果たして本当に原節子は美人なんだろうか。
よーく顔の造作を見てほしい。パーツのバランスがあまりとれていないことに気づくはずだ。“鼻筋がとおっている”以上に彼女の鼻は少し大きすぎるし、“西洋人を思わせる瞳”も、鼻との兼ね合いでかろうじて顔の中におさまっていると言いたくなる。肢体も意外なほどに大きく、確かに日本人離れしている。
その、西洋人云々には諸説ある。妻の読んでいた写真家の秋山庄太郎のエッセイでは「(原節子には)ヨーロッパの血が入っている」と断言されていて、彼女の全盛期においてはそう信じる人も多かったと聞く。しかし彼女は純然たる佐賀県人の父母の娘なのだ。それがなぜ混血であると流布されることになったか。ここに、わたしにとっては彼女の突然の引退、遁世よりも大きな謎が潜んでいる。
実は彼女がブレイクしたきっかけは、後の名コンビ、小津安二郎の作品ではなく、ドイツ人監督アーノルド・ファンクによるものだった。「新しき土」と題されたその合作映画は、日独の同盟を背景にナチズムを賞揚する内容だったらしい(おかげで現在ではほとんど顧みられることもなくなっている)。そしてこの映画のプロモーションのために原は義兄である映画監督の熊谷久虎と渡独し、彼らは圧倒的にナチズムに傾倒する。
後年、「青い山脈」(今井正)「わが青春に悔いなし」(黒澤明)などで民主主義讃歌をうたいあげた原節子は、なんと戦前はファシストだったのである。だから言いがかりのようだけれど、彼女の“西洋人っぽさ”は、ナチズムを心の中で何らかの方法でねじふせた陰影が、屈託をかかえた戦後の高地ドイツ人のような風貌と共通させる結果になったとも言えるのではないだろうか。強引だけどね。
今も存命している彼女が(今年で88才である)、毎日をどんな思いで過ごしているかは誰も知らない。ごく普通に鎌倉で買い物をしている姿も目撃されているようだが、オフィシャルな場に彼女が最後に登場したのは、小津安二郎の葬儀の日。遺体の前で号泣する姿だったという。原節子が本当に小津を愛していたのかという謎とともに、おそらくはどんな解答もしめさないまま彼女は死んでいくのだ。彼女の笑みは多くの謎を呑み込んで、だからこそ美しいのだと知れる。
【参考『日本の女優』四方田犬彦】