高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

1月29日(木)のつぶやき

2015-01-30 05:39:09 | 日記
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祈念

2015-01-29 20:51:40 | 日記

国内外はもとより、公私にわたり、なんとも致し難い事態が渦巻いておるわい。 こういう時は祈るしかない。

お数珠を作るつもりで、秋にアカネズミが穴を開けたクルミを108個集めておったが、作れないうちに三木師匠に頂いてしまった。

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ミステリー

2015-01-29 17:42:47 | 日記

「搭乗されていない便がありますので、返金をします」というメールがANAから送られてきました。

しかし、その当該便で私は帰ってきているのですが・・・・。 照会して、そのことを伝えて調べてもらっても、乗ってないことになっているとのこと。?????? この時間帯に何か嫌疑をかけられても、私のアリバイはないわけだ・・・・・。

何かの間違いではと言っても、手数料を払えば、大部分を返金してくれるとのこと。もらっておくか。  しかし、クレジットが決済されていないケースが他のことでもあった。 飛行機の予約変更をしたり、カード決済されていなくてカウンターで発券し直してもらった便もあるので、カード会社側の問題かも。私が間違ってダブルブッキングしたのかもしれない・・・。しかし、それも見当たらないとのこと・・・。

予定の飛行機には搭乗していたのに、私は乗っていないことになっている・・・・。不可思議だ。

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今年の初巡業

2015-01-27 15:52:12 | 日記

「高木さんは黒松内にいるのですか?」とよく質問をされます。応えは、「かなり黒松内におります」です。

昨年のシーズン中は5月から特に7、8.9月とは現場のぶなの森自然学校の受け入れ、主催事業が目白押しで黒松内におりましたし、できるだけ、自分の現場にいるようにしています。 それでも数日間での出張旅があります。 今回は今年初の巡業旅でした。 移動のたんびにトラブルに合いながらやっと昨夜帰ってきました。

1月22日 朝6時千歳空港に向かうも、自家用車の燃料がなくて、ガス欠におののきながら途中で戻り、車を乗り換え変えからスタート。

       「走ってください」とグランドホステスのお姉さんに励まされながら、羽田行きの便になんとか乗れました。ゆき先は、「総務省の子ども農山村交流プロジェクト地域活性化モデル事業の報告会。全国から6,7地域が集まっていました。省庁連携で始まったこの事業、子ども達を日本の農山漁村に泊りがけで宿泊体験することを推進しようという全国運動なのですが、もうひとつ盛り上がらない。学校教育(文科省)の思惑、民泊を増やしたいというグリーンツーリズム推進の思惑の農水省の力関係もあるのでしょうが、学校へその意義が広まらない・・・、しかし、これは教育指導要領の改編で「自然体験活動の推進」が明確な方針となり、ちょっと追い風感が出てきています。総務省の思惑は地方創世なのかもしれませんが、私たちは「地域コーディネイターの育成」をテーマに事業提案をしています。従前は農水省系のシンクタンクであった一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構(愛称 まちむら交流きこう)が事務局役をしていることでも、国の象徴連携は少しは進んでいるのだなという受け止め肩を私はしています。 こういった交流事業の継続発展のためには、地域内、地域内外の人と人、機関、専門家を繋ぎ紡いでゆく役割が必要なのですが、いまひとつその重要性や仕事ができるようになるまでの過程をフォローするしくみが出来ているとは私には思えません。そんなことを意見してきました。ちなみに総務省側は、総務省地域創造グループ人材力活性化・連携交流志(併)地域自立応援課という部署が担当しています。

夜は、中国自然学校ネットワーク事業の協働体のコア団体、日中市民ネットワークの事務所がある三鷹の沙羅舎のゲストハウス(というよりは、長期滞在を主対象としたシェアハウスかな)にお邪魔して、三鷹の人々や中国人留学生等と交流夕食会。皆さんは、ソーシャルメディアの創造に力をいれています。特にドキュメント映画づくりのネットワーキングです。社会的事業に焦点を当てた映画づくりをし、「三鷹映画祭」も実行しています。その意義についていまひとつピンと来ていなかったのですが、監督達に三鷹の空気の中で話を聞いて、ソーシャルメディアの社会的意義というものがとても納得できました。 こういう人々は北海道にもいるのかなあ・・・。

1月23日は 釧路へ。北海道は大荒れで飛行機が欠航になりそうでしたが、なんとか飛んで釧路へ。この便も研修開催時間に間に合わない便だったのですが、直前に変更できました。幸いというか、悪天候で便が乱れていたので、キャンセルや変更手続き手数料がかからないという九死に一生でありました。

市民活動センターわっとの「防災、災害対策について」の連続セミナーの一環として、東日本大震災の初動支援の頃の私なり、ねおすなりが得た教訓についてお話させて頂きました。 釧路には災害支援ネットワークなるNPO活動も発生しており、まさかの災害についての「心構えづくり活動」を続けていることを実感できました。 夜はわっとの理事長さん等と懇親。

1月24日は、朝寝坊して、一瞬列車に待ってもらうようなギリギリ飛び込みで、帯広へ。いただきますカンパニーの研修会講師へ。関東からのゲストTHKさんが昨夜から同行してくれているので、彼女の機転に助けられました。

同社は、「畑のガイド」という事業展開をしています。十勝の農家を観光客を案内するのですが、私と同年代がガイドさんとなっています。みなさん、独学や研修を受けて、十勝の農業や風土にはとても詳しくなっていますが、子供連れの家族対応が多いので、「いかにして子どもにガイドしたらいいのか」そんな、コツを学ぶような研修会でした。 具体的には、幼児から小学低学年の子どもたちと帯広百年の森(都市公園)で1時間半程度一緒に過ごし、それをふりかえるという手法をとりました。みなさん、子育てもし、社会経験豊富な方々ですから、自分の中に「子どもこころ」をいかにして取り戻すか、子どもの視点や気持ちに寄り添うか、今までの経験に照らし合わせ、今の自分にできることをしてみる、その中で、子どもの心や感性を掴むご自分なりのスタイルを発見するだけのことです。 ちょっとはお手伝いをできたかな。

夜はスタッフやガイドさんたちと私にとっては今年最後の「新年会」に合流させて頂きました。 

1月24日は朝は順調に帯広空港へ。 ところが、取ったはずの予約の決済完了していないとのことで、取り消しになっていた!!!。なんとか、同じ羽田便と、翌日の東京ー千歳の便を取り直すことができました。ということで、東京へリターン。

(一社)日本エコツーリズムセンター(エコセン)の世話人(会員)大会議(つまり総会だな)に参加。エコツーリズム業界?の全国ネットワークは、10数年前になるだろうか・・・、まず初めに、日本エコツーリズム協会(JES)が立ち上がりました。当初は私も参画しました。(今の一応会員ですが)しかし、参画者の多くは観光業や最大手を含む旅行代理店で、現場ガイドや地域活動をしている自然学校とは、水と油ほどではありませんが、どこかなじまない、目的理念がしっくりいかない感じがありました。設立当初のフォーラムや研修会にはゲストや講師でも呼ばれていたこともありますが、日本の旅行業のあり方は「地域の自発的振興にそぐわない、旅行業法や運送業法の緩和など」についてっ噛み付いていたせいか・・・そのうちに及びがかからなくなりました。設立当時に理事就任の打診もありましたが、仲間のガイド達から???をもらい辞退。観光業界の御重鎮から「君たちは仁義で動いているのか」なんて言われたことがありました。

その後、かの広瀬利通大兄が全国の現場のガイドやキーパーソンを束ねて立ち上がったのが、エコセンです。この会議には、実はこれまで出たことがありませんでした。 情報収集も兼ねての参加でした。

 

やはり、空気感とでもいうのでしょうか、この場はとてもしっくりとしました。今後のネットワーキングのコア課題について意見出しをしました。

人材育成、インターンシップのありかた、ライフスタイルの提案、全国山の日(来年からの祝日)への運動、野生動物教育、刃物教育など、上がる話題は、どの参加者も興味津々なカテゴリーばかりでした。 大御所の広瀬さんが病気療養中なので、30代の若手3人が共同代表となり運営をしています。 とりまくオッサン達として、エコツーリズムの発展に何が寄与できるか、大いに考えさせられました・

もちろん会議後は、古くからの盟友との再会を楽しみ、若い次世代との新しい出会いもあり、刺激的な夜を楽しみました。

26日も会議が続き、今度は大きなトラブルもなく、羽田空港からの便に乗り夕方千歳に降り立ったのですが・・・、

駐車中の自家用車のバッテリーが上がってしまっていました。 駐車場のチャージャーでも他の車の力を借りてのジャンプでもエンジンがかからない。 結局ロードサービスを呼びました。あまり気温は下がらず吹雪いてもいなかったので、少しは助かりましたが、旅の終わりもひと苦労して、夜中の10時過ぎに黒松内にたどり着いたのでありましたあ・・・・。

移動はトラブル続きでしたが、旧交を温め、新しい出会いも多く、毎日が刺激的でした。

やらねばならぬことも山積ですが、体がデスクワーク化しない、本日であります。




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1月21日(水)のつぶやき

2015-01-22 05:44:55 | 日記
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忙しくしています。

2015-01-21 23:24:35 | 日記

先週末からは久しぶりに釜石へ行って来ました。交流事業のコーディネイト研修として、ぶなの森自然学校の若手のふたり、たつみ&ちこと三人で1911年3月11日から始め、13日には釜石市鵜住居流域と箱崎半島への被災地支援を開始しましたが、昨年、現地に三陸ひとつなぎ自然学校を設立し、ボランティアコーディネイトもねおすから現地へ移管しました。

私としては、1年ぶり以上の再訪となりました。当時から比べると見た目には倒壊して荒れた建物はなくなり、あちらこちらで復興工事は行われていますが、仮設住宅も3回目の冬となり、人々の疲弊もあるのでしょうが、そんなことは他者には表面的には伝わらないほどです。活気あるとは言えませんが、日本のあちらこちらにある田舎に比べても、いろいろなことが起こり「明るい活気性」は感じられます。 そんな様子を我若手に見せてゆきたいと思い、支援ではなくて、交流事業の視察でした。

19日(月)に帰り、20日は苫小牧植苗病院の森林療法時間へ。そのまま苫小牧いぶり自然学校に泊まり、現地スタッフや病院スタッフと一緒に新年会。本日は苫小牧光の国幼稚園の自然活動時間を園児と共にして黒松内に帰着。

あすよりは、東京→釧路→帯広→東京と飛び回ります。新年度に向けて落ち着いて考え、企画したいことも山盛りなのですが・・・、ならぬ・・・。仕事のカテゴリー整理をしてひところ流行り?の「選択と集中」をしたいのですが・・・、無理・・だ・・・。

いつから走り始めて、いつまで走るのか・・・♫という歌詞の中島みゆきの歌があるが・・・、どこでペースを落とすのか、どこのプラットホームで各駅停車に乗り換えるのか・・・・。

先週は若手ふたりに看取られて旅できたが、明日からはひとり旅だ・・・。自分で自分を監理することがちょっと不得手になりつつあるなあ・・・と少し心配。カミさんも心配の様子。

まあ、しばらくは頑張ろう。

 

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1月19日(月)のつぶやき

2015-01-20 05:37:58 | 日記

コンスタンチン君の救出にあった日本の素晴らしい連携。知らなかったなあ。


たいほうさん死去。相撲でなくて野球の大豊さん、合掌。

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1月15日(木)のつぶやき

2015-01-16 05:40:32 | 日記
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認知と子どもの体験活動

2015-01-15 13:36:32 | コラム風味

最近、仕事の面でも自分自身の身においても「認知」に関係するような情報が集まってきている。 春からは認知症を患う患者さんが多い病院で森林療法をすることになっているし、高齢者向けの「おとなのがっこう」を運営しないかとの話も打診されている。一方では、私自身が、さっき手にしていた手袋が次の瞬間どこにあるのかわからないとか、あれ、ここはどこの道だ?なんてことが起こるので、我が身の問題としても「認知機能」にかかわるような話題やできごとが最近は多発するので、「さは認知症の始まりか?」と不安がないでもない。

「記憶」とは何なんだろうか? そもそも暗記が苦手な私なので、私の頭脳の記憶媒体は性能が悪いことは昔から自覚はしている。子どもの頃の記憶は具体的な場面を覚えているのは残された写真が残像として残っているシーンが多い。あとの多くは泡沫(うたかた)の如く消えてしまうことが多いが、なぜか強く印象に残っているが写真は存在していないシーンもいくつかある。それはたぶんに自分の人格形成にいい影も悪い影も残してるのかもしれない。古いと思われる記憶はなんだろう。いくつか並べてみると・・・

自宅の近くの神社の松ノ木に登っていて枝が折れて落下、背中をうって寝込んだ記憶は、小学3年生くらいか、一緒にいた上級生の親がいたく心配して見舞いに来てくれて子供ながらに申し訳なく感じた。

ミズカマキリを初めて獲った記憶は、幼稚園の先生が特別に放課後に連れて行ってくれた思い出で、写真にその様子の一部が残っている。ミズカマキリを獲って英雄になったというよりも、皆が大好きだった先生を独り占めした時に達成したことに一大事件性があり、幼稚園で鼻高々であったとの記憶だ。

初めてひとりでお泊まりをした親戚の家で、みんなが花札をしていてひとりになり、寂しくて冷たい廊下で泣いた。「何泣いてんだ」と、たぶん伯父さんに頭を小突かれた嫌な記憶で、小学1年生くらいだっただろうか。

近くの大学生に引率してもらった初めての子どもキャンプは小学6年生。深い川で泳いだ怖さと、初めて作った味噌汁でワカメを切らずに入れて凄いことになり驚愕したことも写真には残っていない。あの大学生は誰だったんだろう?

基地作りが神社の境内の森で流行っていたのは小学3,4年生の頃だった。資材や武器と呼んでいた建築資材を盗みに入って警備員に捕まったこともあった。襟首を掴まれて吊るし上げられ「今度見つけたら、親にも警察にも言うからな」と恫喝され怯えて泣いた。

人の記憶というものは実に曖昧なものだろうけれど、それらが積み重なり、今の自分の価値観、物の見方が確実に形成されてきていると強く思う。

子どもの体験活動に力を入れているが、目の前にいる子ども達が大人になっても残る自分の価値観・人格形成に残るような思い出・記憶を作ってゆきたい。そこで大切なのは、

その出来事に、いかに自分が主体的に関わっていたかであるかにつきると思う。そして、自分の記憶をたどると、誰かがそこに一緒にいた。そして、それは自分よりずっと大人達だった。

「あれは誰だったんだろう」でもいいから、子どもの記憶に残る大人になりたいものだ。

そして、今でも私自身が、自分の価値観や考え方、行動様式に影響を与えるような体験を続けている必要も大切なことだと感じている。それ自体が、自分自身の認知機能を維持することができるんじゃあないかなあ。

 

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第3回ねおすふらっとカフェのご案内

2015-01-15 12:47:41 | お知らせ

「ねおす・ふらっとカフェ③」 ~月に一度はねおす事務所に集合。ゆっくり、まったり。でもちょっと真面目なお話も~

時:2月16日(月)18:30~2時間程度

2月お題は、まちづくり事情について~ 札幌市内町内会のお話しから、自分の住んでいる地域を知る ~

地域づくりのNPO法人てんびんばかり北海道理事長、札幌市北区篠路連合町内会総務部長の熊澤修さん

NPO法人てんびんばかり北海道http://www.tenbinbakari.com/index.html

をゲストに札幌市内町内会ってこういうところだよというお話しをいただき、それをヒントに自分の住んでいる地域について知るきっかけになればと思っています。もちろん、高木晴光(ねおす理事長)とNPOねおすの若手スタッフを囲み、参加者の近況や仕事を紹介してもらいつつ、まちづくり事情について参加者とざっくばらんに意見交換・アドバイス、アイディアの重ね合わせなどをして、じっくりお話しする時間を過ごしています。

ますます混迷を深めそうな今の社会、しかし、流されていてはなかなか人生も社会もBetterにはなりません。私たちねおすは、「自分の居場所(仕事と暮らし)を自分で創れる人になってほしい」と願い、Donika Suru  Ryoku/ DSR(どうにかする力)を育む場づくりを展開しています。→社会貢献したいと思っても、住んでいる地域で地域づくりに関われる人・機会が少ない。本気で新しい暮らし方、社会のしくみが作り直せるといいね。作り直したいね。

参加費:500円(学生)、1,000円(社会人)
※参加費は全額、NPO法人ねおす共育ファンドに寄付されます。
飲食:持ち寄り
定員:8名程度 ※ふらっと来て、ふらっと帰れる。
場 所:ねおす事務所
〒060-0063 札幌市中央区南3 条西17 丁目291-227 すずかけビル3F
主 催:NPO法人ねおす共育ファンド
申 込:chun*neos.gr.jp(富田)までメールをください。(*記しを@にしてください)

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