事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「珈琲時光」('03 松竹)

2008-05-14 | 邦画

83r815b83q815b8  監督:ホウ・シャオシェン 主演:一青窈、浅野忠信
2003年、東京。台湾から戻ったばかりのフリーライター・陽子は、神保町の古書店の物静かな二代目主人・肇のもとを訪ねた。2人は陽子が資料探しのため古書街へ足を運んでいたことがきっかけで親しくなり、しばしば喫茶店で珈琲を飲みながら穏やかな時間を共有している。陽子は幼い頃、両親が離婚してしまったため、北海道に住む目の不自由な親戚に育てられた。今では実父と継母とも良い関係を築いている。そんなある日、彼女はお盆で久々に高崎の実家へ戻った際、突然両親に自分が妊娠していることを告げる…。

 近ごろ、小津安二郎の映画をたてつづけに観ている。「東京物語」「晩春」「早春」……笠智衆や原節子が“不自然なくらいに自然に演ずる”名作の数々。若いころは「いったい何が悲しくてこんな何にも起きない映画を観なきゃならんのだ」と敬遠していた。妻は変人だから若い頃から小津ファンだったようだが。しかしわたしも年齢を重ね、中年ど真ん中にいる今、まるでカタン!とスイッチが切り替わったようにはまってしまった。同じことはリアルタイムで小津の映画を観ていた世代にも言えるようで、その非政治性を糾弾していた松竹の後輩たち(大島渚、篠田正浩らヌーベルバーグ組)も、むしろ松竹を離れてから小津の偉大さを感じとったようだ。

「珈琲時光」は、その小津の生誕100周年を記念し、小津ファンであることを広言するホウ・シャオシェン(彼の「悲情城市」はわたしのオールタイムベスト)が撮った「なーんにも起こらない映画」である。妊娠を意識しながら台湾出身の音楽家を取材するフリーライター……こんな難役に演技は素人である一青窈を抜擢し、まるで彼女が「スクリーンのなかで生活している」かのように、時にあたたかく、時に突きはなして描く演出がすばらしい。60歳の誕生日(若かったのだ!)で死んだ小津が今も生きていたら、きっとこんな映画を撮っただろう。

列車好きであるハオは、東京を縦横に走り回る電車を一種の怪物のように撮っており、このシーンだけでも必見。主人公に心を寄せながら、しかし微妙な距離を保つ古書店主を演ずる浅野忠信がまたすばらしい。くりかえすようだが、小津が生きていたら絶対に浅野を手放さなかったはずだ。現代の笠智衆(笑)。

さて、原節子については思うところがあるのであらためて特集します。

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「小説の読み書き」佐藤正午著 岩波新書赤版 定価777円

2008-05-14 | 本と雑誌

0609yomikaki ロマンポルノでかろうじて生きのびていた70年代の日活は、なんと当時共産党系労働組合が主導して経営していた。不健康不健全なポルノを日本共産党はもちろん批判していたのだが、会社がつぶれるよりは、と「心ならずも」ポルノを作り続けていたわけ。

しかしビデオの普及でいよいよ苦しくなり、一般映画路線にイチかバチかで再びうって出ることになった。いわゆる“ロッポニカ”である。これがもう、予想どおり苦戦の連続。結局はわずかな期間の延命措置にすぎなかった。でも、ロマンポルノ人脈があったおかげで作品的には面白いものが多かったのも確か。その最終作にして最高作が「リボルバー」。藤田敏八監督、沢田研二・柄本明主演で描く、一挺の拳銃をめぐる群像劇。脚本は例の荒井晴彦だ。ビデオで観たわたしはこんなメモを残している。

「こんなに、生活が身軽でありうるなんて。畏れのない生活が永遠に続くかと錯覚させる大傑作。びっくり。」

 この「リボルバー」の原作者が佐藤正午。‘83年に「永遠の1/2」(この映画化作品も傑作)でメジャーデビュー。佐世保に住み続け、競輪ばっかりやっている独身偏屈作家だ。この人の作品には、エッセイも含めて妙なおかしみがあり、そして何より無責任だ(あるいはそう思わせることで身軽になろうとしている)。そんな作風を、そのまま活かしたのが映画「リボルバー」だったわけ。

D110481028 万人におすすめできる作家ではないけれど、熱狂的なファンはいて、おかげで彼の現在の活動場所は、似つかわしくないにも程がある岩波書店である。編集者に正午フリークがいるのだろう。そして岩波といえば新書。近作「小説の読み書き」は、権威あるその岩波新書で古典を佐藤らしいひねくれ方で読み解いていて爆笑。(はっきりと名指しはしていないが)“朝日岩波文化人”の筆頭である大江健三郎にケンカを売っていたり、「声に出して読む」ことなど不自然だ、と斎藤孝を(これまた名指しはしていないが)批判したり。納得の一冊。あー面白かった。

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「大いなる陰謀」Lions for Lambs('07)

2008-05-14 | 洋画

Lfl_top2_2  ベテランジャーナリスト、ジャニーン・ロス(メリル・ストリープ)は、未来の大統領候補と目されるジャスパー・アーヴィング上院議員(トム・クルーズ)の独占インタビューに赴き、対テロ戦争の新作戦について知らされる。同じ時刻、カリフォルニア大学の歴史学教授マレー(ロバート・レッドフォード)は、優秀であるのに勉学に身が入らない学生トッドを呼び出し、志願兵となった教え子2人の話を始める。そして、アフガニスタンでは志し高い2人の若き兵士が最前線に送られていた。

学業に熱意を失った学生を、教授ロバート・レッドフォードは呼びつける。
「あの、先生。ドアは閉めた方がいいですか?」
「自分で考えなさい。」

 わずか92分間のなかに、この作品は多くのメッセージを詰めこんである。作品の体裁は四つのディベートで成り立っている。
・怠惰な学生と、彼の将来性に賭ける教授
・貧困の中から(奨学金を得て)入学した高潔な学生たち(民族的マイノリティでもある)と、彼らを戦場に送るまいと説得する教授
・野心満々の上院議員と、彼の計画にのせられまいと抗うジャーナリスト
・ベトナムの経験から報道の責任を痛感し、スクープよりも実証を優先させるべきだとするジャーナリストと、資本の論理をふりかざし、妥協をすすめるテレビ局の上役(同じ世代だからメリル・ストリープは説得のためにフーの歌詞を引用したりする)

……これがハリウッド映画なのか、と言いたくなるほど生硬な議論がつづく。作者の(監督のロバート・レッドフォードの、と断定できる)主張ははっきりしている。「歩兵たちはライオンだ。しかし彼らは羊である上官に生命をにぎられている(原題は「羊のためのライオン」)。そうならないためには、自らが考えることだ。こんな大義のない戦争がなぜ行われるのか、なぜ自分が命を捨てなければならないのかを判断することだ」

 学問に熱意を失った学生は、政治への失望をこう語る。
「学んでどうなるんです?クソみたいな政治家がやることに、僕が学んだことで、どう影響するというんですか」
「なぜ“参加”しないんだ!」レッドフォードは激昂する。「なぜ、傍観ばかりしているんだ。それこそが“あいつら=羊たち”の望むことなのに」

……ブッシュ~チェイニー体制の共和党へのむき出しの嫌悪。あまりにあからさまな主張。むしろ正論をたたみかけることで観客の反感をかったかもしれない。アメリカではこれだけのスターがそろっているにもかかわらず大コケしたのだし。レッドフォードの老いが、性急な政治映画をつくらせたとも言えるだろう。若者への失望を、彼はこんな形で示す。

「もう帰っていいぞ。それから……ドアは閉めていけ。」

しかしその学生は、トム・クルーズ(誰もが安倍晋三を連想したと思う)がしかけた強引な作戦の報道を知ると……

“アメリカだけの正義”を追及している、との批判もある。しかしわたしは、小泉後の日本にこそ必要な作品なのではないかと思った。平日の17:20上映開始なんて中途半端な時間のため、観客はわたし一人だったのでなおさらそう感じたのかも知れない。少なくとも、メリル・ストリープが団塊世代の苦みを表現した演技だけでも観る価値はあった。あの人の右手の使い方(感情の流れを微妙に表現している)はすごい。

レッドフォードの映画だから邦題が「大いなる」や「華麗なる」になるのは微笑ましい。そして、まさしく自分の金でこんな政治映画をつくった(同時に大コケした)クルーズは偉い。偉いぞトム。

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