晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(73) 馬場町-2 5/31

2014-06-02 | 地名・山名考

2014.5.31(土)快晴

 草津市役所を出て、国道一号線を越え、県道2号線を東南方向に進む。やがて青地町(あおじちょう)に着く。青地さんという方を幾人か知っているが、果たしてこの地の出身なんだろうか。
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 当初は青地名の一つで葬地に関連して、馬場町の穴虫とも関連するものかと考えたが、角川日本地名大辞典によると、青地の荘が中世の荘園名で、元々は志津荘(しづのしょう)といったのが永禄年間に六角氏家臣の青地駿河守茂綱の所領となって、青地荘と称する様になったとある。これだけではこの地が元々青地という地名だったのか、青地氏が所領としたので青地となったのか判断できない。詳しく調べれば解ることなのだろうが、元々が志津荘であり、青地荘15ヶ村の中に青地の村名が無い事から、青地というのは古来の地名ではないのではという気がする。
 草津市を流れる川はその多くが天井川である。川を渡る毎に土手を上っていかなくてはならず、異常な高温のこの日はとてもつらい。一人で行く日なら何もかまわずどんどん進むのだが、今日は娘の史子と一緒なのでそうはいかない。慣れない日中の行動はとても危険だ、熱中症になったっておかしくはない。草津川の土手の下の木陰で休憩して水分を摂る。
 自転車を押し押し土手を上り、草津川の小橋を渡る。とたんに航空写真で確認していた墓地が目に入る。おそらく馬場町全体の墓地なのだろうか、随分と大規模な墓地である。これだけの規模の墓地にしては国土地理院地図に墓地記号が無いのはどうしてだろう。
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南向きの立派なお墓である。見たところ近世以降の石塔が目立つが、これだけの規模なので古来からの墓地と思う。
 当初この墓地こそ穴虫ではないかと考えていた。そして穴虫パターンとして青地を考えていたのだ。しかし青地が古来の青地名でないとするならばこのパターンは成り立たない。
 次に考えたのが馬場町の南、工業団地の一角が途切れて山地に入る辺りである。そのまま南に進むと桐生に至るのだが、西に行くと新興住宅地であるが青山という地名となる。この青山は大津市の範疇になるのだが、地名辞典には一向に出てこない。どうやらその北にある若草同様、新興住宅地の新地名なのだろう。
 最後の候補地は馬場町の中心部、願信寺周辺である。地図を見ると願信寺の脇を東に小さな尾根を横切る道がある。その先が美濃郷川支流の菖蒲谷となる。この菖蒲谷を葬地とみて、願信寺あたりに穴虫があれば、わたしの考える穴虫パターンに当てはまる。バス停で調べた仕掛田が小字一覧の植カケ田であれば穴虫が願信寺の周辺であることは濃厚になってくる。願信寺で聞き取りすることにして、道を急いだ。P1030049



願信寺は立派な本堂が目立ち、どこからでもそれと解る。
【作業日誌 5/31】
山椒醤油煮、塩漬け作製
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レシピは後日。

 【今日のじょん】
 蛇忌避剤効果実験3日目、絶好の蛇のひなたぼっこ日よりなのだが、姿が見えない。いやはや効果があるようだ。なにしろこの条件なら必ず出現するところなんだから。P1030078
 

 

コメント (3)
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