飛行機のエンジンがすべて機能不全に陥り、しかし冷静に対処した機長の判断のおかげで乗員乗客全員が救出される……これだけのお話なのである。いくらクリント・イーストウッドが監督でトム・ハンクスが主演したとしても、“もつ”のかなと思う。
なにしろエンジンがいかれてしまうのはテロも犯罪も関係なく、単なるバードストライクのため。乗客のなかにドラマティックな背景をもつ人物も、奇矯なふるまいをする、いわゆるキャラが立った人たちもいない。
CAにも特別の美人はいないし(失礼)、パイロットとお定まりの不倫関係にあるわけでもない。なにしろこのUSエアウェイズ1549便の機長チェスリー・バーネット・サイレンバーガー三世は、曲芸のような操縦でみんなを救ったのではなく、やるべきことをきちんとやった、それだけの人物であり、だからこそすばらしいのだった。
つまり、愛称がサリー(原題)であるこの元軍人は、この事故がなければ普通に引退していったであろう市井の人物であり、ヒーロー扱いされることにとまどい、実は奇跡(ハドソン川に着水)などなくても引き返せたのではないかという審問に苦しむ。
「ここしばらく、NYには(そしてアメリカには)いいことがなかった」
ために持ち上げられ、そして翻弄される愛すべき人物。背景に“飛行機がビルに突っ込む”あの映像がみんなの頭のなかにあったことは確実。
大仰な演技を嫌うイーストウッドと、名優トム・ハンクスがこれまで一度も組んだことがないのは当然のことかもしれない。でも今回の組み合わせは絶妙。
ハンクスがまわりから浮き上がっていないので、むしろ救助に向かう高速フェリーボートの船長の“味のある無表情さ”とか、救助チームのおっさんが乗客にかけるブランケットをさりげなく伸ばしてあげるあたりの細かい積み重ねが効く。
偉人伝にしないように、副操縦士のジョークでラストを迎えるこの端正なお話は、しかしエンドタイトルが始まっても席を立ってはだめ。この映画にhimself、herselfとして出演もしている乗客たちとサイレンバーガー夫妻の登場が泣けるんだ!いやーいい映画でした。
でもこれから、飛行機に乗るたびに
brace brace brace , heads down , stay down!
のシーンが頭から離れないんだろうな……。
2016年6月児童手当号「年に一度のおつとめを」はこちら。
例によって児童手当を受給している人にだけ発行する増刊号です。本日のあなたの受給額は0,000円です。
不穏当な発言をかますようですが、この児童手当という制度、実はまことに不公平なものなのです。それは、所得把握がかなりいいかげんだから。
たとえば、妻と二人の子を扶養している人は、年収960万円を超えると手当は支給されません。幸か不幸か山形県の教職員でこれ以上稼ぐ人はまずいないので(泣)関係のない話ではありますが、しかし制度自体が矛盾をはらんでいることはおぼえておきましょう。ふたりの会社員を比較するとよくわかります。
○Aさん……年収1000万円。専業主婦とふたりの子を扶養。
○Bさん……年収700万円。共働きで奥さんの年収は600万円。子どもふたりを扶養。
この場合、Aさんには児童手当は出ず、Bさんはしっかり受け取れます。世帯収入はBさんのほうがずっと多いにもかかわらず。これは、所得の判断を手当の受給者のみでやっているから。
この事実が次第に知られてきていて、特に高額所得者の奥さんを中心に怒りまくっている人が多いようです。専業主婦をなめんじゃねーぞと。少なくとも公平という観点からすれば、所得制限のない子ども手当時代のほうがはるかにましだったのは確かです。
もっとも、世帯収入で判断されると、この業界でも(制限基準をよほど大幅に引き上げないかぎり)受給できない人もでてくるので痛しかゆし。
画像は「団地」(2016 キノフィルムズ)
監督、脚本:阪本順治
主演:藤山直美、岸部一徳
ネタバレになるのでストーリーはいっさい明かせませんが、ラストで主人公夫婦にあるプレゼントが贈られます。贈り方がやたらに複雑なので(わたしの妻もふくめて)鶴岡まちキネの観客たちは「あれ、どういうこと?」とみんな不思議がってました。パートの主婦を演ずる藤山直美が絶品。父親を超えたかも!
2017年2月児童手当号「不公平なお手当PART2」につづく。
イーストウッドの映画は、オープニングからわくわくさせてくれる。観客をうまくのせる呼吸をこの人は生得しているのだろう。
「ガントレット」も憎いぐらいうまい。アリゾナ州フェニックスの夜明け。バーで目覚めたベン・ショックリーは酔ったまま車に乗りこみ、職場に向かう。降りた場所は警察。ベンは刑事だったのである。
しかしこの刑事は車を降りるときにウィスキーのボトルを落として割ってしまい、同僚に「ひげを剃れ、ネクタイをきちんとしろ」と説教される。上司に呼びつけられ、ラスベガスに行って裁判の証人を連れて来いと命じられ……ここまでを一気に描く。うまいなあ。
だらしない刑事役なのは、イーストウッドはこのころ、ダーティハリーのシリーズ化に成功し、監督としても「アウトロー」などで自信を深めていたために役柄を広げようとしたのか。
ちょっと違うみたいだ。
この映画のタイトルは、二列に並んだ兵士の間を、両側からムチで打たれながら走り抜ける軍隊の刑罰を意味している。最後まで駆け抜けることができれば、許されることもあるらしい。
なぜこのタイトルになったかといえば、その証人(「アウトロー」でイーストウッドとできてしまったソンドラ・ロック)をフェニックスまで連れ帰れるかが賭けの対象になっており、賭け率(ふたりの生存率でもある)は1対100まで跳ね上がる。つまり、ショックリーはなめられているのだし、自分が無能だと思われているから護送役に選ばれたのだと知る。
要するにハリー・キャラハンのように強力な人間であっては都合が悪いし、ガントレット(メインストリートを走るバスに両側から弾丸が雨あられのように浴びせられる)を経過することで人間として変わっていくことを描く余地が必要だったのだ。
公開当時は批評家にボロクソに言われてました。あんなに撃たれたのにバスが動くのはありえないとか。違うんだよなあ。ふたりの成長の過程を示すためにバスはゆっくりと動くのだし、弾丸はふたりの恋愛の成就を象徴するライスシャワーのようなものなのに。
わたし好みのソンドラ・ロックは、この映画でも盛大に脱いでくれているのでうれしいです。苦い大人の恋愛を描くには、あのヌードは絶対に必要でしたもんね。
紹介するのがこれほどむずかしい映画もない。なにしろストーリーをほとんど語れないので。という語り方もすでにネタバレですか、すみません。
ある事情があって団地に引っ越してきた初老の夫婦。夫は薬局をたたみ、しかし漢方薬をつくる材料や道具を捨てることができない。妻はスーパーでレジのパートをやっているが、どんくさいためにいつも怒られている……こんな地味な設定からあんな話にもっていくなんて。ああまた語ってしまった(笑)。
要するに壮大なほら話なのだけど、監督の阪本順治(「どついたるねん」「KT」)は徹底して“普通であることが既に可笑しい”大阪の団地の住人たちを微細に描く。
これはもう、役者が下手だと目も当てられないわけで、その点この映画は完ぺきだ。妻に藤山直美、夫に岸部一徳。近所の住人に石橋蓮司と大楠道代。これ以上のキャスティングはまず望めない。
特に藤山直美はひたすらおかしくて、レジ打ちが遅いと怒られたその場で、縞模様の袖をつかってバーコードを読み取る練習を始めてしまうあたりの呼吸は、んもう父親の寛美もびっくりじゃろ。台所での立ち居振る舞いなど、絶品です。
また、岸部一徳とのからみも爆笑。林のなかでカメラ目線で話すのだけれど、さすが関西人のふたり、味のあるしゃべくり夫婦漫才にどうしてもなってしまうんだものな。
モデルになっているお話は、スピルバーグのあれとか、ロン・ハワードのあれとかいろいろとあげられる。でも身近なところで半村良の「平家伝説」はどうでしょう。とんでもないラストに向けて、だからこそ味のある日常描写をばらまいておくあたり、脚本も書いた阪本の頭にあったと思うんだけどな。
鶴岡まちなかキネマの観客たち(すごく入っていました)はとまどったようで、
「最後のあれはどういうこと?」
阪本の企みは成功したようだ。あー面白かった。まったく、団地という場所は本来ありえないことが起こるものなのでした。
Sting - Englishman In New York
2016年8月号PART4「つまらない男、つまらない女」はこちら。
「自動車メーカーとしての実力を疑わざるを得ない」
燃費不正が拡大した三菱自動車について、国土交通省の担当者が発したことば。かなり激している。何度も何度も指摘を受けながら、しかしこの企業は何度も何度も「なことは何とでもなる」と無視し続けている。
OEMで軽自動車を提供されていた日産が、逆に三菱を子会社化したギャンブルにはびっくり。どうなんだろう。三菱をゴーンはうまく御せるんだろうか。
VWのクルマに乗っているわたしだから言わせてもらおう。卑怯な企業がつくったクルマに乗っているだけで、ハンドルを握る楽しさは明らかに減じた。ユーザーのその思いが三菱に届くことはないのかなあ。いまがVWの買い時だ!とちょっとだけ思ったことだけは告白しておきますけれども(笑)
「主人は大変わがままで知られておりましたが、そのわがままを補うほどの優しさを持っていました。優しくて、可愛らしかった。47年間、一緒にいられたこと、幸せに思っています。大変身体は強かったのですが、癌のほうが強かったようです。きょうは泣かないつもりで、明るい送り会にさせていただきたい。きょうは皆さんでほめて、天に送ってあげてください」
大橋巨泉を偲ぶ会における、妻の寿々子さんのあいさつ。巨泉はしあわせな人だとつくづく。映画ファンからすれば、鈴木清順の「けんかえれじい」において匂うように美しかった浅野順子をかっさらった憎き野郎ということになるのだが(完全に芸能界から引退して、浅野順子は大橋寿々子として暮らすことを選択した)。しかし彼女の美しさがまったく減じていないのを見て、そうか巨泉は彼女を本当にだいじにしていたんだなと納得。許す。何様だおれは。
本日の一曲はスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」
先日、ALTたちと飲んだ二次会でカラオケへ。英語しばり。きっつー。でスティングも歌ったんだけれど、彼がものすごくキーが高いことを思い知らされました(笑)。サックスはブランフォード・マルサリス。か、かっこいい。それにしても、この曲がスティングの代表曲になると誰が予想したろう。「わたしは合法的エイリアンだ」は歴史的名言。
2016年10月号「オキナワ。」につづく。
第三十八回「昌幸」はこちら。
前回の視聴率は15.7%と予想を大幅に下回った。裏がイッテQ!の登山部だったことを差し引いても意外。草刈正雄退場の回だよ?うーん。
と、真田丸中華思想で考えても仕方ないですわね。世の中にはもっと楽しいことがいっぱい……あるかなあ。
九度山に流罪になっている信繁一家。どんな世の中であっても、それなりに自分をその世に合わせていくのは信繁ならずとも誰でもやっていること。にしても金がない……ということで有名な真田紐のエピソードに。まさか秀次の娘(岸井ゆきのがすっかりフィリピーナになっている!)を側室にしていたことがその端緒になるとは思い切った話。恋愛体質の本妻はそりゃびっくりするよね。
静かな回なのにわたしがこの話を愛するのは、信繁が子育てにまったく自信のない男だとしている点だ。
昌幸亡き後、ようやく信繁の色が出せるとなった時点で三谷幸喜はこの部分を押し出してきた。自信のない父、それが真田幸村(まだ名前のエピソードは続きそうだ)の本質だと。
梅(黒木華)との間の娘に完全に拒否られたことが影響しているのだろうけれど、戦国の世にそんなことでグジグジするヤツはいない。だけれども、そこを強調したあたりが、実は父親という存在を強烈に意識している三谷幸喜らしいところかと。息子に囲碁を教えてもらう展開は、高梨内記を経由して信繁が昌幸の子育てを色濃く受け継いでいることを暗示してうれしい。
もうひとつ、この回ではっきり宣言されたのは、この長大な真田の歴史を語っているのはきり(長澤まさみ)だということだ。ドラマにおける神であるナレーターの有働由美子以上に(笑)。
脚本家にとって、そりゃあ本妻以下で愛人以上である存在は“便利”だろう。でも彼女には真田幸村という人間の批評家という役割よりもっと強く、迷いまくっている主人公をぶれさせない役割が与えられているようだ。いわば彼女と信繁の合体が真田幸村で……すいません先走りすぎました。視聴率は、もうわけわかんないから16%台かなあ。
第四十回「幸村」につづく。