当時のNEOSにはまだまだ そんな事務局仕事ができるスタッフがいなかったので、セミナーの裏方をし切ってくれる当時の若者が眩しかったな。 そんな彼らも当時の私のような年代となり、あちらこちらで自然体験活動の担い手、コーディネター、プロデューサーとして油がのって頑張っています。
当時のNEOSにはまだまだ そんな事務局仕事ができるスタッフがいなかったので、セミナーの裏方をし切ってくれる当時の若者が眩しかったな。 そんな彼らも当時の私のような年代となり、あちらこちらで自然体験活動の担い手、コーディネター、プロデューサーとして油がのって頑張っています。
暑さが苦手なMRKさんはひさしぶりのキッチンMRK連日開店で、たいへんです。
というなかでも、やっとコロナ禍も収まってきて、リアルでの体験活動がいつもの夏のように戻ってきました。
7月に入ると、台湾や中国、シンガポールからの団体での滞在が続きました。
大人の足くるぶし程度の深さなのですが、意外や生き物がたくさんいます。 カジカ系の小魚はもちろん、カニやヤマメまで捕まえることができます。 昭和中盤期まではたいそう汚れた状態だったそうですが、町や町民の努力のおかげで清流が戻ってきています。 こんな自然な場所があることは、かなり豊かな街中だなあ。
このところ、アタシの昔話を記録してくれる依頼が続いています。人生七十歳も近づくと、松山千春は♬ふりかえるには早すぎる♬なんて唄っていますが、色々な場面で昔のことを思い出すことも多くなりましたので、いい機会でもあります。
「なぜに私は自然体験活動を仕事にしたのか」を聞き書きしてくださったのは、もう30年来のお付き合いの国際自然学校の桜井さんと佐藤さんでした。 これはAmazonから電子書籍Kindle 版で出版されました、下記よりご購入いただけます。関心を持たれた方はぜひ読んでやってくださいませ。
なお、紙媒体はAmazonではご購入頂けませんが、印刷本は多少ありますので、お読みになりたい方は、私までご連絡をくださいませ。
また、インターネットラジオ放送でもこの出版に合わせた形のインタビュー番組もあります。
https://soulin2017.net/internetradio?id=11466288
また、北海道NPOサポートセンターではこの秋にNPOフェスという集まりを計画しており、その前哨としてネットでNPO関係者のインターネットラジオインタビュウー配信をします。この収録は終わったので、アップされたらご案内しますね。
これらは、終活なんだろかねえ。。。
日本でも子供から大人までみんなが歌える歌はたくさんありましたが、今やなくなりそうですね・・・。
札幌ではコロナウイルスの集団感染で複数の高校が休校になっているようです。まだまだ油断をしてはいけませんね。 そんな中ですが自然学校へは海外国内からの来訪者が増えて来て忙しい、「特にキッチンまりこ」は大繁盛でMRKさんは「倒れそうだぁ」と、ぼやいております。
シンガポールと台湾からの団体滞在が連続しました。自然学校スタッフの地域コーディネイトも連携が深まり、農業体験、観光協会と協働でのサイクリングや渓流釣り、地域の人達指導によるそば打ち、浴衣の着付け、お琴鑑賞などさまざまな活動を展開しています。 このごろ言われているアドベンチャーツーリズムそのものの地域になっています。
その中で 北限のブナ林の散策は外せないプログラムなのですが・・、ここのところのアタシは散策路終点までご案内ができな~い。 すぐに息切れがしてしまうのですなあ・・。
一昨年に心臓の血管拡張のカテーテル手術をし、その経過観察(半年に一度くらい)の通院では、心臓弁膜症の気が見受けられるなんて診られておりまする。もしもの時のニトロ系の舌下錠剤を寿都神社のお守り袋に入れて首から下げておます。
人を森の中に安全にガイドするよりも自分の安全確保が大事になって来てしまった。 まるで、賞味期限は残っていても・・、消費期限が迫ってきているような逆現象だなあ。
とはいえ、夏はつづく・・・
私は、北欧は貿易の仕事をしていた30代の頃になんどか訪問をした(スウェーデン、フィンランド、ノルウエー、デンマーク)ことがありました。 その時にふれた特に、スウェーデンの豊かな暮らし方、やさしいスウェーデンの人々の人柄に触れたことは、今の私の価値観に大きな影響を与えてくれました。
元スタッフだったリーハンとイナリ家族が来訪。
私は、「シン田舎づくり実践研究所」なる(遊び)名刺を持っています。 研究所と言っても何をしてるではないのですが、「ただ、ここ黒松内町作開地区」に住み暮らすことを目的にしております。
私が育った子ども時代は、千葉県船橋市西船。 小学生の頃は田んぼや畑がまわりにあり、高台からは海(東京湾)も見渡せる田舎っぽい風景が広がっていましたが、都市化がすすみ東京の衛星年として今やビルに囲まれております。 父方母方の祖父母も近くに住まっていたので、私にはいわゆる日本のかつての農村風景が残る「いなか」を持ちません。
今住む、ここ黒松内町へ移住したのはもう25年も前のことになりますが、その大きな理由は自然体験活動という仕事のためではありましたが、個人的には、「田舎がないので、自分で創るしかないな」という大きな動機があるのです。 私ら夫婦も孫がいる世代となりまさしくジジババになったのですが、ここ我らが住むところが次世代の「いなか」になるべくして、なってきたなと感じているところです。
それは実の親族だけでなく、ここに滞在した子どもたち、仲間として活動したかつてのスタッフ達にとっても「帰ってこれる場所」であることを願ってのことでした。
そんなスタッフ達も今や親世代となり、独立したり、他の仕事についたりしてもいますが、自分の田舎のように訪れてくれることが、たいへん嬉しいこととなっています。
私自身は、今年は自家菜園もすることなく、周辺の整備整頓、草刈もするでもなく、のんべんだらりとしているのですが、居るだけで「風景の一部になる」「見かけないと、あら、たかぎさん どーしました?」と多少の心配されるようであることも目標のひとつなので、まっ、いいかなとダラダラとしております。
寿都神社の山車がでる夏祭りも今年は開催されるようです。 楽しみですね。