2016.11.11(金)晴れ
森浩一氏の著書で手に入る物はすべて読むことにしている。わたしの蔵書を著者別に見ると森先生のが最も多い。考古学に関する書物は何ともお堅い文章で、面白くも何ともなくてちっとも頭に入らない。ところが森先生の著書は実に分かり易くて、ユニークな発想があり、面白いことこの上ない。これは先生の文才もあろうかと思うが、考古学を一般人にも分かり易くして広めようというポリシーがあるためだろう。残念ながら2013年に他界されたが、会えるものなら是非とも会ってみたい先生である。先生なら素人のわたしのヘンテコリンな説でも耳を傾けて頂けるだろうし、疑問にも答えてくれるだろうと思うからだ。
「古代人の伝言」考古学講義 森浩一+陳舜臣 朝日出版社 1980年2月発行 古書
病院の待合でほとんど読んでしまった。
さて本書は森先生の講義を作家の陳舜臣氏が受講するという形式で書かれている。「第一講 遺物から遺跡へ」から「第五講 日本海文化」まで興味深い講義が続く。そのなかから極一部、わたしの興味ある部分を紹介しよう。
「第四講 古墳時代」のなかで火葬についての部分である
一般的には土葬と火葬は別な物であって、特に火葬は仏教とともに入ってきたという風に考えられているが、先生は横穴式石室における白骨化の扱いから自然の作用で白骨化を待たなくても、火で焼けば早くてきれいであると、土葬に於ける白骨化が火葬であるという風に説いておられる。
「仏教的な火葬でないと火葬と呼ばないと言う人もいますが、人間の死骸を焼けば火葬なので、仏教的な火葬かどうかというのは第二の問題です。要するに、人間が意識的に火の力をかりて死者の軟部をとってしまうというのは、七世紀の段階からあるのは事実です。」 いやはや何ともユニークで合理的な考えだと思う。
ここに出てくるかまど塚(窯形木芯粘土槨)は大阪府には多いのだけど、福知山にもあるそうで、是非見てみたいものと思う。
そして本書の中に個人的に大発見をした文章がある。
「しかし、最近、奈良県の宇陀地方では室町時代の火葬用の穴をともなう墓地が見つかっています。」わたしが追い求めた火葬用の穴、火葬用の穴をともなう墓地とは如何なるものなのか。大体どんなものか予想は付くのだけど、果たしてどうなのか見てみたいものだ。宇陀に行けば見られるのだろうか。
最も感動したのは講義の最後にある文である。
「変な言い方ですが、よい文学を読み、よい音楽を聴き、よい絵画を観ることも、歴史をみる力を豊かにし、結局、それが学問の基礎の一つということになりますね。」
そう、文化のあらゆるジャンルに触れることが、創造力、発想力の根源になることはわたしのポリシーでもあるからだ。おわり
【今日のじょん】今日はじょんのシャンプー日、待ち時間の間にサン君の新しい小屋を見に行く。
いやはやおしゃれなんだけど、もうあちこちかじっているぞ。