晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

殺人マダニ 2/23

2013-02-23 | 日記・エッセイ・コラム

2013.2.23(土)雪、曇

 マダニによるSFTSの支社が4人出て、5人目も出そうだという新聞記事がある。例年咬傷例のあるものにとっては恐怖でもあり、また不可解でもある。
 新聞だけでなく、テレビなどでも盛んに報道されているが、視聴者を納得させるものではない。前回記事(2013.1.31~2.1)でも疑問点を書いたが、改めて紹介してみたい。

 Q1,SFTSは従前からあったのか?
 ウィルスの確認は2011年と言われている。また、2009年の中国での集団発生がその研究の発端のようだが、国内でのこのウィルスによる死者が確認されたのは今年の1月が初である。しかしそれ以前からウィルスも死亡例もあったと思うのだが、そういう調査はなされないのだろうか。

 Q2、死亡率10%~30%とあるが、感染後死に至る者と回復生存する者の違いは何なのだろう?
 今日まで4人の死亡例が出ている。しかしそれらの方々の年齢や状況は公表されていない。感染しても生存している人も多くあるのだが、その差は何なのだろう。例えば年齢がいっていたとか、体力的に弱っていたとかの条件は無いのだろうか。ただ単に運だけのものとは思えないのである。
 現実に昨夏、知り合いの方がダニに咬まれて発熱が続き入院された。病院でどのような治療がなされたか聞いていないが、SFTSだったのではないだろうか。幸い元気に回復されたが、身近に感じられる事件である。

 Q3、予防法はなんなのか?
 報道で「咬まれた自分で処置しないで、すぐに病院にかかる」というふうに言われたいた。これはダニの咬傷に対する処置で、SFTSに対する処置でも予防でも無い。ウィルスを持ったダニに咬まれたら感染するわけだから、その後の処置は別問題である。
 予防としては、ダニに咬まれないことである。報道でも言っていたが、第一は衣類を着けることである。
 野外で作業する場合や山川に行くときにややもすれば短パンやTシャツでやってしまいそうだが、これは厳禁である。服の着方も問題ありで、ズボンの裾を靴下に入れるのは効果ありそうだ。草刈りなどは長靴使用、山に行くときもスパッツを着用するのが理想である。
 黒い物より白い服が良いと言われるが、ダニの発見が容易であると言うことだろうか。
 また表面が毛羽立っている物よりナイロンなどのツルッとしたものが良いと思う。
 そして気休めかもしれないが、ダニ除けスプレーは常に使っている。

 Q4、犬についてきたダニはどうよ?
 犬の場合はフロントラインで100%除去できるという。しかしこれはダニが着かないということではなく、着いたダニが落ちるということである。実際散歩から帰ったら数匹はブラッシングでとれる。これはまだ生きているものだが、やがて死に至るものなのか解らない。
 仮に死に至るとしてもそれまでの間に人に移ったらどうなのだろう。
 いずれにしても、散歩コース、ブラッシングなど工夫する必要がある。P1020087 P1020086

 


散歩コースで一番やばいところ(2012.7)、獣の独壇場だから。今夏は自主的に草刈ろうかナ。

 前回の疑問も合わせて解らないことが沢山あるが、今年は一匹も咬ませないということを目標にしたい。そうでなくても昨年の咬傷痕治療に病院に通っているような事態だから。

 【晴徨雨読】152日目(2007.2.23)伊平屋島~辺戸岬~奥
今帰仁村(なきじんそん)から北は初めての地である。この日は強烈な西風で自転車は遅々として進まない。Img_2678 Img_2706




もの凄い西風(宇嘉)、奥は桃源郷

 冷えて小便がしたくなって自転車を置いて林に入ると、何となく気になる小道がある。引かれるように行くと海岸の断崖に横に走る道となり、やがて道沿いに古い墓が現れた。国道沿いに新しい集合墓らしきものがあったので、打ち捨てられた古い墓跡かなと思ったのだが、新しそうな墓もあり、花が供えてあったりする。ところが世話をする人の居ない墓もいくつかあって、石が崩れ厨子甕が割れて散乱しているものもある。墓が大きいだけに不気味な感がして、それ以上進めなかった。おそらくかつての後生(ぐそー)の地ではないだろうか。写真はひかえるが、オランダ墓を紹介しよう。沖縄にはいくつかオランダ墓があるが、オランダ人が葬られているわけでなく、外国人だとみんなオランダ墓となる。Img_2680

 



【今日のじょん】:周囲は雪だというのに昨晩蚊に刺されてしまった。家の中は暖かいので越冬しているようだ。フロントラインはともかくフィラリア対策はどうだ。P1030675


んなの蚊んけいネエ♪

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棧敷ヶ岳 2/22

2013-02-23 | 地名・山名考

2013.2.22(金)曇

 棧敷ヶ岳(さじきがだけ 896m)は京都北山雲ヶ畑の奥に聳える山である。長岡京から雲ヶ畑岩屋橋までは週一回の自転車の練習コースだったし、その奥の山に登ってみたいと思っていた。30年ほど前に遂に登ることになったのだが、どういう機会でどういうメンバーと登ったのかよく憶えていない。憶えているのは尾根道に惟喬親王(これたかしんのう)が山上に棧敷を作り、都を懐かしく眺めた、などという伝説が看板に書かれていたことぐらいである。惟喬親王の皇位継承問題も木地師の祖なる伝説も知らなかった当時であるから特段気にもせず、親王の作らせた棧敷が山名の由来になっていることだけが記憶に残った。
 この山名由来は信頼できないが、「北山を歩く 2」(澤潔)に、明解な答えがあった。”サシ””サス”は焼畑(切畑)を意味する朝鮮古語で”キ”は場所、土地の意味、とある。つまりサシキ→サジキ→棧敷となり、焼畑地を意味するものだろう、ということである。
 まあ、古い頃なら焼畑がなされていても不思議ではないが、意外なところから別の説を見つけることができた。
 沖縄の東南、南城市の中城湾を囲んで佐敷(さしき)町がある。2007年2月にコザ(沖縄市)から久高島に向かうべくこの町を通り過ぎたのだが、特段目を引くような物も無く通り過ぎてしまった。
 佐敷(方言ではサシチとなる)は第一尚氏、尚巴志の出身地で、居城であった佐敷城があったところである。
 「地名の語源」(鏡味完二)によると”サシ・サーシ”は傾斜地を表すとある。もちろん上記の焼畑も表すのだが、古代朝鮮語としてあるのは城をサシとよぶ事のようだ。
澤先生、少しそそっかしいところがあるのではと以前に書いたことがあるが、どうもこの部分も読み損なっているのかも知れない。
 佐敷間切(間切・マジリは沖縄のかつての行政区で、現在の村・ソンにあたる)は実際に傾斜地(サガーラージ)であって、歴史的にも地滑り地帯である。
 佐敷町には今でも崩れ原の小字名が多くて、庫利原、山崩原、崩利下原などの地滑り地名がある。
 とまあ、これらは「地名を歩く」(南島地名研究センター)に記されている事なのだが、桟敷ヶ岳についてももし周辺が地滑り地形であったらこの説が正しいのではないだろうか。
 地すべり地形分布図を見ると岩屋不動西南面と棧敷ヶ岳西南面に周囲に比して随分大規模な地すべり地形が集中している。
 澤先生もこのようなデータがあれば、地すべり、傾斜地説をとったかもしれない。
遠く離れた沖縄でも地名の語源は共通するものが多くある。古代人の移動、文化の流れといったものを感じさせられる。

【作業日誌 2/22】
ウッドデッキ階段作り

【晴徨雨読】151日目(2007.2.22)伊平屋、前泊停滞
しっかり雨で連泊する。女将が分厚い「伊平屋村史」を貸してくれたので一日雨読する。小雨の間に港の資料館に行く。文化財に対する深刻な問題を告発するポスターが貼られていた。拡大して読んで頂きたい。Img_2665




問題の箇所。Img_2585 Img_2619




左:屋蔵墓の村民が知らない間に建てられていた石碑
右:クマヤ洞穴に勝手に作られた日本式の祭壇、天岩戸伝説の影響かもしれないが、沖縄の信仰とは縁もゆかりも無い。
石下墓(いしちゃばか)は訪問していない。


【今日のじょん】:今日の雪はこんなものてんで、じょんシャンを行う。実に昨年末以来のシャンプーである。かみさんの腰の調子とお天気とじょんの体調が合わないと出来ないので延び延びになっていた。シャンプー時に測るよっこらじょん体重測定は18.2Kg、合格。P1030945

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