後半でした。もっと若い頃から子どもの自然体験活動の仕事をしたいとボンヤリと考えていて、20代に一度独立しようと思ったことがありましたが、ツテも技術も人脈もなくて諦めたことがありました。 大学を卒業して貿易会社に就職し8,9年ほど勤めましたが、その会社の社長と折り合いが悪く、とあることで対立してしまい辞表を出しました。(妻も幼子もいるのに、後先考えずに衝動的でもあったので、幼子の寝顔を見て涙したなあ・・・)ま、にしても
金はないが、半年位は旅でもして人生を考え直そうと思っていたのですが、幸いにしてKMSさんという上司であった方の仲介で私を拾ってくれる人が現れて、辞めた二、三日して、不動産開発会社に拾われました。 そして、健康レジャー産業不動産開発を担当して、その一環でスポーツクラブの設立と運営を担当しました。そこで子どもの水泳教室を始めて、通っていた子どもを対象に夏休みに自然体験キャンプを行ったのが、有料での体験活動が初でした。その後、例の経済バブルの崩壊の真っ只中に放り出されて、不動産会社も辞めたのですが、その時に改めて自然体験活動を生業にしようと決心したのでした。
私の想いを受け止めたくださった専門学校の経営者KKCさん(スポーツクラブのインストラクター養成)が現れ、傾きかけていた専門学校の経営立て直し仕事を条件にアウトドアインストラクターの養成コースを立ち上げたのでした。 そして、その一環として、学生の実習の場を兼ねて北海道自然体験学校NEOS(Nature Experience Outdoor School)を設立したのでした・・・。
しかし・・、実際にプログラムを企画・運営してみると、即座に自分の限界に気づかされました。 スポーツクラブでは現場支配人仕事でしたので、直接お客様と対峙することはほとんでありませんでしたが、自然体験活動では、私自身がインストラクター・案内人になり現場に立たねばなりませんでした。 子どもの活動であっても、当然にお金を払ってくださる人は親御さんです。ネイチャーツアーでは、自分より20も30も年上の中高年齢が対象です。 自分のコミュニケーション力の拙さに直面してしまいました・・・。 自然体験活動は、自然の仕事であっても、仕事の対象者は人なのです。まさしく人相手のコミュニーケーションサービス業なのです。
(前置きが長くなりましたが・・・)
転職時もそうでしたが、私の人生の転機には、都度都度に人生の導き人が現れてくれます。 この頃に、SKIさんという方が現れて、コスミックダンスというセラピー(??なのか?)に誘われて参加しました。 ざっくり言うと・・、ダンスなどの身体表現をして自分を解放してゆくというような体験活動なのですが、ココロの自己開示をしてゆくことができるのです。それをきっかけにして、いままでお付き合いをしたことがなかったような方々とのコミュニケーションが徐々にできるようになり、ブリージングやサイコなどのセラピーへの参加、アイヌの人達とのお付き合いなどが始まりました。
その中で、出会ったのが、演劇ワークショップです。 演劇人が表現力を養うためにするトレーニング方法をベースにした活動です。 自然体験活動のインストラクターや自然案内人(インタプリター)の素養として表現力は必要不可欠なものです。 私自身が自分のコミュニケーション力を高めていけたと実感しているので、(人にもよるでしょうが)、間違いないトレーニング手法です。
有名な(開かれたココロの窓を大きくするとコミュニケーション力が高まる)というジョハリの窓の概念から言えば、演劇トレーニングワークは、隠した自分のココロの領域を間違いなく広げる活動です。
(と、さらに前おきが長く長くなりましたが・・・) その大野先生が主催するワークショップのご案内です。
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「ヴァイオラ・スポーリンの即興ワークショップ」
アメリカのインプロのルーツであり、演劇、教育、セラピーなど幅広い分野に影響を与えた
ヴァイオラ・スポーリンの即興を学ぶ1日ワークショップです。
空間が立ち上がり、場所や物との関りからストーリーが現れる
スポーリンの即興世界をぜひご体験ください!
(*演劇、インプロ経験問わずご参加いただけます)
日時:3月1日(日)11:00-18:00
参加料:\6,000
定員:10人
場所:黒猫座(東豊線[環状通東]から3分)
問い合わせ・申し込み:thtr.game@mbe.nifty.com (大野まで)
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添付写真は、自己開示できるようになったアタシ。 ワークショップとは関係がありません・・・。
この冬は過去に希の暖冬少雪ですが、北海道に移住した40年以上前はもっと寒かったなあ。 自然体験活動を生業として始めた頃は厳冬期にも道東へもネイチャーツアーをしていました。 零下20度ともなると、釣り上げたワカサギがピチピチと氷の上に跳ねたかと思うと瞬間冷凍されたものでした。 そんな頃の思い出です・・・
[発行日]=2001年1月17日 北海道新聞夕刊コラムより 改編
[見出し] シャボン玉 凍り、水晶玉 高木晴光(自然遊びのすすめ)/北海道
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「そーっと、吹いてください。やさしくね」
彼女は、半信半疑の神妙な顔つきで、ストローに息を吹きこみ始めます。そう言った私も、一緒になって口をすぼませ、わずかな息を冷たい大気の中にそーっとはき出すまねをしています。ストローの先に小さなシャボン玉が現れました。 マイナス二十数度、厳寒の東大雪のピィーンと張りつめた大気の中で、七色の小さな渦巻きを幾つも回転させながら、シャボン玉は少しずつ大きくなってゆきます。直径十センチくらいになったところで息を止めると、その回転がヒューピタッと突然に止まります。
普通は、ここで先端をちょっと振るとシャボン玉は、空に旅立つのですが、この寒さの中ではそうはいきません。止まると同時に表面がパリっと瞬間冷凍されてしまうのです! 繊細で透明な水晶玉のできあがり。手袋の上から雪面に置くと、風に吹かれてコロコロと転がってゆくのです。「屋根まで飛ぶ」のではなく、「森の奥まで転がって」こわれて消えてゆくのです。ちょっとしくじると、上半分だけが消えてしまいます。
でも、それも小さなロウソクを灯(とも)したくなるような素敵(すてき)な氷の器(うつわ)となります。ミクロの薄さの氷は、ほんの少しだけ私たちに冬の自然の不思議さを楽しませて、こわれて消えてゆくのです。
ところで、シャボンって、いい響きの言葉ですよねえ。バブルや泡って言ってしまうと、うたかた過ぎて物悲しい感じがしますが、シャボンって言うと、壊れて消えても…、「いいよ!」って感じがしませんか? 一生懸命苦労して、ちょっとだけよい目にあって消えてゆく…。うーん、人生の理想だなあ!?
(北海道自然体験学校NEOS 高木晴光)
種々事情が重なりまして、SHU君が黒松内中学校卒業の三月までうちに下宿することになりました。
受験生でもあるので、どう接していったらいいんでしょう・・、などとあまり深刻には考えておりませんが、気兼ねなく過ごしてもらえたらいいなあと思います。
MRKさんの関心が分散されるので、アタシにとっては幸いかな・・・。