2013.2.12(火) 曇
探訪していないのに探訪記を書くのは心苦しいのだが、探訪したいと思いながら地図を繰っていると意外な発見がある。簡単に行くことが出来ないところはどこで何を見てくるかしっかりと下調べをしておかないと心残りとなることが往々である。
さて次に訪れたいところは、福崎町の飯盛山(197m)である。中国自動車道福崎インターから東南に3Kmほどの山で、やはり形の良さそうな山でキャンプ場も有り親しまれていそうである。ここは市川の流域となるが、実は市川の上流越知川の奥にも飯森山(900m、多可郡多可町)を発見する。この東側は加古川上流の杉原川でかつて鳥羽、清水、樺阪などの銅を中心とした鉱山があった金属産出地帯である。
杉原川の飯森山周辺には、鍛冶屋、安楽田(あらた)、荒田神社、金蔵寺、妙見山、多田、岩座神(いさり)、的場、観音寺、三谷、丹治、清水など金属や古代の信仰を思わせる地名や神社名がみえる。
福崎の飯盛山周辺には鍛冶屋、多田、玉屋、八千種、福居、吉野などの地名が有り、鍛冶屋、多田は多可町の飯森山周辺にもあり、玉屋は加古川市の飯盛山周辺にも存在する。
飯盛山の真北1Kmあまりの所に住吉山(200m)があり、麓に住吉神社がある。この地方に圧倒的に多いのは住吉神社で、海人族による文化伝搬が感じられる。
この播磨の地域に四座のイイモリヤマがあり、総てが似たような環境にあるというのは単に飯を盛ったような形の山という意味ではないような気がする。
さて最後に行ってみたいところは高御位山(たかみくらやま、299m、高砂加古川境)である。この山は加古川市の飯盛山と同様盃状穴と祓禊のための穿溝が発見され、古代祭祀跡遺跡とみられている。これ等の遺跡や高御位神社があるという。地形的には馬蹄形の連山の一画で、南と西に鹿島神社があるが、東麓の加古川市志方町成井周辺に、大己貴神と少彦名神の降臨伝説があり、高御位神社には二神が祀られているというので東面が主体なのかも知れない。東麓と南麓に神社のマークがあるがこれがどのような神社なのかは現地を訪ねないと分からない。
古代祭祀跡、大己貴神伝説などはこの山にとって最も古い事項とおもわれるが、この地に特有の鹿島神社は播磨国分寺に関連するものということだからその次の歴史的事項だと思われる。
国分寺について地図を巡らせていると、その付近に別所を見つけることとなる。
つづく
【作業日誌 2/12】
ウッドデッキ階段、塗装関係
村上さんに厚さ6cmのケヤキ板をもらったのだが、塗装が乾かないので大変。
【今日のじょん】:雪は少ないといえどいくらかは毎日のように降っている。なごり雪というにはまだまだ寒い。この時期は上林川の日常の水量が最も高くなる。故郷の川合川に比べて随分大きい川やなあと今更乍らに見ていると、じょん君獣の臭いを嗅いで草むらに隠れてしまった。