事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

宮部みゆきの最高傑作は何かPART2

2008-05-13 | 本と雑誌

1176794500 PART1はこちら

宮部作品の魅力っていったい何だ。

登場人物から感じられる温かい思いやりの心?確かに、どのような犯人像も「自分がこの犯人であってもおかしくない」くらいに描き込んである。端役にいたるまでちゃんとキャラが立っていて、しかも驚くほど優しい。特に年少者に対する不器用なオトナの心遣いを描かせたら天下一品。

逆に、ミステリの切れ味としてこの優しさ、温かさは邪魔にならないのか、という疑問も成り立つだろう。でも彼女は意外に絶望的なほどの『絶対悪』を作中に持ち込んでいる。そしてそのキャラは、例外なく(生活が、容姿が)だらしなく描かれているのだ。92年を中心とした「火車」を筆頭とする怒濤の刊行ラッシュ時の作品を読み返して気づかされる要素がある。たとえば「レベル7」。ある理由から記憶を失った男女が、自分たちの過去をトレースする場面。

『(押し入れの)下の段には、布製の小型の旅行カバンも一つ入っていた。なかは空で、丸めた新聞が詰めてあり、その上に防虫剤が一つ載せられている。おそらく、明恵が仙台から持ってきたものだろう。ここに住みついて中身を出したので、あとをきちんとしておいたのだ。』

礼儀、あるいはたしなみと呼んでかまわないだろうか。宮部のメンタリティは江戸の町娘のそれだとわたしは確信している。きちんとしつけられた人間たちへの共鳴と、逆にだらしない人間への嫌悪があからさまだ。それゆえの息苦しさ(あまりに強烈な倫理観に辟易することも多い)もふくめて、わたしが宮部の最高傑作だと思うのは「龍は眠る」(新潮文庫)。キング色の強い(「デッド・ゾーン」にかなり近い)超能力もの。過剰な能力をもてあますサイキック少年たちと、聾唖という欠損をかかえた女性を対照させながら「超能力でなくてもこれらの現象は起こりうる」とミステリの範疇で解明していく過程はゾクゾクするほど面白い。能力があるからこそたしなみが必要であり、傷つきやすい人生が待っていることを、嫌みなく語っている。

宮部みゆきは確かにうまくなっている。でも、ミステリとしてはこの当時に及ばないことを、実は自分でも気づいているような気もするのだ。偏見?

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宮部みゆきの最高傑作は何かPART1

2008-05-13 | 本と雑誌

Koshukunohito 「この1冊」の読者にアンケートをとった結果……。

Mail01b 読んでねー。

Mail01b_2 紹介されてるのがくやしいけど「ぼんくら

Mail01b_3 「理由」か「火車」

Mail01b_4 「堪忍箱」愛すべき小説です!

 きっとわたしは「模倣犯」や「火車」のような一種の大作の人気が圧倒するのかなあ、と思っていた。でも時代小説をあげる人も多いんだね。意外。……ごめん、ちょっとは予想していました。

 一時期、小説は『宮部みゆきとそれ以外』と形容されるほど売れまくった宮部だけれど、はたして一般的な人気はどうなんだろう。あまり信用は出来ないが、ネットで検索してみるとあるサイトでは以下のようになっている。

1.火車
2.模倣犯
3.魔術はささやく
4.龍は眠る
5.蒲生邸事件
6.レベル7
7.ステップファザー・ステップ
8.ぼんくら
9.我らが隣人の犯罪
10.孤宿の人

Gamouteijiken  やっぱりミステリは強いですね。近ごろその売れ行きの低下が嘆かれているけれど、ハードカバー→新書→文庫、と姿を変えるたびにその判型の固定客が買ってくれるミステリは作家にとってやはりおいしいジャンルではないかと思う。

 しかし彼女は次第に時代小説やファンタジーノベルにスタンスを移している。わたしはこれは自然な流れではないかと思う。スティーブン・キングのフォロワーとしてスタートした彼女の、ミステリ作家としての旬はとっくに過ぎている(おー、言い切った)。226事件にタイムスリップし、反乱軍に囲まれてしまったことで結果的に密室が形成されてしまう「蒲生邸事件」のような本格を描くことは少なくなっていくだろう。しかしその分、時代小説に「謎」をもちこむテクニックは冴えまくっている。近作「孤宿の人」では、忌避される人質である加賀殿を、まるで呪われたハンニバル・レクターのように描きながら、しかし実は……このあたり、うなるほどうまい。彼女のひとつの頂点だと思う。

 でもわたしがベストに選択したのは違う作品だ。これは、次回に。

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紀元前1万年 ('08) 10,000 B.C.

2008-05-13 | 洋画

10000bc 「インデペンデンス・デイ」「(アメリカ版)ゴジラ」「デイ・アフター・トゥモロー」など大作を連発するローランド・エメリッヒの新作。今回も金はかかってます。

エメリッヒが紀元前1万年を舞台に選んだのは

・とにかくマンモス狩りを映像化したい
・農耕が開始される寸前の“生活革命”がドラマティックではないか

……なーんて考えたのだと思う。現在のCG技術なら、子どもの絵本にあるような、一頭のマンモスに向けて原始人たちが槍を投げつけているシーンをリアルに描けるぞという魂胆だろうし、観客の多くもそんな期待に胸をふくらませたはず。

 ところが。

どうもこれが冴えないのである。一族の救世主となる運命を背負った主人公は、ちょっとした偶然から独りでマンモスを倒す。でもそのマンモスの迫力がいまひとつなので、後半に彼が真の勇気を示すまでの葛藤が伝わってこない。サーベルタイガーもぬいぐるみっぽいので、思わずファブリーズをかけたくなる。

エメリッヒよ、日本の宝であるゴジラを「やたらに動きの速い巨大なトカゲ」に変貌させた根性はどこへ行った。むしろジャングルでの恐鳥の襲撃シーンの方がはるかに怖い。わたしのチキン嫌いがますます進んでしまったほど。

さて、アメリカでは公開1週目にごっそり稼ぎ、2週目からは動員数がガターッと下がってしまった。なにしろ評判が悪すぎる。みんなが指摘するのが「時代考証がめちゃくちゃ」ということ。確かに、今から12000年前にマンモスを飼い慣らして巨大なピラミッドを建立している(アトランティスの住人が主導するというトンデモ展開)ってのはなぁ。

しかしオープニングで気づくべきだ。主人公の一族は、みな流暢な英語をしゃべるのである。メル・ギブソンが「アポカリプト」や「パッション」で古語を登場人物たちに語らせたのとは違う種類の、いわばシネコン向きの娯楽大作なのだ。そんなに目くじら立てなくても。

ただし、色気の点で「はじめ人間ギャートルズ」のママにすら及ばないなど、この種の映画のお楽しみである『女性のあられもない姿』がないことには目くじらを立てるぞオレは。

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