『東京の坂、日本の坂』その215。中目黒〜目黒駅の坂道巡り②。新道坂と並行する旧道を歩く。この道は坂の塀に色々とカラフルなペイントがなされていて面白い。
坂を下ると目黒川日の出橋に出る。少し戻り、右に曲がり、駒沢通りの歩道橋を渡る。
左に少し行き、右に曲がると目黒学院の前に出る。この道をそのまま真っ直ぐ歩くと『この先階段あり、車の通り抜けはできません』という標識が現れる。この道をひたすら行くと最後は右に石段が出てくる。これが『別所坂』である。
別所坂の標識によると『この近くに別所という地名があったので別所坂と呼ばれるようになった。「別所」は新しく開いた土地のことを意味するが、目黒では突き当たりの場所、行き止まりのことを「べっしょ」といっていたことが地名になったともいう』と由来に関して書かれていた。
階段の下には庚申塔が6柱あるが、これは庚申講を信仰する人が建てたもので、豊作や長寿、家内安全を祈ると共に交流の場として集ったもので3年18回の集まりを終えると塔を建てた。この庚申塔は1665年〜1764年までに建てられたものである。
階段を登るとようやく一息つく。ここも眺めの良い場所であったため、江戸後期に千島探検をした近藤重蔵がミニ富士(築山)を作り、目切坂の元富士に対し、新富士と呼ばれて多くの見物人を集めたと言われる。
その遺構が平成3年に発掘され、新富士遺跡と言われている。なお、この新富士に関しては山を作った町人塚原半之助と近藤重蔵・富蔵(息子)とが諍いを起こし、殺傷事件(槍が崎事件)を起こしたという後日談もある。
この辺りは高台となっていて坂の上から真っ直ぐに歩くが、道がわかりづらく、近道と思い曲がるとさらにあらぬ方向に向かい、気がつくと元のところに戻るという体験をしてしまった。(以下、次回)