第2回はこちら。
わたしの世代にとって、ミュンヘンオリンピックとはすなわち男子バレーボール競技のことだった。松平康隆という、よく考えるといやーなタイプの監督に率いられた大古・横田・森田(ハンサム)などのスター選手たちが金メダルを獲得。日本中が熱狂していた。そのころの小中学生はみんなテレビアニメ「ミュンヘンへの道」を観ていたのである。読者のなかで40才以上の人はおぼえがあるでしょうや。
さて、どうしてこんなに日本人はオリンピックのメダルが好きなのだろう。発展途上国や、ひところの共産圏が国威発揚のためにメダル獲得に血道を上げるのは理解できる。高度成長に驀進していた’64年の東京オリンピックがまさしくそうだったわけだし。しかし、一応先進国の仲間入りをしたのだからもっと余裕をもった観戦態度に成長してもよさそうなものだが、その東京オリンピックの“記憶”が国民的刷り込みとなって現在にいたっている。「ガイジンに恥ずかしいところは見せられない」「戦争では負けたがこのオリンピックでは」という敗戦国のコンプレックスは、東洋の魔女たちによって払拭され、とどめは札幌冬季五輪での70㍍級ジャンプメダル独占。これらの記憶のために日本人は五輪のたびにアドレナリンがドクドク噴き出す仕掛けになっている。
そして札幌の熱狂がまだ醒めない同じ年に開催されたのがミュンヘン五輪。「黒い九月」のテロは確かに大ニュースで、新聞の一面を粗い写真が飾っていたことをおぼえている。しかし、わたしが中学生だったからだけではないと思うけれど、それでも日本人はテロ事件よりも競技の方に熱中していたのだ。違いますか。
パレスチナとユダヤの反目について、日本人はミュンヘンだけでなく、妙に距離をおいて考えていたような気がする(それは今もつづいている)。もちろん、根っこにあるのは宗教だったり西欧人にとっての悪夢であるユダヤ人の大虐殺だったりするので、当事者意識が低いのはしかたのない部分もある。しかし、その反動として“義憤にかられた”岡本公三がテルアビブで一般人をまきこんで銃を乱射する(これも’72年の出来事だ)ような赤軍が登場したりもする。こんな振幅の大きさと沸点の低さこそ、日本人という存在の象徴であり、五輪好きの正体でもある。あ、映画とはほとんど関係のない結論になってしまった。