
インターネットカフェに来るはずだった人でなく、他に日本人が居たのです

昨日の昼、食堂を出てアンカーチェーンを溶接できそうな鉄工所を探して街を歩いていました

初めに行ったところは年寄りだし機材も腕も悪いので次を探して人に聞きながら歩いていました
やっと着いた鉄工所は少しマシ?程度

信頼とまではとても届いていない腕

いろいろ話していたらイキナリ日本語が・・

それは日本でダンサーとして数年過ごしたフィリピン女性でした

その娘の中学生に道を聞いたため「日本人じゃ~!!」とお母さんに伝えたそうです。 その人の主人も日本語を話すフィリピン人神父さん。 日本で知り合って


結婚したのだそうです。 それは13年前とか・・ その人がその鉄工所のすぐ前の「サリサリストアー」(駄菓子屋)を指差して「日本人居ります」と言うからまさかと思いつつ覗いて見るとほんまや~!!
その日本人は年齢56歳で僕より一つ年下。 もちろん奥さんはフィリピン人でした

それにしても中途半端な年齢

年金はまだだし・・・ その人はバイスに来て一年半だとか・・奥さんの実家がこちらでマニラの近くに住んでいたのを引っ越して来たとの事でした
不思議な人でインターネットはしないし・・携帯も持っていない。一年半の間にドマゲティに一回行っただけで毎日何処にも行かず家にいるそうです

さては「ヒキコモリ?」借家を月2000ペソの家賃で借り、サリサリストアーと住居を兼ねていますが・・どう考えてもサリサリストアーの儲けは一日50ペソ位のはず・・

一応「一度ヨットにきてください」と声はかけましたが・・・
そう言えば極めて寂しい田舎で会った「日本の老人」もヒキコモリでした。僕らが訪ねて行くと警戒してしばらく出てこなかった程です

しばらく様子を見ていて僕らが夫婦と解ると話してくれました。「日本で事業に失敗して・・」サラ金、ヤミ金など借りれるところからは全てお金を借りたそうです。借りたら返すのは当たり前なのですが返せないからと「夜逃げ」日本中逃げ回ったそうです。だけど何処に逃げても一年くらいで見つかって「年金までとられる」生活だったそうです。
そして遂にフィリピンまで逃げてきた

年金で召使いを使いきれいな家を建てて若い女性と優雅に暮らしていました

「ここまでは追いかけて来ない」と言ってましたし「日本に居る年寄りは可哀相」と言ってましたが・・まあ人生色々。天国と地獄が共存しているようなフィリピンに住んでいる日本人の中にはこれまた日本で天国も地獄も見てきた人達も居るようです
写真は街中を走る自転車動力のトライスクルです。この写真では一人が優雅に乗っていますが・・・