2014.9.16(火)快晴 穴は火葬場だった
真宗地帯の福井県で小字穴虫の数が少ないのが気になる。わずかに5地域で京都府より少ない。穴虫が火葬地だとするとこの地域に無数に存在してもいいはずだ。その代わりと言ってはなんだが、穴田という地名が無数にある。穴地形、つまり両側が切り立って迫っているような地形のところにある田んぼと考えるのが一般的と思われるが、実際に現地を見てみないと判断できない。
この穴田地名は嶺北に多いようで、嶺南には数が減り、京都府の舞鶴市になるとごくわずか、綾部市になると皆無の様相である。もっとも精査したわけでないので感覚的なものなのだが、この分布は何かありそうな気がする。
ここで文献上に重大な発見をしたので紹介したい。
穴というのは火葬場である。
「中世の葬送・墓制」水藤真著
文明十六年三月二十日、久々に京都を訪ねた尋尊は奈良への帰途東福寺に立ち寄り、「普門寺ニ参詣、後成恩寺御葬火所穴等拝見、則参申常楽院了」(『大乗院社寺雑事記』同日条)と、兼良の火葬の所を見た。(P156)
という文章がある。火所穴、穴が火葬場を表していることは明らかである。
また、「八 葬送や石塔の費用」(P159~P174)の中に次の記述がある。
さて、応永五年(一三九八)六月三十日、答辞観智院の賢宝が亡くなった。
その没後の様子は『観智院法印御房中陰記 応永五年』に詳しく記されている。その中に「一、御荼毘用意事」として
則注文一紙送レ之、彼注文云、荒壒三連、炭三連、棺百文、穴貸百文、百文ハタツケ云々、八百文絹一、百文ワラウツ、一貫五百文僧衆十五人布施
此分彼是三百疋余也。
絹一とは棺の覆、天蓋、幡等のことでワラウツというのはワラクツのことらしい。荒壒というのが何か解らないが、この見積もりが見直された文に
荒壒火屋代 一貫文とあるので、火葬場における火葬の労賃ではなかろうか。火屋は火葬場の建物、といっても四本柱に天蓋のついたものだが、穴は穴貸が見積もり後穴賃となっている。単なる誤字なのか、それとも穴というのは貸すものなのか、火葬する地面の炉の部分と見たのだがどうだろう。
この辺はもう少し研究する余地があるが、少なくとも穴は火葬に関する言葉で、穴賃というのは土葬の場合は発生していないのである。
つづく
【作業日誌 9/16】
ネギ土寄せ、春菊播種準備
【今日のじょん】今日はおとーおかーは舞鶴の病院へ行ったり買い物したりで、帰ってきたと思ったら温泉に行ったりしちゃって、留守番ばっかし。
おっ寝とんなとおもったら、薄目開けてたりして、、。(9.5)