『東京の街をぷらっと』⑧、地元である日本橋小舟町をぷらっとしてみた。日本橋小舟町と言えば浅草浅草寺に奉納している大提灯である。雷門の提灯は松下幸之助が奉納を始めたが、宝蔵門の提灯は1657年に日本橋河岸の信徒が信仰の証として奉納したと言われている。
(町会のシャッターにも提灯)
高さ3.9m、周囲2.7mもある大提灯は500万円ほどするが、これを町内の企業や個人の協力で行う、心意気のある町会である。
とはいうものの、一周歩いて回るのに15分もかからない広さで1950年代は鰹河岸と呼ばれるほど鰹節問屋が軒を連ねていた。
みずほFGの母体銀行の一つ、富士銀行創始者である安田善次郎も鰹節問屋と両替商をこの地で始めた。今もみずほ銀行小舟町支店には富士銀行創業の地のプレートが残されている。ただ、街を巡っても今は鰹節問屋は一軒もない。
街を歩くととにかく目立つのはゼリア新薬の建物、丁寧に数えた訳ではないが、6棟はある。他には長瀬産業のビルも大きい。
町内には寺はないが、神社が一つ、『常盤稲荷神社』。由来によると太田道灌が江戸城築城の際に伏見稲荷よりご分霊を受けて城内に勧進した。
徳川氏が入城後、江戸城拡張の際にこの地に移されたものである。
日本橋小舟町はほぼ長方形だが、昭和通りには接しておらず、金座通りには小舟町交差点がある。バス停も江戸バス(中央区のコミニュティバス)1ヶ所のみ。
町内に多いものはビジネスホテル、東横イン、スーパーホテル、西鉄インといったチェーンホテルに加え、地元資本の住庄ほてるという『和』を前面に出した宿泊者の評価の高いホテルもある。
加えて郵便局、ガソリンスタンドなども1軒ずつある。
元は西堀留川、東堀留川という運河(堀)もあったが、前者は1928年に関東大震災の瓦礫で、後者も1948年に戦災瓦礫で埋め立てられ、今は全く名残はない。
(東堀留川跡)
また、老舗としては扇子の伊場仙(1792年)、着物の竺仙(1842年)、鰻屋の高嶋家(1875年)、和菓子の月日堂(1877年)など創業100年越えの店が多く見られる。
とはいえ古い小型のオフィスビルが多く、何となく懐かしさを漂わせる街でもある。
なお、堀留町児童公園は日本橋小舟町と日本橋堀留町との境にあるが、地域的には日本橋堀留町に入る。