晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 ブンナよ木からおりてこい-6 9/11

2014-09-11 | 雨読

2014.9.11(木)曇り

 水上先生が直接寄贈されたものでなくても、「ブンナ」を世の母親たちに読んでもらいたいという思いを持っておられたことは間違いないし、寄贈された方も同じ思いであろう。誰もが手に取って見ることの出来る一階の書架に置いて欲しいというわたしの願いは館長に伝わったと思う。
 「スペースのとこもありますので、ずっと置くことは出来ないかも知れませんが、没後十年の記念の年でもありますので、月々のイベントの一環として展示できるよう計ってみます。」とまあ、随分と嬉しい答えであった。我が町の図書館が四角四面のお役所でなかったことにも喜びを感じるが、ここ数日間の肩の重荷が降りたような気がしてすがすがしい気分で図書館を出た。
 ところが深く考えると、「ブンナ」が目につくとろに展示されたとして、今のお母さん方に読まれるだろうか?読まれたとしてもその意図が理解されるだろうかという不安が残る。
 凡庸に生きるとか、弱いものに優しく、食べるものに感謝するという仏教的な思考が果たして理解されるだろうかという不安である。
 世は将に人に勝らんことのみについやし、飽食の世とて、ご飯一粒でも拾って食べろと叱られた私たちの時代とは違うのだ。
 しかし水上先生は万人が「ブンナ」を読んでこどもたちに読み聞かせる事を望んでおられるわけではない。一人でも手にとって読まれて、その子に何かを与えられたらそれでいいと思っておられるのではないだろうか。
 一滴文庫が「たった一人の少年に」開放されたのもそういう意味なのかも知れない。おわり

【作業日誌 9/11】
大根種蒔き、白菜苗植え付け
谷水水道補修
P1030758


これ9日の写真だけど、畝の表皮は流れ、石ころだらけになっている。蒔いた種は流れて、溝のところで芽を出している。
【今日のじょん】
 昨日はゲンタとナナちゃんが来じょんし、今日はモモ姉さんが来た。涼しくなって、天気も良くなってきたらドッグランどもお役に立ちそうだ。

 

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雨読 ブンナよ木からおりてこい-5 9/9・10

2014-09-10 | 雨読

2014.9.9(火)晴 10(水)晴 合併号

 先日一滴文庫の受付で水上先生にそっくりの方を見たことが妙に気になる。うみんぴあのプールに行く際に一滴文庫に寄って確認しようと思う。その前に治面地さん宅のセントバーナードの米ちゃん(本名ラスティ)に会ってみたいと寄ることにする。そこで受付の方のこともきくことができた。
 「そりゃあ〇〇君で今九州に帰ってるかなあ」というようなことで眼鏡を掛けていて、水上先生に似ているというようなことはないそうだ。かみさんも眼鏡を掛けていたと言ってるのだが、わたしの見たのは眼鏡は掛けていなかったし、若いときの先生の風貌にそっくりだったのだ。
 「あの子は水上先生に憧れて、風貌をまねてるんですよ」という答えを期待していたのだが、ここに至ってはわたしの勘違い、見間違え、思い込みと結論づけるしか他に無い。
 さていよいよ、綾部図書館にお願いに上がる日が来た。「ブンナ」を一般の書架に置いて欲しいという単純な話なんだが、正直言ってなんでこんなことに一所懸命になっているのかという後悔の念もある。ここまで書いてきたので後戻りが出来ない。
P1020752

 
綾部市図書館(2014.4)
 何となく後ろめたさを感じながら館長にお目にかかる。この館長が実に賢明な方で洞察力も深く、わたしの意図はすぐに理解していただけた。そして「ブンナ」のサインを見せたところ、「この本は確かに寄贈本ですね、だけど水上先生自身が寄贈されたというより、この本を持っておられたどなたかが寄贈されたものと思います」という冷静な答えがかえってきた。
 なるほど、寄贈された年月日と発行年月日のずれ、本のヤケの状況などからして納得のいく回答である。
 綾部の母親たちに読んでもらいたいという意志は、その寄贈者が持っていたのかもしれない。つづく

 【今日のじょん】P10307659月9日 P1030763

P1030764  


米ちゃんとたんざく(どちらも♂)米ちゃんの部屋はクーラー付きだぞ。
 またしてもカメラが壊れた。とーぶん画像は無いからね。

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雨読 ブンナよ木からおりてこい-4 9/8

2014-09-09 | 雨読

2014.9.8(月)晴

 今日は水上先生の命日である。この前後に起こった不思議な出来事は単なる偶然であって、スピリチュアルなものを肯定する気は無いが、水上先生が「ブンナ」を、綾部の母親たちがこどもたちに読み聞かせるようにと綾部市図書館に寄贈されたことは間違いない。
 水上先生が、生まれ故郷の本郷村を愛されていると同じように、上林や美山、綾部や福知山の丹波の地を愛されていることは先生の作品を見れば解る。
 わたしが出来ることは、二階の書庫に眠っているこの本を一階の書架に置かれるようお願いするだけだ。そしてもしその願いが叶ったなら、あらゆる機会を通じてそのことをPRしたい。一人でも多くの綾部の母子が「ブンナ」を読んで、いくらかの考えを与えられたら、それは先生にとってもわたしにとってもこの上ない喜びである。
 若州一滴文庫のパンフレットに水上先生の誌が載っている。
 
たった一人の少年に
 ぼくはこの村に生まれたけれど、
 十才で京都に出たので
 村の小学校も卒業していない。
 家には電灯もなかったので、本もよめなかった。
 ところが諸所を転々として、
 好きな文学の道に入って、本を読むことが出来、
 人生や夢を拾った。
 どうやら作家になれたのも、本のおかげだった。
 ところがこのたび、所蔵本が多くなって、
 どこかに書庫をと考えたが、
 生まれた村に小さな図書館を建てて、
 ぼくと同じようにほんをよみたくても買えない少年に
 解放することにきめた。
 大半はぼくが買った本ばかりだ。
 ひとり占めしてくさらせるのも勿体ない。
 本は多くの人によまれた方がいい。
 どうか、君も、この中の一冊から、何かを拾って、
 君の人生をきりひらいてくれたまえ。
 たった一人の君に開放する。


 
昭和六十年三月八日  水上勉
P1030728  


若州一滴文庫、格調高いというより、落ち着けるところである。

【作業日誌 9/8】サッチ片付け

【今日のじょん】テレビでエゾシカの泳ぎが目撃されたと大騒ぎしていた。鹿や猪が泳ぐのは多くの知るところであり、今更大騒ぎすることではない。じょんの見ている草むらは鹿の通った跡であり、その先は堰で満水となった川である。もちろん鹿の足はたたない。P1030738

 

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雨読 ブンナよ木からおりてこい-3 9/7

2014-09-09 | 雨読

2014.9.7(日)晴

 これで水上先生が「わしが死んで残るんは、、」と言われた意味が解ってきた。「ブンナ」は上出来だったとか、興味深く多くの人に読んでもらえるとかいうことではなくて、母親がこどもたちに読んで聞かせて、考えさせようとするための必要な童話であるということではないだろうか。「残るんは」ではなくて「残さなければならない」と先生は考えられたのでは。
 それで見開きに先生のサインがあることが理解できた。この本は水上先生自身が、綾部市の母親たちに読んでもらい、こどもたちに読み聞かせて欲しいと願って寄贈されたものなのだろう。
 もしそうだとしたら、綾部図書館は先生の思いを踏みにじっている。残念ながら本書は二階の書庫にしまわれていて、一般の目に触れないところにあるのだ。
 今年は水上勉没後10年ということで、先生になりかわって綾部図書館に交渉してみよう、誰もが目につく、一般の書架に置いてもらうことを。
 明日行こうと思ったら、明日は休館日だ。やむなく明後日に行くことにしたが、10年前のいつ亡くなられたのか調べてみたら、なんと9月8日なのである。明日が命日なのだ。
P1030761
 

今年は没後10年の行事がめじろおし
大体今回の読書には不思議なことが重なった。
 図書館で調べ物をしていて、何気なく「ブンナ」を借りてしまった。綾部図書館にあることは知っていたが、沢山本を借りているところなのでこれ以上借りる気はさらさらなかったのにである。
 そしたらその本の見開きに水上先生のサインがあった。
 全然別な用件で渡辺淳先生のお宅に訪ねたら、「一滴文庫に行ってますよ」と言われて一滴文庫を訪ねた。その日が「ブンナ」を読み終えた日である。P1030726
 


渡辺先生のお宅の郵便受けは、かつて使われていたらしき郵便カバン
 綾部図書館に交渉してみようとした日が水上先生の命日であった。
 他の調査で計画している福井市足羽で、本書の挿絵を描いておられる山高登氏の展示会が開催されている。タイトルは「ブンナよ、木からおりてこい」である。
 そしてもう一つ、知らないのはわたしだけかも知れないことなんだけど、先日一滴文庫を訪れたとき、受付の方が水上先生にそっくりでドキリとしたことである。
 みんな偶然なんだろうけど、なにか因縁めいたものを感じざるを得ない。
つづく

【作業日誌 9/7】
芝生広場、ドッグランどの芝刈り

【今日のじょん】ニシクリじょんは相変わらずだけど、錦織選手はやってくれましたネ。ニシクリはあんまりしなくなったけど最近は美味しいものが多くて、あごのせじょんやってます。(おねだりポーズ)
P1030741
 
 

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雨読 ブンナよ木からおりてこい-2 9/6

2014-09-07 | 雨読

2014.9.6(土)曇り

 天国だと思った椎の木の上が実は地獄だったというあらすじの予告を見て、この童話のモチーフは戦時中の満蒙開拓村ではないかと思った。満州だけでなくブラジルやハワイなどの日本からの開拓移民は、国家の大嘘にだまされて楽園を夢みて海を渡り、彼の地で地獄を見ることになる。
 昭和12年、水上勉は京都府の職員として満蒙開拓義勇軍の募集のため、周山を訪れている。そして満州に送った山国の子らは再び祖国の地を踏むことはなかった。丹波周山に収められた水上勉の文章は冬の雨のように寂しい。

P1010911
 
丹波周山は「丹波・丹後」におさめられている。

 わたしの予想は全然当たっていなかった。ブンナの話は母親がこどもに、世の中はこうなんだよ、生きていくことはこういうことなんだよと話して教える話なのだ。
 だから読んでいてもおもしろい、次はどうなるんだろう、ブンナはどうなるんだろうとわくわくする期待感が湧いてくる。小さなこどもがなんで、どうしてと親に聞き続ける時期がある。そんな光景が浮かんでくる作品なのだ。
 ブンナがどうなるかは、ここでは明かさない方がいいだろう。
 あとがきにかえて「母たちへの一文」という章がある。母親にこの童話をこどもたちに読み聞かせて欲しいと言うことが書かれている。その最後のところに次のように書かれている。

 
凡庸に生きることが如何に大切であるかを、母親は先ず自分の心で抱きとって、子にはなしてほしい。そうであれば、ブンナが木の上で体験した世にもおそろしく、かなしく、美しい事件のすべてが、子供に、いくらかの考えをあたえ、この世を生きてゆくうえで、自分というものがどう確立されねばならぬかを、小さな魂に芽生えさせてくれる、と作者は信じる。
 このような考えのかけらさえなくて、どうして、私たちは子供に、本を書いたり、話をしたりする資格があるだろうか。
つづく

【作業日誌 9/6】
店の玄関蔦の剪定

【今日のじょん】じょんは右左が解るか?
例えばボールを見失ったとき、「ひだり」と大声を出すと左に行く。「よしよし」と言って褒めるからそこいらを探す。ボールが見つかったらまた褒めるから、余計自信がつく。ところが右に行く場合もある。その時は「ちがうちがう」というので途中で戻る。解っているのは右左ではなくて「よしよし」と「ちがうちがう」なんじゃないか。

P1030733
P1030734



「ひだりひだり」「あったぞよしよし」

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雨読 ブンナよ木からおりてこい-1 9/5

2014-09-07 | 雨読

2014.9.5(金)曇り

 「わしが死んで残るんは、『ブンナ』と『飢餓海峡』ぐらいや」没後10年となる水上先生がポツリと話されたという。渡辺淳先生の一文に驚いた。
 飢餓海峡は二度ばかし読み、映画も見た。しかし「ブンナ」は知らなかった。一滴文庫でその作品があることは知ったが、「なんだ童話か」って読むことも無かった。だが、水上先生自身がそう言っておられたのなら、読まないわけにいかない。綾部図書館にあることは知っていたので、調べ物のついでに借りてきた。そしたら見開きに水上先生の自筆のサインがあるではないか。おそらく先生はこの本を綾部図書館に寄贈されたに違いない。そしてその意図は読み終わった時にわかった。
 この本を購入するのでなく、図書館で借りたことに運命的なものを感じる。そして読み終えた今日、一滴文庫で渡辺淳先生にお会いできた偶然も何か感じるのである。
P1030729P1030730
直筆のサイン入り

「ブンナよ、木からおりてこい」水上勉 昭和55年2月 三蛙房発行 
綾部図書館借本

 トノサマ蛙のブンナは、お寺の境内にそびえる椎の木のてっぺんに登る。そこは台風か何かで折れたのだろう、幹のところに穴があいて土がたまっている。景色は良いし食糧の虫も居る。将に天国だっと思ったのだが、実はそこは鳶の餌の中継所で、つぎつぎと雀やモズや鼠や蛇など傷ついて、餌になる日を待つ動物達が連れてこられるのだ。土の中に隠れたブンナは彼らの死を目前にした会話を聞くことになるのである。見つかったら大変である、傷ついているとは言え蛙よりは強い動物ばかりなのだから、、、。
 つづく

【今日のじょん】畏れていた大雨が来た。深夜から雷が鳴り、強烈な雨が降ってきた。以前は平気だった雷が怖くなり、トイレにもついてくる始末。
夜中に様子見に行くと、もう尻尾下げてハアハアゼイゼイ大変である。途中でかみさんが一緒に居てやったそうだ。避難勧告も出たが、この雨の中をどうこう出来やしない。
 夜が明けると、あちこちから心配の電話、ニュースでさかんに綾部の情報を流したみたい。散歩時に川や道の様子を見るがじょんのび周辺では被害はなく、昨年の18号台風の時に比べればさほどの水量では無かった。
P1030720 P1030721



上林川とじょんのび谷下流。

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穴虫考(111) 福井県-2 9/4

2014-09-06 | 地名・山名考

2014.9.4(木)曇り

 福井県の穴虫は意外だった。もし穴虫が火葬地であったら真宗地帯である福井県嶺北では、各集落にひとつずつあってもおかしくないはずだ。いきなり火葬地説に不安が出てくる。やはり地道に調査を続けるしか無いのだろう。
 舞鶴若狭道が開通し、北陸地方は大変近くなった。福井市でも2時間ぐらいで着けそうである。福井市には羽板町に穴虫があり、穴虫火葬地説の発端ともなった農民詩人の山田清吉氏もこの地におられるので、是非訪れてみたい。Img_0174
 


真宗地帯を行く、北潟湖周辺(2006.8)
 その前に数少ない福井県の穴虫について、机上で考察できることはやっておきたい。
 全体的に福井県の小字を調べて感じたことは、穴虫地名が予想以上に少ないことと、代わりに穴田という地名がやたら多いことだ。穴田の意味は見当がつかない、「ア~」が湿地を表す言葉なので、「あーだ」が「あなだ」に代わったとも考えられるが、やはり現地で聞いてみないと判断できない。
 サンマイ(墓地)を表す表記に三昧、三枚、三味などがある。三昧は三昧とみていいだろうが、三枚、三味については注意が必要である、これらは福井県に限ってのことでは無い。三味はサンマイとは読めず、別の意味があると考えるのが妥当だが、どう見てもサンマイだろうという位置にあるものも存在する。例えば三味谷、三味島、三味屋敷、三味古河、三味谷垣内、三味腰などという地名も出てくる、サンマイ→サンミという変化も考えられるので、一応サンマイにもとづく参考地名としておきたい。ただ福井市に五味田という小字を見つける。五枚田と考えるべきだろうか。
 三枚については明らかにサンマイを意味するものと田の枚数を意味するものが混在しているようである。後者については二枚田、三枚田、四枚田~と続く地名が全国にある。
 穴虫地名は嶺北に限り、嶺南地方では小浜市の穴伏が一ヶ所あるのみだ。現地に行ってみないと何とも言えないが、南丹市日吉町の穴伏のように淵を表すものかも知れない。もしそうだとすると嶺南には穴虫地名は無く、真宗との関連も濃厚になってくる。つづく

【作業日誌 9/4】ジャガイモ植え付け、トマト片付け

【今日のじょん】だんだん雨が激しくなってきて、閉めきっているものだからやたら蒸し暑い。ふと振り返ると黒い影が動いている。百足だ、外では何度も見かけるが家の中は年に数回だ。この時期のは成長しきっているのかでかい。ムカデフマキラーでやっつけるが、能書きどおり一秒でノックダウンというわけにいかない。それでも10秒ぐらい格闘して、遂に動かなくなった。箸でつまんで紙にくるんでと大騒ぎしているのに、じょんは知らん顔で寝ている。ムカデについては特に敏感で、シューシューやってると飛び回って大騒ぎとなるんだけど変だなー?
P1030715
 
真っ直ぐ伸ばすと12cmの大物。 


 

 

 

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穴虫考(110) 福井県-1 9/3

2014-09-05 | 地名・山名考

2014.9.3(水)曇り

 浄土真宗の盛んな地、いわゆる真宗地帯の穴虫地名を調べることにする。北陸三県について調べることにして、まず福井県から始める。もし穴虫が真宗信者の火葬地であるならば、真宗地帯には高い確率で存在するはずだ。
 図書館で角川日本地名大辞典の小字一覧から拾っていくのだが、何千とある小字を目で追っていくのは疲れる仕事だ。だんだん集中力が落ちてきて、見落としもあるかも知れない。最近はオンデマンド版が発売されており、これだと一発で検索できそうなのだが、値段が高くて間に合わない。また、自治体によっては小字一覧を掲出していないところもある。例えば高浜町などがそうであるが、これは他の資料があったのでそちらで調べた。
 なお住所は1989年以前の住居表示なので変わっているところがあるかも知れない。( )は近隣の気になる地名。

 福井市羽坂穴虫(後山、穴蔵)
 小浜市大谷穴伏(上足谷、下足谷)
 武生市片屋村(現越前市片屋町)西穴虫、穴虫(経ヶ岳)
 武生市氷坂村(現越前市氷坂町)穴虫(御坊ノシロ、寺ガ谷)
 武生市文室村(現越前市文室町)穴虫(鳴滝、地蔵田)、穴虫
 清水町杉谷穴虫(青原、釈迦畦)
 つづく
Img_0131


 
片屋町、氷坂町は武生の西北で文室町は東南にあたる。前者は古代の水銀、後者は鉄の産地と思われる。写真は中央図書館。

【作業日誌 9/3】
 畑(大根用畝作り)

 【今日のじょん】刈り払い機の音に混じって、電動トリマーとコンバインの音が聞こえるようになってきた。早く畑を片付けて庭木の剪定しなくては、と焦りを感じる。隣のうちはプロが来てさっさと済ませてしまったので、どのように刈るのか偵察に行く。P1030712
 
 
 

 

 

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穴虫考(109) 男山穴虫-5 9/2

2014-09-03 | 地名・山名考

2014.9.2(火)曇り

 今回の男山穴虫訪問は時間の制約で充分ではなく、肝心の称名寺訪問も果たせなかった。しかし穴虫の位置確定とその位置が訪問前の予想と一致していたことに大きな成果を得ることが出来た。まだ何度か訪問することになろうかと思い、考察はその後まとめて行うことになるのだが、今回の訪問で解ったことや考えることをまとめておきたい。
 (1)穴虫は予想通りの位置にあったこと。
 穴虫のヒントは男山にあるということだけだ。谷間であって、集落の外れにあるという予想を立てると、男山川、三田川の中下流域に絞られる。男山川の上流には別惣というところがあり、穴虫パターンだとこちらと考えらレがちだが、小字一覧の穴虫の周囲にはアタゴノオテ、青屋田、上勝ブ谷、牛グソなど葬地地名を表す地名があり、別惣だけが穴虫パターンの要素とはなり得ない。称名寺からの距離は男山川のほうが近いが、丹後国分寺からは三田川は尾根一つ越えたところである。そして航空写真で見ると三田川の周辺には墓地が幾つか見える。そういうわけで三田川の左岸の道の終点辺りを予想したのだが、将にその辺りが穴虫だった。

P1030671


穴虫はもう少し奥だと思うのだが、写真のネットの処に林道が走っている。その林道沿いに現地を訪ねることが可能だと思う。

 (2)穴虫は真宗寺院の檀家圏ではなさそう。
 少なくとも三田墓にお墓のある家は、禅宗で弓木の玉田寺が菩提寺だということだ。一軒だけ称名寺の檀家さんがおられるということだが、穴虫と真宗寺院の関係は無いかも知れない。ただ三田川右岸の幾つかの墓地については未調査なので、今後の調査に期待したい。実際に穴虫は三田川右岸にあるのだ。
 (3)国分寺と穴虫
 古代において国策として仏教とともに火葬は奨励された。それは天皇、僧、官僚らが率先して実践されたと考えられている。国分寺の僧侶が火葬に付されるのは充分考えられる。穴虫が古代地名ではないという考えからは矛盾するが、今のところ丹波、丹後、近江の穴虫が国分寺の近辺に存在する。そしてそのいずれもが真宗の影響力が見られない点が気になるところである。単なる偶然なのかこれも今後の調査の拡がりで解ってくることとは思えるのだが。P1030661
 


丹後国分寺跡の上部にある丹後郷土資料館、奥に見える尾根のむこうに穴虫は存在する。

(4)次回訪問に向けて
 穴虫と浄土真宗、火葬の関係を調査すること。真宗において火葬が行われていたら、どの場所で、どのように行われていたか知りたい。真宗の墓地の形態なども今後の調査のためには知っておくべきと思う。
 また、穴虫を取り巻く小字地名の探究も続けたい。特に役場での調査が困難なだけに、地元の調査が重要になる。
 右岸の林道は穴虫を横断している。ここが穴虫だという地域を訪ねてみたい。そのためには地権者の同行が必要かとも思われる。
つづく

 

【作業日誌 9/2】
九条太ネギ植え付け、白菜苗5本植え付け

【今日のじょん】
定休日は散歩も遠出する。今夏は雨が多く、気温も低く作物にとっては悪条件である。新規の農業法人がショウガとサツマイモを栽培しておられるが、高温が条件の作物だから出来具合はどうなんだろうと心配する。素人のわたしには土の中でどのような状態かは解らない。もちろんじょんも。P1030700 P1030702

 

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穴虫考(108) 男山穴虫-4 9/1

2014-09-02 | 地名・山名考

2014.9.1(月)曇り

 男山公民館は板列(いたなみ)八幡神社の向いにある。テントが干してあるのは何か行事があったのかと聞くと、先日盆踊りをしたのだが天気が悪くてテントが乾かないから片付けられないとのこと。そういえば今夏のイベントは多くが中止になったりで大変だったようだ。区長さんは不在だったが、家を教えてもらい、近所だったので寄ってみる。在宅であったが来客中だったので、名刺を置いて失礼する。P1030678
P1030679


男山公民館は板列八幡宮の向かいにある。
 まだまだ訪問したいところは何件かあり、肝心の称名寺への訪問も出来ていない。次回の訪問を期して車の置いてある郷土資料館に戻る。
 駐車場の下にちょっとした記念碑の広場がある。草引きをしておられる二人のご婦人に質問する。郷土資料館の横にあるお墓についての質問である。お墓はこの辺りの方のお墓で、菩提寺は丹後国分寺だという。本来の丹後国分寺と関係があるのかどうか解らないが、国分寺跡の敷地内にある高野山真言宗のお寺である。それよりもこの石碑の広場を見てくれと言われる。
P1030683 P1030687 P1030686
 


丹後国分寺跡と天橋立の祈念碑
 立派な石になにやら文章が刻んであって、天橋立を守る会の祈念碑だという。色が落ちて読みにくいのだが、なにやら橋立の切断計画がどうのというのが読める。過去にそのような計画もあったそうだが、要は市民の力で守っていきましょうということらしい。ご婦人方の言われることは、もう一つの石碑の文面なんだが、文面が道路の反対を向いていてここがなんだか解らないこと、この文面だと見た人が林田悠紀夫氏がこの石碑を寄付したように言われることが気に入らないようである。
 「丹波のしみったれ政治家がこんなものを寄付するわけがないでしょう」と言ったら、「そういうことを言われたのはあんたが初めてやわ」と随分喜ばれた。林田氏は「林田悠紀夫書」と書くべきだったのかも。
 つづく
【今日のじょん】昨日のことだけど、ゆきちゃんやモモ姉さんが来て外で遊ばしておいたら、妙に疲れて家に入れるととたんにぐっすり眠ってしまった。疲れやすいのよね。P1030697

 

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