ガルーダはヒンズー教の神様です。 ワシと猿が合わさったようなお姿をしているのが特徴で、ゾウのガネーシャ様と並んで私が好きな神様です。 ガネーシャ像は高さ5cmほどの物を大切に持っていて自家用車の守り神にと車の中に大切に置いています。 それと同じくらいの大きさの像をずーと探しているのですが、なかなか巡り合えません・・・
先日カトマンズで止まっていたホテルのアンテークショップにずっと大きいのですが、なかなかすばらしいお姿の像にめぐりあいました。 お店になんども足を運び眺めていました。 裏に貼られた価格が書かれたシールには、崩れた読みにくい数字が L10000とありました。 ネパールのお土産品としてはお高いし重たそうだなと思い買うか買わぬか逡巡しました・・。1ネパールルピーは日本円で約1円。つまり10,000円だと思えばこのお姿のものはお安いと、ついに決断して、それを抱えて構えの良いレジテーブルに持ってゆきカード決裁をすることにしたのです。
で、決済数字を見ると、なんとL=ルピーと思った数字は4だったのです!! つまり、41,000 ルピー・・・、いやいや 410,000ルピー、すなわち41万円かあ!!!!
アブナイ、アブナイ、もうちょっとで決済してしまうところだったぁあぁ!!
長旅で、往復8時間もがたがた道のネパールの山間を車で走り、飛行機移動も多く、移動日以外も歩き回った10日間ですっかりと腰痛が定着しちまって、帰国以来はすぐに身体を横たえたりとぐたぐたと日を過ごしているアタシめです。
黒松内の積雪は例年ほどになってきたのでしょうか・・。離れの家の積雪が厚くなり玄関先が(崩落)危険なので、雪おろしをしたいのですが、でも、よじ登れるほどの落雪が壁面に溜まってはいません・・・。
台湾実践大学から女子学生がひとり半年の単位実習にやってきました。9月始業の前後期制の後期ということなので、到着が真冬となりました。体調をくずさないか心配ですが、我が家の離れに下宿を始めています。 主催事業も少ない冬なので、雪かき・お掃除とお手伝いみたいになりがちでちょっとかわいそうではあります。が・・、徐々に雪が溶けて春となり初夏を迎える季節の変遷は堪能してもらえるかな。 苗字が漢字ひと文字で「何」なので、ここでは、「なんちゃん」と呼んでいます。
スマホを落としたり、濡れたりさせてしまって、電話の音声が聞こえてもこちらの声は飛ばない、WiFi環境によっては機能しないなど不調になってしまったので、買い換えることにしました。先日、倶知安のDocomoショップまで1時間かけてでかけましたが、定休日でした。 再訪するのも億劫でしたので、ネットで購入することにしました。 そういうのは色々と面倒なので、うちの若い人にやってもらいました。 Docomoのパスワードがわからんなどあったのですが、なんなんとクリアーしてポイントも使って購入しました。 こういうことって、すでに自分でできなくなっちまったなあ・・・・。
夜は郷里の千葉西船橋泊りで、地元の親族と懇親をすることにしていました。当初は弟家族と予定をしていましたが、高齢の叔父(亡くなった母親の弟)が、普段はもう出歩かないのですが、「晴光が来るなら会いたい」とのことで、その親族一家、従兄弟夫婦等も集まり総勢10数人の宴会となりました。叔父貴は、我が一族の最高齢者となりましたが、元気そうで嬉しかったです。 帰りがけにハグをしたのすが、その感想を「高校生の頃に晴光を抱いて海に行ったことがあったが、それに比べてずいぶんと大きくなったなあ」と後日弟に語ったそうです。 なんだか妙に嬉しいもんだなあ・・。
2/17 かな?
カトマンズ最終日はSapkotaファミリー(ラディカの実家)とさよなら昼食会のはずだったんですが・・・、予定が変わって、ラディカの従兄弟なのかな?の婚約式に参列することになりました。
カトマンズ郊外の住宅地に車で宿から30分ほどかけてでかけました。たぶんこの家でも長男なのでしょうね。両家親族がたくさん集まっていました。3階建の立派な住宅で女性陣は料理の支度、男性は屋上でトランプ賭け事に興じていました。あいかわらず、いつ儀式が始まるのかわからないまま時間が過ぎました。そして、やっと仲人さんなのか坊さんなのかわからないのですが、式を進行する人が儀式を始めました。大きなウエディングケーキのナイフ入れもあったりで西洋風味が混じっているような感じでした。
私達はネパールカレーをごちそうになって、皆さんよりちょっと早めに宿に帰らせてもらいました。 過日のラディカ弟君の結婚パーティでも先に失礼させてもらったんですが、「楽しくなかったのだろうか!?」と親族の中で話題になったそうでした。 そうじゃあ、決してありませんよ。異文化体験は面白いのですが、同じ状況が長く続くと疲れちゃうんだなあ・・との年寄ですし、車いす利用者のMさんは、移動のたんびに皆さんが気を使って下さるので、それも気重になって気疲れしちゃうのです・・・。
2/16(たぶん)カトマンズへ戻る。
ポカラからカトマンズは陸路で8時間程。日本で言えば、東京と大阪のような二大都市を結んでいます。飛行機だと45分ほどで先日墜落したイエティ航空とブッダ航空が30分おきくらいに頻繁にそれこそAIRバスのようにとんでいます。10000rupee(≒10,000)ですが、ネパール人は3,000Rpなので大勢のネパール人が利用しています。 NEOSでトレキングツアーをやっていた頃からお付き合いをしている地元の旅行代理店For Seasonsの社長PJラマさんにお願いしてブッタエアで予約をしてもらいました。飛行場からのホテルの移動もハイヤーをお願いし、同じ運転手さんと車が配車されたので、楽ちんでありました。
旅も終盤。2/15 ポカラからサランコットという小山の上に立つアンナプルナビューホテルまで曇り空のもとハイヤーで登ってきました。人生のご褒美として5つ星ホテルです。高峰群が見れるかと心配しましたが、朝は見事に展望ができました。北斗・ラディカ夫婦もいっしょで贅沢をしています。ここは土産物屋も喧騒もなく、山だけ見ています。二十歳の時のトレッキングでデカイ山群に囲まれ山村を伝い歩き大きく人生観が変わり、オイラの人生の原点だったと、改めてかんじるなぁ。
チョータラとこの大木のある場所をいうのだったかしらん?
徒歩移動だけだったひと昔前のカトマンズには、このような石段で囲われた大きな木がところどころにありました。 荷物を背負った人々、ポーターが荷を降ろし休息するのにちょうど良い休憩場所でした。 今や都会となったポカラやカトマンズにもバイクや車の騒音の中にホコリにまみれてながらも残っていました。