outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

お久しぶりになりました

2006年12月06日 12時56分18秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
ご心配お掛けしました 憎まれっ子は台風の影響も受けず・・しかしながらなかなか思うように立てた計画のようにも進まず、苦心しています。 バイスから一度は「ヨッティの墓場」ボンボノンに戻っていたのですが・・またバイスに戻ってきました しばらくバイスに滞在するのでブログ、HPともにアップできると思います

前回の最終アップの後、何をしていたかは下記の日記を読んでくださいね。



11.26 日本が電気製品を修理しなくなってから随分になるがフィリピンでは日本で廃棄された電気製品まで修理して売られているし、
テレビやラジオが壊れて直すのは当然。ヨットの生活は常にフィリピンと肩を並べるほど何でも修理する。バケツの底が抜けてもエポキシ
ボンドで貼り付けるし、およそヨットにあるもので何処も直していない物を探せと言われたほうが大変なくらいでこれはホロホロに限らずア
メリカのヨットもヨーロッパのヨットもオセアニアのヨットも似たような暮らしをしている。

今日電気製品の修理屋へ調子が悪いテレビを持ち込んで修理を見ていたら隣のテレビのメーカー名がNihonと書いてあるのが目に入った。一
瞬 ニコンがテレビに進出したのか(字体が似ている)と良く見れば「ニホン」そんなメーカーあったかな~・・とまた隣のDVDレコーダー
を見て(@_@;)なんと「AKIO」アキオと書いてある。こんなメーカーも知らない。しかしどちらもメーカー名は明らかな日本語で造られた国
の名前はないが「主要な部分は日本製」と書いてあったけどほんとかな~~・・  これらの写真アップしますので頭をひねってみてくださ
い。 面白いものがイッパイある国です。


11.27 フィリピンの常識で一番の問題??は盗難品や落し物(忘れ物)の処理だと思う。日本では通常このような場合には警察に届け
場合によってはそれなりの捜査をする。フィリピンの場合モノが盗まれても警察に届けるとまず犯人が捕まったり品物が帰ってくることは無
い。なぜならそれが高価なものの場合だと警察は犯人を捜すが見つけても犯人と交渉して犯人からお金を受け取り目をつむるのが常識と言わ
れている。ではどうすればその品物が戻ってくるかと言えば、これは我々も何度か経験していることだが「○○が無くなったとか盗まれた!」
と騒ぐのである。そうすると必ず誰かが「それは幾ら位するの?」と聞いてくる。「二万円」と答えたとすると大体三千円から5千円出せば
「探してあげる」と持ちかけてくる。そして大概その日か翌日には品物を持って現れるから不思議としか言いようが無い。多分フィリピン世
界では「誰が盗んだか解っている」としか思えない。そして仲介人と泥棒がその金を分け合うのだろう。もしかすると「探してやる」と言っ
てくる本人が盗んでいるのかもしれない。もちろん犯人が誰かは最後まで全く解らない。とにかく盗まれたら「買い戻す」以外戻ってくる事
はないというのがこの国の常識である。

今日でフィリピンに入国して60日となりビザの延長をした。フィリピンのアンカーチェーンが信頼できないのでマレーシアに行こうかと考
えたりしているので30日だけ延長したら二人で5840ペソでこれはこの辺りのフィリピン人の高給取りが一ヶ月に貰えるサラリーだから
かなり高い。



11.28 水も少なくなってきたし、アンカーチェーンの情報も得たいと「ヨッティの墓場」ボンボノンに舞い戻った。朝6時にバイスを
出て着いたのは午後1時。行く時と同様、全行程追っ手の風でセールを観音開きにして楽な航海だった。 半月あまり離れていたボンボノン
は相変わらず動く気配のない沢山の「老人ヨッティ」が若いフィリピン女性と過ごしていた。 日本のヨット「パパラギ」の家村氏は僕と
同年代ながら独身故に喜色満面、元気に溢れていて携帯のメールで地元の数人の若い女性とのやり取りに忙しくしていた。


11.29 パソコンで見る海図(シーマップ)を見やすく便利に使える「マキシー」を手に入れようと朝からヨットを周ったがパソコンに
一番詳しいスペイン人が今朝の飛行機で国に一時帰国するので時間がなくオーストラリア人からコピーを貰ったが僕の知識ではどうにもなら
ない。そのオーストラリア人も人に入れて貰っているのでどうにもならず当面の「宿題」となっている。夕方潮が満ちてきた時間を見計らっ
てポリ缶8つに水を運んできた。

この後どう動くかの判断をしなければならないがアンカーチェーンを手に入れにマレーシアまで行くと北東モンスーンの吹く4月まで北上が
厳しくなるし、ここから北上するのは風だけを言えば簡単だがアンカーチェーンがフィリピン製では頼りないし本当に判断が難しい。 台風
21号ドリアンが現在ルソン島に上陸、最大風速50メートルでスピードが遅くかなりの被害が出そうであるが五度ほど離れているここは南
の風に変わっているものの通常の風しか吹いていない。まあ次の月夜にスル海を渡る可能性が高そうである。


11.30 パソコンGPSが届いてからシーマップが使えるようになったので、もっと新しいのを入れてもっと便利に使いたいと今日もアチコ
チのヨットを周り2004年版のものをコピーすることが出来た。 ところが新しくなるにつれ入力が難しくなっていて幾ら入れても思うよ
うに動いてくれない。もう少しパソコン技術があれば・・なんですが使っている本人も誰か腕の達つ人に入れてもらっているので使い方しか
解らない。一日中努力してみたが結局諦めて「そのうち達人がいるだろう」と先送りになっているが頑張りすぎて疲れてしまった。


12.1 マレーシアのボルネオ島までアンカーチェーンを買いに行くことに決定。ボルネオまでは350マイルあり、スル海を横断しなけ
ればならない。 今のシーズンは追っての風で丸三日ほどだが・・長いこと夜なんて走っていない。 最近すっかり目が腐ってしまい遠くの
一つの灯りが5つも6つもに見える。美由紀も同じでこんな二人がレーダーが故障している状況で走れるだろうか?? ボルネオに行くつも
りで「ヨッティの墓場」に戻ったものの出航から到着までをシュミレーションしてみるとどうも今ひとつ安心出来ない。 「考え中」 とり
あえずフライディナイトでビールなど呑みながら考えるとしよう。


12.2 丸三日のスル海横断航海は月夜を選べばレーダー無しで「腐った目」の二人でもなんとかなるような気がして満月を探すと12月
5日だった。 そうなるとすぐ出なければならない。日本のヨットの家村氏他数人に「火曜日に出る」と言った物の「忙しすぎる」ここで無
ければ難しい「新しい電子地図」を使えるようにしようとまた走り回り「もしかすれば・・」と言うフランス人のギーさんに来てもらったが
何故か最終段階の地図とGPSがうまく繋がって機能せず。


12.3 働き者の僕は土曜も日曜もなく忙しく航海の準備をしているが目の前のパパラギ「家○氏」は数人の地元女性を相手に忙しい。
21歳の女性クルーを乗せようかどうかで悩んでいるが僕の悩みとは大きく違い単なる「スケベー悩み」としか言いようが無い。いずれにし
てもホロホロはここから抜け出そうとブルースの井戸から水を運んだ。 昼過ぎ新しいヨットが入港。なんと日本のヨットで「さきがけ」幸
か不幸かスズキ氏は日本人の奥さんと二人乗り。家村氏とは対照的に元気がなかった。ニュージーランドで木造ケッチを買ったのが1998
年、その後南太平洋の島々を周りミクロネシア諸島を経てフィリピンに入ってすでに4年とか・・(主にセブ島やボホール島に居たとか)
 フィリピン全体が「ヨッティの墓場」なのかと・・・その墓場から抜け出そうともがいているホロホロはサンディナイトの後「決定」しま
した。 長いこと夜に走ってないから練習に「バイス」へ行こうと・・ (なかなかフィリピンから出られない・・・)


12.4 朝からまたブルースの井戸で水を汲んで運び晩御飯も食べて月明かりの中20時出航。風は弱いとは言え真向かい。帆も揚げず
エンジンのみでネグロス島の南岸沿いをドマゲティ沖まで来たら一時だった。大潮なのに引き潮に変わったばかりでセブ島とネグロス島の
間の海峡を逆潮で進まなければならなかった。エンジンを2800回転まで上げて3ノットしか進まない。普通なら6ノットは走る回転数
なのに・・・バイスの入り口に到着したのが六時。アンカーを打って落ち着いたら7時前だった。 しかし月明かりさえあれば「腐った目」
でも双眼鏡を利用すればなんとか夜間も走れることが解った。  疲れていたけど一時間ほど寝て市場に買出し。 刺身を食べて元気を取
り戻します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする