事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

ミュンヘン 第3回

2008-05-10 | 洋画

05110702 第2回はこちら。

わたしの世代にとって、ミュンヘンオリンピックとはすなわち男子バレーボール競技のことだった。松平康隆という、よく考えるといやーなタイプの監督に率いられた大古・横田・森田(ハンサム)などのスター選手たちが金メダルを獲得。日本中が熱狂していた。そのころの小中学生はみんなテレビアニメ「ミュンヘンへの道」を観ていたのである。読者のなかで40才以上の人はおぼえがあるでしょうや。

 さて、どうしてこんなに日本人はオリンピックのメダルが好きなのだろう。発展途上国や、ひところの共産圏が国威発揚のためにメダル獲得に血道を上げるのは理解できる。高度成長に驀進していた’64年の東京オリンピックがまさしくそうだったわけだし。しかし、一応先進国の仲間入りをしたのだからもっと余裕をもった観戦態度に成長してもよさそうなものだが、その東京オリンピックの“記憶”が国民的刷り込みとなって現在にいたっている。「ガイジンに恥ずかしいところは見せられない」「戦争では負けたがこのオリンピックでは」という敗戦国のコンプレックスは、東洋の魔女たちによって払拭され、とどめは札幌冬季五輪での70㍍級ジャンプメダル独占。これらの記憶のために日本人は五輪のたびにアドレナリンがドクドク噴き出す仕掛けになっている。

 そして札幌の熱狂がまだ醒めない同じ年に開催されたのがミュンヘン五輪。「黒い九月」のテロは確かに大ニュースで、新聞の一面を粗い写真が飾っていたことをおぼえている。しかし、わたしが中学生だったからだけではないと思うけれど、それでも日本人はテロ事件よりも競技の方に熱中していたのだ。違いますか。

 パレスチナとユダヤの反目について、日本人はミュンヘンだけでなく、妙に距離をおいて考えていたような気がする(それは今もつづいている)。もちろん、根っこにあるのは宗教だったり西欧人にとっての悪夢であるユダヤ人の大虐殺だったりするので、当事者意識が低いのはしかたのない部分もある。しかし、その反動として“義憤にかられた”岡本公三がテルアビブで一般人をまきこんで銃を乱射する(これも’72年の出来事だ)ような赤軍が登場したりもする。こんな振幅の大きさと沸点の低さこそ、日本人という存在の象徴であり、五輪好きの正体でもある。あ、映画とはほとんど関係のない結論になってしまった。

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ミュンヘン 第2回

2008-05-10 | 洋画

Munich1 第1回はこちら

 実際に集められたモサドの暗殺チームは精鋭でもなんでもない。ちょっとした手違いから安易に選ばれたメンバーがまぎれ込んでいたり、主人公も決してエリートではなく、建国の英雄である父親へのコンプレックスが動機になったりしている。だから暗殺も、スパイ映画では往々にして冷徹で超人的に描かれることが多いモサドなのに、どっちが先に発砲するかでもめたり、ある“罠”のために死んでしまったりするのだ。だから逆にこの暗殺の連続は(ご丁寧にさまざまなバリュエーションが用意してある)リアルで、観客がその現場にいるかのように錯覚させる。それはもちろん「プライベート・ライアン」と同じように、撃たれた頭から脳漿が噴き出し、貫通した頬から血が流れ出てくるといった描写に裏打ちされた怖さでもある。

 俳優たちも熱演。神経が次第に麻痺していく過程と、同時に暗殺に疑問をもちはじめるあたりを、チンコマンコ丸出しで(メジャーな映画でこんなに性器がもろだしになるのも珍しい)演じている。

 しかしわたしがもっとも納得できたのは、映画自体よりもスピルバーグのコメント「ブッシュ政権が2期目になったあたりから、言いたいことが言えないような雰囲気がアメリカに蔓延してきた。そのために、わたしは(商売など考えもせず)自分の言いたいことをこの映画にすべてぶつけた」それでも一級の娯楽作品になってしまうあたりが、これも「~ライアン」と同じようにスピルバーグだけれど、まさに彼の本音なのだと思う。

 今回もネタばらしをすれば、ラストでブルックリンに移住した主人公に、モサドの上役であるジェフリー・ラッシュ(こういう役をやらせたら世界一)がたずねてくる。アブナーは「遠来の客だ。わたしの家でもてなそう」と申し出る。つまり、彼の故郷はすでにイスラエルではなくニューヨークであることを宣言する。しかし上役は失望して拒絶。ふたりはお互いの“ホーム”へ分かれていく。珍しくひねりのないラストかと思ったら、背景には世界貿易センタービルがそびえているのだ。「復讐の連鎖では何も解決しない」というスピルバーグの宣言。あざといと言えばあざといが、暴力描写の連続のあとでは貴重な救いに思える。

 パレスチナ、ユダヤ双方からスピルバーグはこの作品のせいで非難されている。しかし自らがユダヤ人であり、シオニストの傾向をはっきりとみせていたスピルバーグがこの映画を撮らざるをえなかった事実は重い。「誰もやらないから自分がやらざるをえない」孤独を、スピルバーグはかみしめているのだろう。決して世評のように上等な作品だとは思わないが、しかし観なければならない映画でもある。ああこの作品にはもっと言いたいことが。次号繰越

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「ミュンヘン」Munich('05) 第1回

2008-05-10 | 洋画

Munich 「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」のスティーヴン・スピルバーグ監督が、1972年のミュンヘン・オリンピックで起きたパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手殺害事件とその後のイスラエル暗殺部隊による報復の過程をリアルかつ緊迫感のあるタッチで描いた衝撃の問題作。原作は、暗殺部隊の元メンバーの告白を基にしたノンフィクション『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』。主演は「ハルク」「トロイ」のエリック・バナ。

 1972年9月5日未明、ミュンヘン・オリンピック開催中、武装したパレスチナのテロリスト集団“黒い九月”がイスラエルの選手村を襲撃、最終的に人質となったイスラエル選手団の11名全員が犠牲となる悲劇が起きた。これを受けてイスラエル政府は犠牲者数と同じ11名のパレスチナ幹部の暗殺を決定、諜報機関“モサド”の精鋭5人による暗殺チームを秘密裏に組織する。

チームのリーダーに抜擢されたアヴナーは祖国と愛する家族のため、車輌のスペシャリスト、スティーヴ、後処理専門のカール、爆弾製造のロバート、文書偽造を務めるハンスの4人の仲間と共に、ヨーロッパ中に点在するターゲットを確実に仕留めるべく冷酷な任務の遂行にあたるのだが…。

 衝撃作、という表現がこれほどぴったりな映画も珍しい。映像的にはかつて「プライベート・ライアン」でノルマンディー上陸作戦をシャレにならない具体的描写で度肝を抜いたスピルバーグらしく……あ、むかし事務職員部報に特集したことがあったな。ちょっとめんどうだけどなつかしいので再掲。

Savingprivateryan 事務職員へのこの1本 
「プライベート・ライアン」 監督S.スピルバーグ

 ロードショーも終わったわけだし、ネタばらしをしてもいいでしょうか(これからビデオで観たいとお考えの人はすっ飛ばしてください)。オープニングに出てくるあのおじいさんは結局ライアン二等兵だったわけですが、問題は「彼ひとりを救うために(原題は『ライアン二等兵救出』)小隊がほぼ全滅した事実を抱えながら生きた彼の戦後をどう捉えるか」のはずなのに、肝心のそこが楽天的に描かれ過ぎているのです。

既に伝説化した、手足がフッ飛び内臓がハミ出す上陸作戦の描写や、エドワード・バーンズやバリー・ペッパーをはじめとした若手俳優の好演もあり、観客は最後には満足して劇場を出るわけですが(わたしもほとんど呆然とするぐらいに感動はした)、ラストのじいさんの涙をもってしても、スピルバーグの言うような「戦争の悲惨さをリアルに描いた」作品にはどうしても思えなかったのです。

日本の映画評論家は絶対にスピルバーグの映画を褒めないことになっているのですが(ホントです)、それも故なきことではないな、と思えるぐらいこの映画は商品として面白すぎるのです。

有能かつ勇敢として描かれるトム・ハンクス演ずる大尉の職業が、実はバラと妻を愛する国語教師だったあたりをもうひと押ししてくれていればなぁ(あ、またネタばらしだ)。『教え子をふたたび戦場に送るな』とする組合員の無い物ねだりなのでしょうが。君が代、日の丸法制化かぁ……
                      山形県教職員組合事務職員部報№296 1999/3/11

長くなりそうなので次回も「ミュンヘン」特集。

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「最高の悪運」ドナルド・E・ウェストレイク著

2008-05-10 | ミステリ

4151001476 いったい何年続くのか泥棒ドートマンダー(ドント、マーダー→殺さない、というシャレ)シリーズ。たぐいまれな泥棒の才覚がありながら、ほんの少し運がたりず、常に苦い結末を迎えてしまうこの連作のわたしは大ファン。よく映画とかにあるじゃないですか、欧米の作家がタイプライターのキーを目にもとまらぬ速さで叩くシーン。エンタテインメントをつむぐそんな場面がウェストレイクほど似合う作家もめずらしいと思う。今回も余裕の機知の物語。ドートマンダー一味せいぞろい。読書の楽しみってこれだ。
☆☆☆☆

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史劇を愉しむ 第10章~アレキサンダー

2008-05-10 | うんちく・小ネタ

第9章「大統領の理髪師」はこちら。

史上初めて世界を統一したマケドニア王アレキサンダーの生涯を、総製作費200億円を費やし壮大なスケールで映像化した歴史スペクタクル。「プラトーン」「JFK」のオリヴァー・ストーン監督がアレキサンダー王を巡る様々な謎に鋭く切れ込む。主演は「フォーン・ブース」のコリン・ファレル。共演に「トゥームレイダー」のアンジェリーナ・ジョリー。
 紀元前356年、当時急速に力をつけてきたマケドニア王フィリッポスとその妻オリンピアスの間に息子アレキサンダーが誕生する。やがてフィリッポスとオリンピアスは激しく対立するようになり、権力に執心するオリンピアスは自らの野望をアレキサンダーに注ぎ込んでいく。両親の確執に心痛める青年アレキサンダーにとって、同年代の仲間たちとの友情だけが心の平安をもたらしてくれた。紀元前336年、父フィリッポスは何者かによって暗殺される。これを受けて、アレキサンダーが若干20歳にして王位を継ぐこととなるのだったが…。

 あの、大王のお話。確か似たような企画が同時期にいくつか発表され、先に実現したのがこのオリヴァー・ストーン版。信じられないくらいの製作費をかけ、そして信じられないくらい大コケした。

 原因はいくつか考えられる。その最大のものは同性愛のあつかいだろう。時代的には普通のことだったというエクスキューズがあっても、全篇にただようホモセクシュアルな雰囲気はやはり客を選ぶ。壮大な史劇を期待した観客はとまどったろう。アカデミー賞は確実と言われながら作品賞を「クラッシュ」に逆転された「ブロークバック・マウンテン」の例を引くまでもなく、まだまだ同性愛は一般に支持されているとは言い難い。

 他人事のように言っているけれど、実はわたしも「こりゃ困ったな」と観ながら思っていた。横暴な父親と邪悪な母(アンジェリーナ・ジョリー怪演)に育てられ、エキセントリックな妻を“なぜか”娶り、しかし終生アレキサンダーが心を寄せていたのは親友のヘファイスティオンだった……ここまではわかる。しかしその描き方がいかにもへたくそでイライラさせられどおし。もっと致命的なのは、当時の感覚で文字通り「地の果て」まで征服した大王の、その動機や軍才、そしてなぜ兵士たちが彼の狂気に最後まで従ったのか、このあたりがさっぱりわからないのである。

 かつて小学校の図書館で「アレクサンダー大王」(こっちの呼び方がわたしにはしっくり来る)の伝記を読んだとき、ガキながら感じたのは「このおじちゃん、すんごい人だったんだろうなあ」というあこがれ。しかし今回のコリン・ファレルからは、そんなカリスマ性はかけらも感じられないのだった。ストーンは相変わらずベトナムの混沌を異世界に持ち込んで自己満足しているにすぎない。この作品が先陣を切ったことはアレキサンダー企画にとって明らかに不幸だった。他の作品に期待しよう……ってこれだけ大コケしちゃったら実現するわけないじゃん!

第11章「グリーン・ゾーン」につづく

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映画音楽家たち。

2008-05-10 | 音楽

作曲家・伊福部昭さんが死去…「ゴジラ」など手掛ける
Ifukube  国内作曲界の大御所で、「ゴジラ」など映画音楽の作曲家としても知られる伊福部昭(いふくべ・あきら)氏が、8日午後10時23分、多臓器不全のため亡くなった。91歳。
 北海道釧路市生まれ。十代前半から独学で作曲を始め、北海道大林学科在学中に作曲した管弦楽作品「日本狂詩曲」が、1935年にパリで開かれた作曲コンクール「チェレプニン賞」で第1席となり、国際的に高く評価された。
 46年に東京芸大作曲科講師となり、芥川也寸志黛敏郎さんらを育てた。また76年から11年間、東京音楽大の学長を務めた。
 映画音楽は、47年に谷口千吉監督の「銀嶺の果て」を手始めに、54年、わが国初の本格的な怪獣映画「ゴジラ」を担当。後に“伊福部節”とも呼ばれる同じリズムの繰り返しを効果的に使った野性的で骨太の音楽が、作品を大いに盛り上げた。手掛けた映画音楽は300本にも上り、海外にもファンが多かった。
 2003年に文化功労者。1月19日から腸閉そくのため、都内の病院に入院していた。
(読売新聞2006年2月9日)

日本の映画音楽でもっとも著名なのは何だろう。人によって評価は違うだろうけれど、「ゴジラ」の叩きつける旋律(♪ゴジラ・ゴジラ・ゴジラとメカゴジラ♪)と「七人の侍」の『侍のテーマ』は外せない。この「ゴジラ」を書いた伊福部昭と「七人の侍」の早坂文雄は、ともに北海道出身の同世代人で、互いに助け合いながら(なにしろ早坂の極貧はハンパではなかった)、日本の映画音楽をリードしてきたのだ。

48087349 しかし日本映画の欠点が、その音楽にあまり重きをおかず、短期間で安価にあげる傾向にあったことが彼らの不幸でもあった。音楽界で、映画音楽の地位が低く見られていたのもその状況があったからだろう。早坂文雄が夭逝したとき、東宝の映画人が葬儀を仕切ったのだけれど、そのことに音楽家たちは「早坂さんがかわいそうだ」と嘆いたという。“純音楽”こそ本道だというプライドがやっぱりあったわけ。大衆に愛されることでエバーグリーンたりえる映画音楽には、別の栄光があると思うのだが。

このあたりの事情は西村雄一郎の大著「黒澤明と早坂文雄」にくわしい。葬儀の席で黒澤明が「あんたのせいで早坂は死んだんだ!」と溝口健二にくってかかったシーンなど、並みの映画よりゾクゾクさせてくれる。

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人事異動PART6~お父さんが職員室にいる

2008-05-10 | 受験・学校

4104121533 PART5はこちら。

 さて、わたしの職場において問題になった『自分の子どもが在籍する学校への異動』について。意外なレスが続々と。

親子で同じ学校なんてよくあるよ。(西村山)

子どもと同じ学校になることは、西置賜ではあんまり珍しくありません。私も経験しています。やりにくいことはやりにくいのですが……。(西置賜)

息子2人と6年間一緒……私も子供も楽しく過ごしました。お父さんも野球の保護者会長などしたし。周囲は、迷惑だったのかしら。そうでもなかったと思うけど……(置賜)

……おおっとぉ。そんなものなんだろうか。県外の読者からも「よくある話」ということだった。しかし親も、子とその友だちも、職員も、まわりの保護者たちもやっぱり気を使うだろうし、こういう事態はない方がいいに決まっている。ちょっとばらすのはまずいのかな、とも思ったけれど裏事情もよせられている。取扱注意。

人事調書に「近親教職員」の記入欄があるわけですが(以下大幅に。さすがにまずい)

……うーんやはり人事はブラックボックスだ。でもさあ、酒田の人事の総括でも出た話だけれど、わざわざ特記事項に書かなきゃならないなんて、いったい何のための近親教職員や子の就学校の欄なんだよなー。

08年現在、この事情は(少なくともウチの地区は)大幅に改善されている。人事調書の書式においても、キチンと明記できるようになっている。つまり、教育事務所としても子どもと同じ学校に異動させるのはまずいと考えているわけだ。

画像はケツメイシ「さくら」
よく考えたらまっとうなディスコチューンがヒットしたのって久しぶり。

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