2013.2.16(土)曇
上林の神社を調査してみたいが、休日になると天気が悪く行けないでいる。従って資料を見たり、本を読んだりしているが実際に動かないとイライラするものである。
2月3日、飛鳥坐神社(あすかにますじんじゃ)の御田祭(おんだまつり)が行われた。ものの本で神社の事も祭のことも知っていたが、テレビのニュースでその映像を見て驚いた。天下の奇祭といわれるとおり、天狗面を着けた猿田彦命とお多福面の鈿女命(うずめのみこと)が見事な「種付け」(性交所作)をするのだ。これがまた、リアルというか臨場感というか強烈なわけで全国から見物客の集まるゆえんである。
もちろんこの神事は夫婦和合のおまじないなどというものでなく、古来から続く豊穣を願う農耕神事である。「種付け」神事の前には、五穀を奉納したり、翁が鋤、鍬、牛などを使って苗代を作ったり、種蒔きや、苗の植え付けなどの神事があるのである。
石棒や石皿などの性的シンボルや性交神事が五穀豊穣を祈るものであることは疑いがないだろうが、東北のみならず西日本でもそういうものが随所にあることに気付く。
2006年の旅では山田寺跡や飛鳥資料館など訪れ、飛鳥坐神社は知らなかった。
今から30年ほど前、奈良で職場の研修があった。長期の研修なので野外授業のような形で飛鳥を廻ったことがある。古い街並みに降りて行く坂道の傍らにいくつかの祠が有り、石棒などが奉納されていたのを憶えている。実は飛鳥坐神社境内にも多くの性シンボル状の自然石や人工の石が奉納されている。いつか30年前の記憶を確認に行きたいとは思っているが、東北で見るような光景が飛鳥にあることは確かである。
御田祭の種付け神事を見て気づいたことなのだけど、「畑に種を蒔いた夜にその畑で夫婦が和合すると作物の出来が良い」という言い伝えのことが、「盃状穴考」に書かれていた。
飛鳥坐神社に盃状穴がないものかと気になるが、性シンボルとしての盃状穴よりも、棒状の石をもって盃状穴を穿つ行為こそ「種付け神事」と同様の意味があり、祈願、祈祷の行為なのではないかと考えさせられる。
「種付け神事」の中に気になるシーンがある。二つの飯を盛って山型となったものに天狗が射精するような場面がある。これが一体何を意味するのか分からないのだが、加古川の飯盛山に盃状穴を含む古代祭祀跡があることがどうなのかというのは考えすぎだろうか。
「古代朝鮮と日本の旅」(朴春日)の中に、「お多福面と天狗面が立って抱擁しあった二人の姿勢そのままが男女石人像の体形と同一フォームであることに気がついた。これは飛鳥のおんだ祭が、非常に古い伝統を踏まえていることを物語っている。」とある。
レプリカ。
【今日のじょん】:朝、またしてもティッシュを出していたので、「アッ~」と言って指さし注意を引くが、絶対に視線をそこに持って行かない。「アッ~」という度に横を向いてしまうのだ。賢いのかずるいのか、、、。
【晴徨雨読】145日目(2007.2.16)那覇~北谷(ちゃたん)
久しぶりの走行に緊張する。というより旅行の仕方を忘れているようで戸惑う。
それでも喜友名遺跡、普天間宮洞穴、北中城村中村家、美浜の湯、中日キャンプ場など盛りだくさんの見学をしている。
地図を見ると宜野湾にも温泉があるぞ。(エナジック天然温泉アロマ)
これは沖縄の昔のトイレ、豚が糞便の処理をしたとか。(中村家)