『東京の坂、日本の坂』その210。今回は東武東上線ときわ台駅から東京メトロ有楽町線小竹向原駅までの坂道を散策する。
ときわ台駅は1935年に武蔵常盤駅として開業、1926年に今の駅名に変更された。名前の由来は天祖神社の境内にある『常盤松』から名付けられた。
常盤台は東急の田園調布や日吉、阪急の千里山のように駅開業時から住宅分譲地開発を東武電鉄が行ったもの。環状道路やプロムナード、クルドサックなどを備えた設計となっている。
排水は全て暗渠、専用水道を備えていて一戸の広さが80坪までとなっていた。駅舎は2018年のリニューアル工事の際に開業当時の大谷石造りの瀟洒な洋風建築にしたものである。
駅の歴史や常盤台住宅の移り変わりなどの写真をパネルにして『武蔵常盤小径』と名付けて駅舎側面に展示している。
北口から踏切を渡り、商店街を行く。2本目を左に下る緩い坂道が『暗闇坂』。昔は木が茂って暗かったためついた名前のようだが、いまは両側にマンションが立つ、緩い坂道。
坂下は環七、他の人のブログによると常盤台の名前の元になった常盤松の生えている天祖神社に向かう古道のようである。
坂下まで降りて環七を向かいに渡り、右に曲がる。目の前には板橋中央陸橋、そのまま川越街道との交差点迄行く。交差点のところを左斜めに進む細い道が出てくるが、これを戻るように行く。
この細い道が旧川越街道であり、交差点を越えた斜め前にある長命寺に到達する道であった。この緩い上り坂が『長命寺坂』である。今は太い通りに阻まれているため、名前の由来が分かりづらい。
坂を上って真っ直ぐ行くと石神井川にかかる下頭橋(げとうばし)の所に出る。この橋は近隣の村人が協力して1798年に石橋を架けたものであり、その際に六地蔵を置いた。
橋の名前の由来は六蔵という者が金を出したなど諸説あるが、よくわからない。橋を渡った先からが上板橋宿となっていた。
そのまま大山の方に歩いて行くが商店街となり、ちらほら店が出てくる。寿堂紙製品工業という会社のところで右に弧を描き曲がっていく。この辺りは旧街道のためか、かなり古い民家もところどころにある。
旧川越街道は緩い上り坂となっているが、この坂道が『海老山の坂』、かつて周辺が海老山と呼ばれていたことに由来するのだが、ネットで調べると『かつて飢饉に備えた稗(ひえ)蔵があり、ヒエが訛ってエビとなった』とあるが、ヒエがどう訛ればエビになるのだろうかと疑問に思った。
街道沿いには豊敬稲荷神社がある。(以下次回)