晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

お金は怖いですよ 5/15

2012-05-15 | 日記・エッセイ・コラム

2012.5.15(火)雨

 「お金は怖いですよ、人の魂を簡単に買い取ることができるからですね」沖縄復帰40周年を迎えた今日のクローズアップ現代で大田昌秀元沖縄県知事の言葉。
 本来は沖縄の自立を祝う記念の日なのだが、現実はそう陽気な話では無いようだ。復帰以来沖縄につぎ込んだお金が10兆円とか、それにもかかわらず産業は低迷、失業率は高く、所得は低いという現状に沖縄復興策は一体何だったのかと問い直す時のようである。P1010689
 
沖縄基地の原点は沖縄戦とベトナム戦争にある。この二冊には大田氏の文がいくつか載っている。


 野田総理の式辞を額面通り受け取った沖縄県民はいないだろうし、ドタバタを演じた鳩山元総理も出席していたというから、沖縄県もずいぶんなめられたものだ。
 前述のお金の話は1998年の県知事選で大田氏が敗れ、稲嶺氏に代わったことを端的に表しているのだろう。沖縄の魂として米軍基地に反対していた大田氏と基地を容認しその代償としての資金を要求した稲嶺氏の選挙だったのだろう。
 魂か金かという選挙で沖縄県民は金に軍配を上げたのだ。復興資金という性格から代償金という性格に変わり、とらにゃあ損、使わにゃあ損という風潮になったという。沖縄のある村を取材していたら、十数億というお金の使い道が見つからずに困っているのだ。また箱物で作った東洋一の豪華プールが村のお年寄りだけの利用で大赤字なんてのも報道していた。結局金では沖縄の自立はかなえられなかった。基地と天から降ってくる金に頼るひ弱な体質だけが残ったのだ。
 番組では小さく地味ではあるが、補助金、交付金に頼らない村人の地域興しの活動を紹介していた。金がからまないから、基地賛成派も反対派も一緒に活動出来るという。
 沖縄が真に復興と自立を図れるとしたら、それは基地とお金に頼らない、沖縄の魂を持った活動ではないだろうか。沖縄には貴重な観光資源がある。本当に沖縄を愛する観光客は大手資本のリゾートホテルになんぞ泊まりたくは無いはずだ、村人が暖かく客を迎えられる環境を作るべきである。Img_2466
 
リゾートだけが沖縄じゃねえぞ。


 復帰40周年記念のこの時が、真の沖縄の復興、自立へのスタートになればと願うばかりである。
 そして今日までの沖縄の失敗が、原発再稼働問題に揺れる原発立地自治体の問題と重なって考えられるのである。

今日のじょん:かみさんが居ないので寂しかろうと、朝夕たっぷり3時間は散歩に付き合っている。おかげで朝夕の食事もしっかり摂るし、夜は爆睡している。遠出散歩のついでに、小山の堰の河原に降りてみた。変わった石は見つからないが、埋まった石柱を見つけた。いつか掘り起こしてみよう。P1010684 P1010685_2 P1010686

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旅の思いで 5/14

2012-05-15 | 旅行記

2012.5.14(月)晴

 かみさんが母の日のプレゼントで下呂温泉に出かけた。てなわけでじょんと二人で店番の一日となった。その間あれもしようこれもしようと考えていたが、結局ないもしないで過ごすことにした。かたや温泉でじょんのびしているのだから、こちとらもリラックスしようと思う。綾部温泉だけは行きたいのだが車が無い、自転車でもいいのだが明日は雨の予報だ。この際じょんと二人でぼーっとして過ごそう。もっともじょんはいつもぼーっとして過ごしているようだが、、、。
 落ち着いて過ごしていると旅のことを思いだす。今頃はどこにいたかなあ、岡山の高梁あたりかなあと思いだせば、しっかり当たっていた。5月14日は高梁から湯原に向かった日だった。ブログを読み返すと、こんなことあったかなあ、こんなとこいったかなあなどと段々記憶が曖昧になってくる。連続シーンでは無くてワンカットで記憶に残っているのだ。そりゃあ200日を超える旅だから一部始終を憶えているわけにいかない。Img_5573 Img_5572
 
この日妙に記憶に残っているのは立派な田んぼの石垣や畔。(2007.5.14)


 それにしても日常の生活というのはまるで憶えていないのに、旅のシーンはよく憶えている。旅というのは強烈な刺激があるのかも知れない。かといって社員旅行や慰安旅行、修学旅行などはあまり記憶に残っていない。自分が企画していないとか、自分が主体では無いからだろうか。
 わたしが鮮明に覚えている旅行は、高校の時の四国一周一人旅、村上君と行った大学の時の沖縄二人旅、そして退職時の自転車日本一周旅行である。海外旅行などあまり印象に無いのは意外である。
 さて沖縄の本土復帰が明日で40年ということだ。わたしが初めて沖縄を訪れたのは復帰の翌年の春休みだったから、あれから39年ということだ。当時の沖縄は車は右を走っていたし、街並みや看板もアメリカそのものだった。宿の女将さんの第一声は、「基地の写真を撮ったらあかんよ、行方不明になったりする人がいるから」という物騒なことだった。
 最も記憶にあるのは本部半島(もとぶはんとう)だ。名護から今帰仁城(なきじんじょう)に行っているからぐるりと半島を廻っているのだが、細い地道をバスが走っており、建物らしきものも見えず畑とジャングルだけの景色だった。バスったって日に数本しか無く、時間があるのでその地道を歩いた思い出がある。Img_2486

米軍の砲撃よりも悲惨に変わり果てた本部半島の山。


 その後海洋博が開催されたり、リゾート開発が進み2007年に訪れたときにはすっかり変わっているのに仰天した。 伊江島の軍艦のような島影が印象に残り、30数年たって訪問することになる。Img_2487
 
伊江島の島影は30数年間脳裏に刻まれていた。


 基地は相変わらず威張っている。写真がどうのなんてことはもちろんないが戦闘機などには興味が無く、鉄条網の中の門中墓(むんちゅばか)にカメラを向けたが気の毒でシャッターを押せなかった。

今日のじょん:犬は人の気配を察知する能力が優れている。早朝からかみさんは出かける用意をしており、わたしがおしっこうんPに連れ出しても、すぐに玄関のところに帰ってしまうのだ。かみさんが出かけるとすごい声を出している。そしていつまでも車の行方を見つめている。ちょいとお使いに行くときなどはそうでも無いのだが、なんともけなげというか可哀想というか。P1010682 P1010683

コメント (1)
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