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高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

中国からの研修生

2014-09-29 13:38:57 | プログラム 研修、講演等

NGO日中市民ネットワークとNPO日本エコツーリズムセンターがJICAの支援を受けて実施する「中国の自然学校ネットワークづくり」に2年前から参画しています。 その関係で過去2回中国各地を訪れました。 そして、今年は中国で自然学校を始めている2名を通訳の朱さんと共に、3週間の受け入れを黒松内ぶなの森自然学校で行います。 そして、三名が今晩到着しました。

すでに、自然教育事業を立ち上げ、パーマカルチャーの実践もしているようなマネージメントもしている二人なので、経営感覚のレベルは高いものがあります。ですから、私たちがやっていること、私の考えを説明しても理解力が高く、私の方も鍛えられます。 来週にはさらに8名の視察チームが1週間、来道し、道内のねおすが立ち上げた、現在進行中の自然学校群への視察ツアーも実施します。

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げんき市場9月(地域コミュニティ活動)

2014-09-28 15:47:24 | プログラム

二ヶ月ぶりの地域コミュニティ活動・げんき市場を開催。 厚い雲が空を行き交い、他の地域では終盤最盛期のジャガイモ掘りができない程の雨降りもあったようですが、ここ作開は、時折小雨がぱらつくものの、太陽も出る市場日よりでした。 今回は、事前にコミュニティカフェを経営していたSTAKさんをゲスト講師にお迎えしてスタッフトレーニングをしたので、軽食メニューはパウンドケーキやジンジャーティなど、ちょっと増えました。

 

いつもより地域の方の参加は少なかったのですが、フリーマーケット2店、森のようちえんを並行して実施したので、市街地から幼児さん8人と親御さんも参加されたので、合計30名くらいの人たちがやってきて、10時前から12時過ぎまで、秋の一日をおしゃべりを楽しみながら、わらわらと過ごしました。

 

森のようちえんでは、コミュニティふぁーむ第二農場でもある、自然学校のやんちゃっ子畑で、さつまいも、かぼちゃ、ズッキーニを探して、採って、薄く切り、チップス料理をしました。

最後には空中テントにも大興奮。

秋の一日を楽しみました。 次回は10月19日を予定しています。

お近くの方・・・、どうぞ。

18-19日はハイキング倶楽部あるっくぅも実施しています。 土曜日は余市の頂白山ハイキング。 その晩は黒松内にお泊りできます。 そして、19日(日)は、添別地区のぶな林の秋の散策です。市場を開催しているので、お昼は、秋空の下で芋煮でも・・するかな。

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朝から吠えます。

2014-09-27 11:46:18 | 主義・主張

 アメリカが結果シリア政権も支援しかねない形の「自衛」と称する空爆,艦砲ミサイル攻撃による戦争に突入した。 アメリがが起こす戦争で勝って負け側を意のままに支配できた成功体験は日本しかない。 泥沼化したベトナム戦争は事実上の敗北で、その後の近代ベトナム社会は見事に発展している。あれだけ追いやられたアメリカ先住民も自治権のある領域を小さくとも確保している。このところの安倍政権と経済・財界の動きは、百歩譲って意図的ではないとしても、アメリカスタンダードに結果合わせる、支配されたままのようで、まとこに遺憾である。 何が「戦後レジュームから脱却」なのだ!

 TPP交渉は、なんとか日米の折り合いをつけようとしているが、日米の経済・財界と政治の権力者達が目指しているのは、日本の農協・農業制度の解体だと思う。日本の農協の善し悪しは別にしても、貿易や為替相場、保険・金融で儲けるグローバリズムの人々にとっては、日本の農協の仕組みは邪魔な存在だろう。日米の権力者達はその解体を目指している。

 歴史を冷静に振り返ってみれば、吉田茂内閣から始まり、自衛隊の創設から国鉄解体への流れを大きな機会とし、時間をかけて日教組も弱体化させ、労組も事実上支配した。右翼と左翼も意図的に生み出したのではないかとさえ思う、そして、長い年月をかけて操り易くしてきた。

 その60年超の年月の日本近代史の中で私は生きてきて、還暦を迎える。 団塊の世代が自らの意図ではなく人口が多いからこそ最後に引き押す、超高齢化問題と続く人口減社会の問題、次の先頭に位置しているのが昭和30年前後にいる我がアラ還世代だ。

 我が世代は次世代に社会変革の継続を上手にバトンタッチする責務がある。

 「定年して何を楽しもうかなあ」なんてしていたら、年金も突然カットされたり、原発再稼働したって電気代はきっと上がってゆき、物価も安定せずに上がっていくよ。

 このままでは、アタシ達が本老人時代にホントに日本の社会格差は広がり、1割2割の裕福層とあとの民衆社会に落ち行くよ。そうなったら、それは悲惨だよ。呑気に老後を考えたらダメだよ!

 アメリカに一番洗脳されてきた世代なんだから。 洗脳を解かんといかんと思う。

安倍くんも石破くんのように洗脳されたまんまか、あるいはアメリカ権力と屈託じゃあダメだよ。安倍くんとは別のもうひとつの代替ストーリーで戦後レジュームの脱却をせんとな。

今の政治権力者達は、皆、アタシ達と同世代。経済界を牛耳っているのは上の世代の特権階級覇権経済の人たち。ちなみに志位くんも高校の同級生なり。

 

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弘法大師と赤ねずみ

2014-09-26 17:33:25 | プログラム ガイド

 昔、昔・・、北海道が蝦夷と呼ばれていた頃にも和人達は、ここ寿都・黒松内にも住んでいました。 和人たちは、アイヌが神様から授かりものとして捕り、大切な食料としていた海山の生き物達をたくさん獲り、お金に替えるようになりました。 そのため、いさかいも増え、人心が乱れ、争いも多くなっておりました。 それを聞いた弘法大使様は、たいそう心を痛め、仏の教えを広めようと船に乗って蝦夷地へ旅立ったのでした。

 ところが、ベンケベツ(弁慶岬)の沖合で大嵐に合い船は難破し、弘法大使様は海に投げ出されてしまいました。 荒波に揉まれながらも、息も絶え絶えで寿都の浜に打ち上げられたのでした。 運良く、アイヌの娘に助けられ、アシ・ヨシに囲まれた朱太川下流のアイヌに身体を休めることができました。そして、アイヌの娘の2晩もの看病のすえ、すっかりと元気になった弘法大師様は、寿都の町へ教えを広めに行こうと身支度をはじめました。 ところが、あれま、大事なお数珠がないことに気づいたのでした。 はてや困ったとあたりを見回すと、お数珠にしては大きめですが、胡桃の実が集落の周りにはたくさん落ちていました。

「これでお数珠を作ろう。 しかし、穴を開けて紐を通さねばならぬ。 さてはて、この硬い胡桃にいかにして穴をあけようぞ?」と思案していると、動物達がやって来ました。

「オレがやってやろう」とまず、ヒグマが前に出ました。 ところがあまりに大きな口と牙で胡桃を噛むもんですから、胡桃はぐしゃりと潰れてしまいました。 

次に、鹿が「アタシがやるわ」と申し出ました。 ところが、しかには前歯がありません。下の歯だけでは、胡桃はすべって噛むことすらできませんでした。

次に、クマゲラが「オイラの嘴でつついてやる」と飛んで来ました。 ところが、胡桃は胡桃はコロコロと転がって、連射突きができませんでした。

次に、エゾリスが「ぼくは、いつも食べているので簡単にできるよ」と、胡桃を前足で上手にはさんでカリカリと始めましたが、ふたつに割ってしまいました。

うさぎにたぬき、きつねや他の動物達も次々に名乗り出て、穴を開けることに挑戦しましたが、みんなできませんでした。

その中で、いつもはみんなから嫌われ者の赤ねずみが・・、おそるおそると前に出て、「私にもやらせてください」と言いました。 他の動物たちが、「お前のようなちびっ子ができるわけない」と大笑いをする中で、赤ねずみは、胡桃の真ん中をかじり始めました。 すると、なんということでしょう、見事な穴が開いたのです。 こうして、百八つの胡桃に穴を開け、アイヌの娘がシナノキの皮で上手に編んだ丈夫な紐を通して、大きな見事な数珠ができたのでした。

弘法大使様は大喜びで、赤ねずみの子孫繁栄をお祈りしたのでした。 それからです。 北海道に赤ねずみさんが増えたのは。

チャンチャン。

土ならししながら、百八個みつけました。 お数珠を作ろうっと!!

 

 

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9月25日(木)のつぶやき

2014-09-26 04:36:29 | 日記

ここ3日間の運転距離合計800kmかな。ドライバーではないので最近は疲れるだわさ。


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9月24日(水)のつぶやき

2014-09-25 04:34:10 | 日記
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変わらず・・・

2014-09-24 22:51:14 | 日記

【去年のブログから】 もう少し活用したいものだな・・。 とまったく、去年と同じ感想なり。

 
野外竃処
もう少し、活用したいものだ。...
 

 

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このところ・・・・

2014-09-24 22:31:08 | 日記

ここ10日間ばかり、実に久しぶりにお会いする方々が多い。 それもばったりとだ。 その方々が普段生活しているテリトリーに入ったということもあるが、特にアポをとったわけでなく、外で偶然にお会いした。

帯広百年記念館のIKDさん、どんころ野外学校のMGRさは十数年ぶり、昔の仕事のボスのYSDさんとは蕎麦屋でばったりと20数年ぶり。長万部のシャマンの兄貴、ぶな森の研修生だったOSK・・・、そして、IGSさんにもばったりと。

う~ん、大丈夫かいなオレ・・

それに返して、まりこさん曰く、「大丈夫、今、それに気がついたから、飛んでった。」

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9月22日(月)のつぶやき

2014-09-23 04:31:24 | 日記

反アンチエイジング派です。いかに上手に枯れてゆくかに興味アリ。


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スコットランド独立の国民投票に思う

2014-09-22 21:35:03 | コラム風味

スコットランド人はもの凄く素晴らしい経験をした。民主主義のルールに乗っとての独立可否を2年間も国民的論議をして、選挙権も16歳まで下げた。政治に関心を持つ人々が増え、投票率は90%を超えた。 スコットランド自治政府が目指した英国からの離脱・独立はならずとも大きな権限移譲を中央政府より勝ち取った!! 

 私は先の平成の町村合併協議委員を2パターン(黒松内・寿都・島牧、黒松内・長万部)で任命されたことがある。それぞれの町村から12、3人でしたでしょうか、町議、商工会、一般住民などが委員となり、行政から出される統合案件を議論して進めてゆく。 町名、役場の場所から始まり、議員定数、それぞれの福祉、教育、産業への施策の違いや社会サービスのあり方について特に予算額から合併に向けた中庸を探しつつの論議した覚えがある。 その場で決定されるのでなく、課題の整理と方向性を決める場であり、競技委員会は、合併に向けての検討会・審議会・諮問委員会のような立ち位置であったと思える。膨大な資料が行政から提示されるので、わからないことばかりだった。 しかし、合併の是非について深く考えるとてもいい機会であり、自分が住む町の特徴を知ることができた。

「北海道は国からの特別交付税がないと、財政的、政策的支援がないとやってゆけない」という意見もある。 しかし、その時の「基準」とはなんだろうか? 目標が都市・大都市の利便性や世界中の各種産業の経済先進事例であり、医療も福祉も公共施設も道路も都会と同じものを求めれば、どんなに特交税があっても足りないだろう。 

 500万人の島である北海道スタンダードを作る、北海道なりの生活・文化ってなんだろうと考えることが、独立について議論する時にまず、すべきことだ。そのうえで、生活文化、つまり、どのような暮らしをしたいか、そのために後押しすべき、新たに興すべき産業は何か?を考えるのがプロセスだろう。しかし、それはなかなか難しい論議なので、実際は、具体的社会サービスのあり方、産業の育成のあり方と併行しながら、いったりきたりの議論となるだろう。

 政治や経済界だけが決める社会の姿を追うだけではなく、私達・大多数の一般が、自分のこととして考える訓練が必要だ。 スコットランドではこの議論が選挙権を16歳にしてゆえに、高校生まで広がったという。 若者の政治や経済への関心が高まり、自分で自分の国の将来を考える機会となった。このことだけをとっても、とても凄いことだ。

沖縄に研究者を中心に200人もの組織で琉球国独立を議論するネットワークができたらしい。

北海道も独立議論だけでもそろそろ真剣に始めてもいいだろう。

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