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宮部作品の魅力っていったい何だ。
登場人物から感じられる温かい思いやりの心?確かに、どのような犯人像も「自分がこの犯人であってもおかしくない」くらいに描き込んである。端役にいたるまでちゃんとキャラが立っていて、しかも驚くほど優しい。特に年少者に対する不器用なオトナの心遣いを描かせたら天下一品。
逆に、ミステリの切れ味としてこの優しさ、温かさは邪魔にならないのか、という疑問も成り立つだろう。でも彼女は意外に絶望的なほどの『絶対悪』を作中に持ち込んでいる。そしてそのキャラは、例外なく(生活が、容姿が)だらしなく描かれているのだ。92年を中心とした「火車」を筆頭とする怒濤の刊行ラッシュ時の作品を読み返して気づかされる要素がある。たとえば「レベル7」。ある理由から記憶を失った男女が、自分たちの過去をトレースする場面。
『(押し入れの)下の段には、布製の小型の旅行カバンも一つ入っていた。なかは空で、丸めた新聞が詰めてあり、その上に防虫剤が一つ載せられている。おそらく、明恵が仙台から持ってきたものだろう。ここに住みついて中身を出したので、あとをきちんとしておいたのだ。』
礼儀、あるいはたしなみと呼んでかまわないだろうか。宮部のメンタリティは江戸の町娘のそれだとわたしは確信している。きちんとしつけられた人間たちへの共鳴と、逆にだらしない人間への嫌悪があからさまだ。それゆえの息苦しさ(あまりに強烈な倫理観に辟易することも多い)もふくめて、わたしが宮部の最高傑作だと思うのは「龍は眠る」(新潮文庫)。キング色の強い(「デッド・ゾーン」にかなり近い)超能力もの。過剰な能力をもてあますサイキック少年たちと、聾唖という欠損をかかえた女性を対照させながら「超能力でなくてもこれらの現象は起こりうる」とミステリの範疇で解明していく過程はゾクゾクするほど面白い。能力があるからこそたしなみが必要であり、傷つきやすい人生が待っていることを、嫌みなく語っている。
宮部みゆきは確かにうまくなっている。でも、ミステリとしてはこの当時に及ばないことを、実は自分でも気づいているような気もするのだ。偏見?