2009.12.27(日)曇
マックアジャキと読む。寝酒のことではない、沖縄で葬送の際に副葬品として死者の傍らに置く酒のことで、懐酒(フチクルザキ)ともいう。といっても内地の人(ヤマトチュ)には理解できないだろう。沖縄に行くと亀甲墓というバカでかいお墓に驚かされる。今は火葬になっているのだが、かつては人が亡くなると、このお墓の中で骨となるまで置いて、その後棺を開けて洗骨(シンクチ)をするわけだ。洗骨というのは名のとおり骨を洗って骨かめに納めるわけだ。本来は泡盛で洗骨するのだが貧しい南島人には泡盛を用意することも出来ない。水で洗骨する。ということは、その時に充分に遺体が腐敗していなければならない。最低三年間は置いておかないと腐敗しないので、その間に亡くなられた人が出ると、その遺体は墓の傍らに安置するのである。つまり墓の中には洗骨しない遺体はひとつということになっているようだ。宜野座村ではこういう場合特別なお祈りをして、棺を重ねることもあるようだ。(クワンカサビー)
亀甲墓と厨子甕(ジシガーミ)
とにかくこの洗骨の際に枕酒を古老達が呑むのだそうだ。泡盛は蒸留して数年たつと古酒(クースー)といって美味しくなる。人が死してその傍らで年月を過ごして熟した酒を、ゆかりの人が死者の生前を懐かしみながら呑む、なんという風習だ。
これらは昨日紹介した「ドブロクをつくろう」の中の一節なんだが、本題はこのことではなく、貧しくて二合の酒を呑むことができなくて、死して初めて枕酒を貰う島人の哀しさである。私のつたない文では真意が伝わらないようだから、本文をそのまま紹介しよう。
今日のように泡盛が島中にあふれて、誰もが手軽に飲めるようになると、何も死者の枕酒を飲むこともない。酒に不自由した貧しい時代に人びとは、死して二合の泡盛をわが枕元に置かしてもらったが、それも結局は熟成し、うまみを加えて生者に返したのであった。
【作業日誌 12/27】
落ち葉集め
きょうのじょん:朝の散歩コース、堤防から上林川に降りられる通路に妙なもの発見。動物の屍で、大きさは5,60cm、茶色の毛色。これが、内臓がすっかりなにかに食べられていて、あばらがむき出しとなり、頭と足だけが残っている。どうもタヌキのようだ。車にはねられて捨てられたものか。じょんの怖がること。においがきついのだろうか。さすがにこちらも気分が悪くなってその場を離れる。