事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

拝啓平野博文様

2010-04-23 | 国際・政治

Hiranohirofumi02 社説:平野博文様 

 最後まで悩みました。あなたに手紙を出すべきか、出さざるべきか。というのも、この手紙シリーズは、鳩山政権の中間総括として主要閣僚の仕事ぶりを半ば批判、半ば評価して注文をつけようというものなのですが率直に言います。あなたに関して言えばなかなか評価できる点が見つからない

 まずは、情報開示の問題です。政権交代で国民が最も期待したのは、官僚が独占していた情報の積極的な開示であり、政策決定過程の透明性の確保だったはずです。どうもそれが内閣としてうまく回っていない。それもあなたの担当している分野で見受けられます。例えば、官房機密費の取り扱い。あなたが就任当初の会見で「え、そんなものあるんですか」ととぼけたのには驚きましたが、その後もこの問題についての逃げ腰は自民党政権時代と何が変わったのか、首をかしげる日々でした。

 一事が万事。官房長官の最大の仕事は、内閣のスポークスマンとしてあらゆる懸案について政府の基本見解を示すことです。あなたを通じて国民は政府がどういう政策を考えているのか、それをどういう手続きで実施しようとしているのか、を知ることができます。民主党政権の最大の売りである政策決定プロセスの開示は、まさにあなた次第ともいえるのです。それなのに「ノーコメント」が多過ぎやしませんか。

 追伸です。あなたが調整を引き受けた普天間移設問題は、政権にとってまさに生死を決するもの。最大の危機管理事項として、政治家としての力を全開されることを望みます。
(3月4日)もちろん毎日新聞

 内閣の弱点と名指しされる平野官房長官への、毎日新聞の強烈な皮肉。出入り禁止という自民党でもやらなかったような馬鹿げた仕打ちを平野にかまされた毎日だということを差し引いても、これはなかなか。社説でここまで書かれる政治家もめずらしい。

 記事にあるように、官房長官の仕事はスポークスマンだが、それ以上に調整役としての役割が期待されているはず。内閣に不一致があるとすれば、首相の影響力云々という前に、まずは官房長官の能力を考えなければ。

 自分で言うように、確かに鳩山は愚かな首相なのかもしれない。普天間への発言はあまりにも軽すぎたし、3月の時点では“腹案”などなかったに決まっている。しかし、もっとも愚かな行いは、自らの政治生命をかける(と言っちゃったんだからしょうがない)とまでした米軍基地の移転問題を、こんな官房長官に任せてしまったことではないか。

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港座再建計画PART7~まちなか映画館始動

2010-04-22 | 映画

PART6はこちら

映画館は「和の趣」鶴岡まちなかキネマ完成
2010年04月21日 朝日新聞

Machikine100421  鶴岡市山王町に整備中だった映画館「鶴岡まちなかキネマ」が完成し20日、報道陣に公開された=写真。

旧松文産業工場の木造の小屋組みを生かすなど木のぬくもりにあふれ、四つのスクリーンで計437席。5月22日の開業に向けて仕上げに入る。設計した高谷時彦氏は「70年以上も地元に親しまれた絹工場を生かし、絹織物の歴史を伝えたかった」。木造工場を支えた小屋組み、織機や織物、まゆをモチーフにしたデザインを試みた。エントランスホールの壁は工場時代と同じ杉板で、床はクリ材。一角にグランドピアノを置いた。

スクリーンは4室で「キネマ1」(165席)から「キネマ4」(40席)まで。ゆったり鑑賞できるようイスも特注した。スクリーンの前に小さなステージが設けられ、監督の舞台あいさつや講演などにも使える、という。

鶴岡市では8年ぶりの映画館。中心市街地の活性化に取り組む株式会社「まちづくり鶴岡」が昨年12月に起工した。小林好雄社長は「木でおおわれ、和の趣がある新しい映画館が生まれた。多くの皆さんに愛される文化施設として、街ににぎわいを取り戻したい」と語った。

オープニング上映作品は、今年の米アカデミー賞を受賞した「ハート・ロッカー」、藤沢周平原作「花のあと」、「ディア・ドクター」「スラムドッグミリオネア」「ローマの休日」と決まった。

 おー、なかなかのラインナップじゃないの。港座でやれなかった作品がてんこ盛り(^o^)。しかもホントに「ディア・ドクター」をやってくれるとは……。

 この映画館にはうわさの平田牧場がレストランを併設することが確定しているし、なんか、いい感じだ。

まちキネは、その名のとおり市街地活性化のために経済産業省の「戦略的中心市街地商業等活性化支援事業費補助金」(自分も役人だから言いたくないけど、このネーミングはすごい)を利用しているプロジェクトだ。その意味で港座の人間としてはくやしくてうらやましくもあるけれど、それ以上に成功してほしいと痛切に願っている。

 だってね、このご時世に、三川のイオンシネマはまだ3D対応のスクリーンを用意していないのである。なんか、長居をするつもりがないって宣言しているようなものじゃない?こりゃあ地道に『映画館で映画を観る』という習慣を、まちなかの映画館が守らなければ。

次はなんとなんと「フォーラム東根」につづく

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続・意外なふたり~おお我が母校

2010-04-20 | うんちく・小ネタ

Ikuta10 六本木野獣会篇はこちら

♯107 笹川吉晴(ホラー評論家) & 日下三蔵(ミステリ評論家)

このふたりは専修大学文学部の同じゼミの先輩後輩。画像検索してびっくり。生田校舎ってこんなに立派になってんのかよ。

大森望の「狂乱西葛西日記」によれば、

笹川のデビューはやはり専修大で先輩だった縄田一男が卒論(友成純一論!)を読み、変わった学生がいる……と感心したことによる。日下の卒論は今日泊亜蘭論。卒論審査のために読まされた担当教授の苦労がしのばれる。

……マジでしのばれます(笑)

ホラーとミステリの業界で、このふたりは存在感ありあり。同じ専修大学文学部卒として、先輩はうれしいぞ。君たちも小田急線向ヶ丘遊園駅でおりてあのダラダラ坂を登ったのか?学食の味の薄いカレーで腹を充たしたのか?んで、出席カードを売り買いしてたりしたんだよな?とどめに武道館での卒業式のあと、神田でビニ本を涙ながらに買いあさったわけだ。あ、それはオレら不良連中だけか。

次回は「麻布中の優等生と劣等生」。

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「やさしい小さな手」 ローレンス・ブロック著 ハヤカワ文庫

2010-04-19 | ミステリ

61d7tfgoudl 読みおえてジッと考える。いつかブロックの作品を読めなくなるときがやってくるのかと。

現代短篇の名手たち、と題されたシリーズの第7弾。ドナルド・E・ウェストレイクに続いてみごとなアンソロジーだ。マット・スカダー、殺し屋ケラー、泥棒バーニィという強力なラインナップを誇るブロックは、しかし短篇小説の達人でもある。彼の短編集「おかしなことを聞くね」「バランスが肝心」を読んだときの至福は忘れられない。

ということで初訳もたっぷりのこの一冊も宝物のようだった。スポーツに題材をとった「ほぼパーフェクト」「ポイント」、ダークな味わいの「三人まとめてサイドポケットに」「やりかけたことは」、ポルノの書き手としても練達であることを知らしめる「情欲について話せば」(まるでアシモフの「黒後家蜘蛛の会」のよう)、そしてマット・スカダーとエレインの会話が光る「ブッチャーとのデート」「レッツ・ゲット・ロスト」「おかしな考えを抱くとき」……すごい。

スカダーとエレインという、元アル中探偵と元娼婦が過ごすニューヨークの一夜を描いた「夜と音楽と」にいたっては、どんな都市小説よりもニューヨークを感じさせる。

「レッツ・ゲット・ロスト」におけるチェット・ベイカーの描写など、はたしてブロック以外のどんな作家が達成できるだろう。いつまでも、彼の作品を読んでいたい。

「……甘い声を持ち、さらに甘いトランペットを聞かせてくれたチェットの逝き方はあまりに突然だった。ヨーロッパのどこかのホテルの窓から飛び降りたのだ。多くの人がそれは彼がひとりでやったことではないと思ったようだが。彼は多くの人間を裏切りながらも、そのしっぺ返しからはそれまでうまく逃れていた。しかし、そういうことはたいてい同じ結末を迎える。人はすべての弾丸(たま)をよけることができても、最後の弾丸だけはよけられない。」

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龍馬伝~第16話「勝麟太郎」

2010-04-18 | テレビ番組

Takedatetsuya02 第15話「ふたりの京」はこちら

前回の視聴率は18.4%。「わが家の歴史」の2回目とタメ。どうなんだろう、健闘なんだろうか。

仕切り直しの今回はいよいよ龍馬の人生に最大の影響を与えた勝海舟(武田鉄矢)との出会い。新解釈で、別に龍馬(福山雅治)が海舟を暗殺に訪れたわけではない経緯が語られる。司馬史観そのまんまじゃないぞというわけだ。

松平春獄に会うのが意外に簡単で、貧乏旗本だった勝麟太郎に会う方がよほど難しかったという設定には疑問もあるけれど。

龍馬に誰よりも思い入れがあるのが武田鉄矢であることはみんなが知っていることで、どうやら福山雅治あたりはそれに辟易しているらしいのが今日のTalking FMで感じられて(あくまで、うっすらとですよ)笑わせていただきました。そうなんだろうなあ。もうちょっと勝海舟は含羞のある人物のはずだけどなあ……と、誰もが幕末の“主要人物”に自分を仮託するあたりが人気の秘密かも。

おおざっぱなわたしの幕末への印象をここで明かしておくと、人間としての器が大きかったのは勝海舟と西郷隆盛。よくわかんないのが坂本龍馬。他の人の評価はマニアの怒りをかいそうなので(笑)
でも、それでもわたしが“登場人物”として大好きなのは大久保利通であることは変わらないんですけどね。みんながみんな大きかったら維新なんて成就しませんて。

さて、龍馬よりももっとはるかに大きい存在だったかもしれない山内容堂がおもてに出てくる第17話「怪物、容堂」につづく。こりゃー楽しみだな。柳ジョージ聴きながら待ちましょう。

今回の視聴率は……うーん、19%ジャストでどうでしょう。

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「人情紙風船」 山中貞雄監督作品

2010-04-18 | 邦画

Ninjokamifusenp かの有名な山中貞雄の遺作を初めて拝見。

冒頭から長屋に住む浪人の首くくり。なんちゅう暗いオープニング。しかし落語でおなじみな熊さん八っつぁんたちはそれ自体に感情移入を見せず、「寄り合い酒」のように大家をだまくらかして通夜に興ずる。

仕官がかなわずにいる浪人(河原崎長十郎……四代目)は、妻をなだめながらプライドを捨てて亡父の友人に仕官を頼むが、まるで相手にされない。

享楽的な長屋の住人のひとりであるかに見えた髪結いの新三は、ひょんなことから嫁入り前の質屋の娘を誘拐する。浪人と髪結い新三の動きがひとつになったとき……

オープニングよりももっと暗いエンディングに向けて、ドラマは絶妙な語り口ですすむ。いまではおよそ実現できないような江戸情緒。この映画の60年前には、マジでみんなちょんまげを結っていたにしてもこれはすごい。

後の任侠映画もかくやと思われるような意地を見せる新三を演ずるのは中村翫右衛門。これが、粋なのだ。生き続けることを途中で放棄した男のいなせな姿に紙風船がかぶる。うまい。

港座のスクリーンでなければ、およそ観ようとは思わないストーリーだったけど、まさかこんな傑作だったとは。

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刑事コロンボを全部観る~Vol.19-2「別れのワイン」をもう一杯

2010-04-17 | テレビ番組

Donaldpleasence 前編はこちら

 エイドリアンの犯行には、実は穴も多い。彼は窒息死した弟を、ダイビング中の事故で亡くなったように偽装する。しかし海中で岩に頭をぶつけたのと、電話機で殴られた違いが(いかに昔のこととはいえ)検死で判明しないものだろうか。

 弟のフェラーリを海岸線に放置するときに、幌の上げ下げよりも、エイドリアンがニューヨークに行っているあいだ、誰にも目撃されないことの方の心配をするべきではなかったか。たとえ「めったに人が行かない場所」なのだとしても。

 また、あることのためにコロンボはエイドリアンのワインを一本パクッちゃうんだけど、それはいくらなんでも(笑)。そして、最後までこの事件には物証というものが存在しない。

 しかし、そんなのは些末なことだ。「別れのワイン」が名作たりえたのはここからなのである。

 女性秘書カレンは、十数年にわたって仕えてきたエイドリアンを尊敬し、そして愛している。彼女はエイドリアンのために偽証を行い、代償として結婚を迫る。

「愛情は強制によって生まれるものじゃないよ、カレン」

「多分そうね。でも愛がなくても結婚はできるわ。つまらない理由で結婚する人はたくさんいるわ。」

……たしか中学生の頃に初めて観たときは唸りましたね。誇り高き独身主義者の矜持をみた思い。

「刑務所は、結婚よりも自由かも知れませんな」

 そしてそれ以上に、エイドリアンが物証なき犯罪を自供したのは、ある理由で「自分レベルのワイン愛好者以外には絶対に犯罪を立証できない」からなのだ。ここはおみごと。

 連行するコロンボは、尊敬すべき犯罪者だったエイドリアンにデザートワインをふるまう。そのワインの選択に「よく、勉強されましたな。」とコロンボに静かな賞賛を送るエイドリアン。シリーズを通しても屈指の名シーン。田舎の中学生でも、フルボトル飲みたくなったほど。

Vol.20「野望の果て」につづく

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BOOK3騒動

2010-04-16 | ニュース

41mrffbkeml 朝からテレビは1Q84のBOOK3で持ちきり。
港座のポスターを貼ってもらいに地元の小さな書店に行ったら、もう影も形もなくなってる。娘も読みたいと言っていたので、発売初日に買うのもオツだなあと思っていたのに。

「BOOK3は売り切れですか?」

「なんですー。次は23日まで待たなきゃいけなくて。20冊は入るはずなんですけど……」

新潮社もうまい。BOOK1BOOK2がそれぞれ100万部以上売れているのだから、まずは80万部は初版でかまして“早いうちに売り切ってしまおう”というのが近年の商売の常道。でも初版は50万部にしぼり、飢餓感をあおりまくり。

いいことだと思う。

小説のつづきが読みたくてイライラする、って経験を、わたしたちは近ごろ、あまりにしてこなかったじゃないですか。
まさかそれが村上春樹の作品であり、オウム真理教と女性の殺人者がからんだ物語だとは誰も想像もしなかっただろうけれども。

青豆という奇矯な名前の暗殺者の純愛が、はたしてどうなるのかはわたしだって気になる。
でも蛇足になんなきゃいいなあ、とちょっと不安。でも村上春樹だからな、そこはうっちゃりをかますんじゃないかとも期待……あ、やっぱり売れるわこりゃ。BOOK3が一種の騒動になっているのだから1と2もまた売れるわけだ。けっこうだ。

正直なところ、こんなに村上春樹が売れる時代が幸福だとは思っていない。混迷をきわめる時代(まるで空に月がふたつあるような)だからこそ、実は村上のように冷静で、辛辣なユーモリストの発言が求められているのだろうから。

電子書籍がどうのと騒がれるご時世に、午前0時から紙でできたアナログなツールを求めて行列ができる……出版界にとって、これほどうれしいニュースはないんじゃないか。

ってことでBOOK3につづく

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刑事コロンボを全部観る~Vol.19「別れのワイン」

2010-04-16 | テレビ番組

Columbo03 Vol.18「毒のある花」はこちら

 文句なく傑作。何よりも、犯人が“自供する動機”がすばらしいのだ。

 ヴィンテージワインの収集家として名高いエイドリアン(ドナルド・プレザンス)は、父が遺したワイン工場を大衆向けワインメーカーに売り払おうとする弟を、激怒して電話機で殴る。

 彼は昏倒した弟をワイン貯蔵庫まで引きずり、エアコンを切って窒息死を図る。その間、アリバイづくりの意味もあって、長年仕える秘書カレン(「エデンの東」のジュリー・ハリス)とニューヨークにワインの競売に出かける。

帰りの飛行機で、落札したワインをかかえたエイドリアンに秘書はため息まじりに訊ねる。

「(落札したワインは)ほんとうに必要なんでしょうか」

「5000ドルのワインなど、ほんとうに必要とする者など世の中にはいないよ。ただわたしは、他の人に渡したくないんだ。」

コレクターとしての意地と、ワインへの愛情がここで理解でき、犯行が必然であることを観客に訴えかけている。そして、秘書との価値観の違いも。

 “よきイタリア人の父”と、“名門のイギリス人”の間にできた兄弟は、あらゆる意味で対照的。女にだらしない弟と、禁欲的な兄。フェラーリとロールスロイスという、ふたりの乗っているクルマが象徴してもいる。その、オープンカーであるフェラーリが海岸線に乗り捨ててあり、しかし雨の日だったのになぜ幌をかけなかったのか、という疑問からコロンボは殺人を疑う。

 ワインにまったくの門外漢だったコロンボは、必死で学習する。近所の酒屋に出かけていって店主に無邪気に質問。

「いいワインと悪いワインはどこが違うんだい?」

「高いワインがいいワインだ。」

実はこれ、ラストにつながるいいセリフなんです。以下次号!

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「幕末裏返史」 清水義範著 集英社

2010-04-15 | 本と雑誌

08771259 幕末が“こうであったら面白い”と仮定した清水義範の歴史観と、実際の幕末との乖離がちょっときつい。尊皇攘夷を単なる狂信的熱狂ととらえ(わたしもそれは正しいと思う)、そこからどう抜け出たかを美貌のフランス人の目を通して語る……つくづく、コンセプトとして立派だ。

ところが、途中からどうにも腰砕けになってしまったあたりが惜しい。誰もが思い入れたっぷりである幕末だからこそ、もう少し退いたところから静かに語った方が……あ、それだと司馬遼太郎になっちゃうのか。

でも、あの人ほど幕末を“自分の史観”で語った人もいないわけで。「龍馬伝」あたりは、司馬史観をまずは疑問のない前提としているのが思い切っている。いいのかな。いいんだろうな。

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