彼は昨夏から足腰が急に衰えてしまい、遂には立てなくなり、我が家の中で八ヶ月あまりもベット生活を送っていました。 その日は、私は近くの農場へちょっと外出していたのですが、とある人とちょうどペット話をメッセンジャーでやりとりをしていました。それもあって、なんだか急に帰ることにしました。 家の前に車をつけると同時にカミさんが、
親愛なる三木師匠より、「高木さんの今の役割は記録を残すことですよ」なるアドバイスをもらいましたので、時折このブログで昔話をすることにしました。
***
昭和49年、私は一浪して念願の北海道大学に入学しました。
高校時代に山岳部に在籍していたので、北大では山関係の部活に入部しようと考えていて、山岳部、ワンダーフォーゲル部、山スキー部の部室を回りました。 山岳部は前年に大雪山で大きな遭難があり、その影が残りなんだか空おろそしい雰囲気があり二の足を踏んでしまいました。ワンゲルかと思案しましたが、北海道らしい「山スキー部」の名称に惹かれて入部を決めました。
四月末に新入生歓迎合宿がさっそくありました。しかし、それは山行ではなくて、当時卒業先輩が経営している襟裳にあるユートピア牧場という場所でした。大型バスをチャーターして札幌から部員が襟裳に向かいました。(今思えば、そこは襟裳手前の静内だった) 前年年末のレコード大賞の受賞曲が森進一の「襟裳岬」でした。 ラジオやTV歌番組で
♫えりもの春はぁ~~、何もない 春ですぅ~♫ が流されていました。
本州は千葉から移住してきた当時の私は、「ほんとうに 何もないんだなあ~。」と車窓から風景を見ていました。
でもね・・、移住して10年を過ぎた頃から、雪北国の初春に生き物の蠢きを感ぜられるようになり、この歌はなんと失礼な感性の無い歌なのだと思うようになりましたな。
その五月に母親が倒れてしまい、その看病に大学を休学することになりました。10ヶ月あまりの闘病(というよりはくも膜下出血で意識なく植物人間となって人工呼吸で生きるだけだった)の末に、オフクロは亡くなり、私は次の春に北大に復学しました。しかし、入部同期の連中は冬を含めたひとシーズンを経て、たくましい山スキー屋になっていました。また1年目として、新入部員と一緒に過ごすことは、とーていできずに、復学してすぐ退部しました。 でも山はやりたくて、社会人山岳会の札幌山岳会に所属することにしました。 次の冬は山スキーの技術もなくて散々な目に合いました。
それでもなんとか、 雪は締まり山スキーも♫丘を滑りて谷間へ、木立ちくぐりていで湯へぇ~♫とはゆかないまでも先輩についてゆけるようになった3月春山。 千葉育ちの私にとっては三月の山はとうてい春とは思えない寒風が吹いていました。 その中で立ち止まったS先輩が 風を受けながら・・、
「風があたたかくなったなあ~」と感嘆しました。
私は、どこがァーと思いつつそばで身を縮めていました。 そして、10年が経った頃から、やっと、先輩のように「おっ、春が来た」と微細な風の温度差を感じることができるようになりました。
今や北国暮らしも40年を越えました。 雪解けの小さな水の流れる音を聞いただけでも、「おっ、春だ!」 土が見えれば、小さな生き物たちが蠢く(うごめく・この漢字は素敵です)のを感ぜられるようになりました。
北国の春は小さな躍動から始まります。
心残りある事業。 まだまだ自然ガイドなる職業がなかった30数年前に北海道自然学校NEOSなる活動を始めました。子ども達向けの自然体験活動と山登りガイドツアーが主営業種目でした。 始めて数年経ち、日本エコツーリズム協会なる全国ネットワークが立ち上がりその設立総会が沖縄那覇で開催されて、私も参加しました。 その時、名前は忘れて思い出せないのですが、マレーシアのガイド会社がゲストとして呼ばれていて、その社長の通称ジャングル・ウォンさんが講演をしました。 当時やっとエコツーリズムなる概念が日本に現れた(輸入された)ばかりでした。 環境に配慮した自然探訪型旅行と言われていましたが、私たちのやっていることが、それに値するのかが???で、自分たちのプログラムはネイチャーツアーなるいい方をして、「北海道のエコツーリズムを考える会」なるものを自然系研究者等と立ち上げてそのガイドラインづくりなどを始めました。
ウォンさんがやっていることは正しくエコツーリズムそのもので素晴らしく多いに感動感激して講演に聞き惚れました。そして、講演が終わり質問タイムに・・・、今考えればお恥ずかしいような質問を勢いよくしました。
「そのような事業に育てるためのコツや助言をください」と・・。
するとうウォンさんは、 「自然ガイドのお仕事を何年していますか?」と。
私は会社をやめて事業を立ち上げて、確か、6か7年目でした。そう答えました。 すると、彼は・・、
「であれば・・、十年続けなさい。」と、励ましてくださいました。
ちょうどその頃、日本環境教育フォーラムでも世界のエコツーリズムについて話題になり始めた頃で、その先進地コスタリカの情報も得ました。 樋口和夫氏と始めたNEOSでしたが、その活動を知りたまたま取材に来た第三の男、宮本英樹氏と巡り合う機会がありましたが、まだまだ人を雇える状況にない弱小団体でしたので、いったんは断りました。しかし、彼は教職をめざそうと会社を辞めてしまったんですね・・、そして、再び現れて・・、「時間ができたので世界旅行をしたいのですが、どこかおススメがありますか」と、聞いてきました。
私は、エコツーリズムの先進地コスタリカや世界各地にある冒険型自然学校アウトバーンズスクール(OBS)の話をしました。 そして、彼は旅立ちました。
半年位たち、あちこちで体験、情報を仕入れていたM氏は再び訪れて、ワゴン車を使ったガイドがコスタリカでは繁盛しているとの話をしてくれました。 「よっしゃ!!」ということで、彼を迎え入れて山登りに特化しない自然の旅を宮本氏を中心にプログラムに組み始めたのでした。
プログラム数が増えてくると、法律問題にもぶつかりました。旅行業法や運送業法、宿泊業に反するのでないかという問題で、当該業界からも告発されそうになったこともありました。 その度に法の網目を抜けるような奇策を打ち続け、時の自民党政権にもロビー活動するようなこともして、規制の緩和を求めてゆきました。
その頃にしったのが、アメリカのSUNTREKという会社でした。 大型のクルーザー型の車にキャンプ道具を積んで、10人ほどのお客さんと国立公園やら自然や歴史豊かな地域を1週間10日間とキャンプをしながらワゴンとレックをする会社です。 そうそう大きなマーケットはありませんから、世界中からお客さんを募るニッチエコツアーです。 分厚いプログラムカタログをさっそく取り寄せました。
そのカタログはワクワクドキドキするものでした。
せんだってに開催された 日本環境教育学会北海道支部と北海道自然体験活動推進協議会による合同フォーラムにおいて、次のような宣言をしました。
*****
コロナ禍の自然体験の推進について
〜いまこそ心に自然をとりもどそう!〜
2020 年は、新型コロナウィルスによるパンデミックにより私たちの日常が一変しました。この間被害を受けた皆様には謹んでお見舞いと哀悼の意を表します。
私たちは環境教育や自然体験をベースに、自然と人が共生する持続可能な未来を作るべく研究や実践に取り組んでまいりました。今般のパンデミックも一種の自然災害かと思われますが、このような自然の脅威の前では、私たちの持つ力が蟷螂の斧であることを感じざるを得ません。「3密を避ける」「マスクを着用する」「不要不急の外出の自粛」「殺菌消毒」などを徹底することは、これまで普通に行ってきた人や自然とのコミュニケーションを非常にやりづらいものにしました。そして、学校での遠隔授業や企業のリモートワークなどを始めとする多くの取り組みが「新しい日常」としてあわただしく実施されてきました。その中には、むしろ従前より効果の高いものも散見され、このコロナ禍の経験は私たちの社会から全てを奪い去ったわけではなく、いくつかは得られたものもあると感じさせます。
一方で、緊急事態宣言中の“総引きこもり状態”時には多くの場から様々なストレス症状が報告されました。自然と人とのコミュニケーションが希薄化することによって発生するこのようなマイナス面は、今や私たちのような専門家集団以外にも共有されるようになってきています。廃業の危機に瀕した全国の多くの自然学校(こどもたちなどに自然体験活動を提供する社会教育事業を行っている団体)の支援のためのクラウドファウンディングが短期間で 1000 万円を超える支援を集めたことも、この問題の社会的な関心の高さを表しているといえるでしょう。
人は自然とのコミュニケーションにより多くのことを学ぶことができます。身近なものとして自然を感じることができないままでは、自然を大切に思う心を持ったり、自分が自然の一部であることに気づいたりすることは難しいでしょう。そして、自然から切り離された状況が生み出すストレス状態は、誰しもが持っていた「人が自然と切り離された生活をすることの“不自然さ”」や「実は心の中で少なからず自然を求めていること」を私たちに改めて気づかせてくれました。このように、はからずも今回のパンデミックは、「人は自然の一部である(もともと自然の中で生きてきた生物である)」ということを私たちに実感させることとなりました。
私たちは、特にこどもたちがこのような“不自然さ”のなかで、自然に対する気づきを失ったままで成長していくことについてとても憂慮しています。みなさまにおかれましては、以下の提言などをご参考にされ、ぜひ自然とのコミュニケーションを取り戻す機会を作ることで、こどもたちの重要な育ちの場を提供することにお力をお貸しいただけるようお願いいたします。
1. 自然の中での活動は「3密」を容易に回避できます。
たくさんの人が集まる場所での活動を除き、野外での活動は密閉・密集・密接のいずれにもなりづらく、ソーシャルディスタンスも確保しやすいため安心して楽しめます。
2. 遠くの大自然に出かけなくても自然体験できます。
ウィルスは人が媒介するので、感染を広げないために人の移動がある程度制限されるのはやむを得ません。しかし、「人との接触を避ける」「居住する地域から離れた場所に移動しない」など、感染や拡散のリスクが高まる行為を避けることができれば、自然と触れ合うことに関して問題は発生しません。遠くに出かけなくても、季節を感じたり、鳥の声に耳を澄ませてみたり、雪や氷で遊んでみたりすることで、ヒトが本来持っている感覚器(いわゆる五官)を使って自然と触れ合うことは十分に促進されます。環境教育や自然体験教育の視座からは、むしろ身近な自然への気づきを高めることが重要だといわれています。人工的な公園でも季節は巡りますし虫や鳥は寄ってきます。遠くの大自然に出かけるチャンスがあればなおいいかもしれませんが、そういう状況にない時でもあなたの周りにはかならず自然(現象)があるのです。
遠くに行けない時は、こどもたちと一緒にふだん見過ごしがちな身近な自然に目を向けるチャンスです。
3. プログラムよりもまず気持ちから。
登山や川下りなど、ガイドと一緒の活動はとても充実した時間を過ごせますし、自然学校や自然ガイドでの活動は安全なだけでなく、ほとんどの団体は3密防止の中での活動に留意していますので、そういった活動に参加することについては問題ないと思われます。
しかし、そうした活動に行けなかったとしても大丈夫。近所の散歩でもいいのです。あなたの周りにも自然はたくさんあります。ガイドしてくれる人がいなくても、まずは自然と付き合ってみる気持ちを形にしてみるところから始めてみませんか?雨の日や雪の日など、普段は家にこもりがちな天気の時のお散歩は、ただ歩くだけでも新しい発見があることで
しょう。普段はあまりしないことでしょうから。
4. 遊びのヒントがたくさんの団体から出されています。
たとえば、日本シェアリングネイチャー協会は外遊びの様子を動画で紹介するなど、人と自然をつな ぐプロジ ェクトを行っています
( https://www.naturegame.or.jp/about_us/action/happylucky/ )。日本環境教育学会は、あちこちの団体が公開している自然体験・自然観察・自然遊びのヒントをホームページ上でまとめて紹介しています(https://www.jsfee.jp/general/145-covid-19/411-inforesponse-covid-19-ee)。これらの情報を活用するなどして、「コロナ禍だからなにもできない」ではなく、「今だからできる素敵なこともある」という発想で、楽しみながら心の中に
自然を取り戻していただけたらと思います。
2021 年 3 月 7 日現在
日本環境教育学会 北海道支部 支部長 能條 歩
(北海道教育大学岩見沢校 教授)
北海道自然体験活動推進協議会 代 表 高木晴光
(NPO 法人黒松内ぶなの森自然学校 代表)
賛同者 田中邦明(北海道教育大学 名誉教授)・
野村 卓(北海道教育大学 釧路校)・
田中住幸(NPO 法人あそベンチャースクール 代表)・中本貴規・
居崎時江・酒井史明・峯岸由美子(一般社団法人遊心 代表)・
河村幸子(東京農工大学)・鈴木敏正(北海道大学 名誉教授)・
山中康裕(北海道大学 教授)・三木 昇(北ノ森自然伝習所)
受付順
コロナワクチンは安全なのか?? 以下のような情報があるジャーナリストから送られて来ました。 私のFacebookに投稿してしまうと、フェイクであった場合でも拡散されてしまいかねないので、私の備忘録を兼ねて、ブログに貼り付けておきます。 インフルエンザワクチンとは異なる手法で製造されているもので、人間の遺伝子そのモノに影響を与えると推測?している研究者もいるようです。 その情報抜粋ですが、読まれる方は ご自身でその真偽をご判断ください。
*****(以下、転載情報)*****
「このワクチンは、人間の遺伝子に影響を与えるかもしれない」
「それは自分の身体に数年後、数十年後に現れるかもしれない」
「あるいは世代を超えて、
つまり、一言で言えば、
新型コロナワクチンは
私たちの遺伝子を壊す可能性が
あるというのです。
これは一体どういうことなのでしょうか?
そもそも、
インフルエンザワクチンのような従来品と
新型コロナワクチンでは、
どんな違いがあるかご存知ですか?
まず、インフルエンザワクチンのような従来品は、
「ワクチンの遺伝子情報」をもとに、研究所で育成。
最終的にワクチンとして
完成体になったものを
ヒトの身体に打っています。
一方、今回の新型コロナワクチンは、
研究所では育成をしません。
「ワクチンの遺伝子情報」そのものを、
直接ヒトの体に打ち込み、
身体の中でワクチンを
完成体にしているのです。
専門的な話なので、
まだ分かりにくいとは思いますが、
言い換えるのであれば、
調理したきのこを食べるのか、
きのこになる前の種菌を食べるのか
くらいの違いがあります。
コロナという未知の遺伝子を
人間の身体に接種することで、
理論上は上手く免疫ができるそうですが、、
場合によっては、「人間の遺伝子組み換え」が
行われてしまう可能性もあるそうなのです。
徳島大学医学部の
大橋真名誉教授(免疫生物学)はこう言います。
「新型コロナウイルスのDNAの代謝経路は不明です。摂取したワクチンのDNAが長期間、
体内に残留したら何が起こるか?というのは、やってみないとわからないのです。」
自然にないDNAを
人間の細胞に入れ込むことは、
自然の摂理を超えています。
こんな危険なもの(DNAワクチン)を使わないといけないほど、
コロナは有害なのでしょうか」
三陸潮風トレイル。 北は八戸蕪島から南は宮城?茨城まで全長1000kmと言われるトレッキングロングルートができました。そのヘッド(または終点である)蕪島からJR八戸線ふた駅分を歩きました。私は足でまといになったので、途中の白浜駅でリタイアでしたが。 でも、たいした起伏もなく風光明媚な良いトレイルでした。
将来的には八戸から釜石まで歩いてみたいのですが、無理かなあ・・。
東日本大震災から10年目。 コロナ禍の中で現地鎮魂参りに行こうかどうか迷いましたが、今日からでかけることにしました。
さすがに大きな鎮魂祭は釜石ではないようですが、地域ごとに供養の催事はあるようです。私たちが支援をした釜石鵜住居の根浜でもキャンドル鎮魂祭があるということなので出かけることにしました。 お会いしたい方もありますが、お年寄りとのことで、ご家族から遠慮願いもあったりしていますが、寄宿するお宿、宝来館はキャンセル待ちの状況でした。
2011年の3月からその年の終わりまでの支援は多岐に渡り怒濤のような半年でした。旧ねおすの全体制で支援活動をしたのですが、自分たちの現場も通常通り運営を続けました。 いったいどうやって乗り切ったのだろうと、未だに???です。 為せば成るという大きな体験、経験を得ました。
3,11が近づくに連れて、報道でも当時の様子が放映されたりしますが・・、私が観ても辛い・・。当事者の皆様のお心を考えると心が締め付けられる思いがあります・・。 が、被害がなかった外からでかけて、当時を知る者として、現地の今、その復興の様子を見続けてゆくことは、義務というか義理というか・・・、鎮魂しつづけてゆくことが大切だと自らに命じています・・。
本日のフェリーで苫小牧から八戸に向かいます。