イーストウッドの映画は、オープニングからわくわくさせてくれる。観客をうまくのせる呼吸をこの人は生得しているのだろう。
「ガントレット」も憎いぐらいうまい。アリゾナ州フェニックスの夜明け。バーで目覚めたベン・ショックリーは酔ったまま車に乗りこみ、職場に向かう。降りた場所は警察。ベンは刑事だったのである。
しかしこの刑事は車を降りるときにウィスキーのボトルを落として割ってしまい、同僚に「ひげを剃れ、ネクタイをきちんとしろ」と説教される。上司に呼びつけられ、ラスベガスに行って裁判の証人を連れて来いと命じられ……ここまでを一気に描く。うまいなあ。
だらしない刑事役なのは、イーストウッドはこのころ、ダーティハリーのシリーズ化に成功し、監督としても「アウトロー」などで自信を深めていたために役柄を広げようとしたのか。
ちょっと違うみたいだ。
この映画のタイトルは、二列に並んだ兵士の間を、両側からムチで打たれながら走り抜ける軍隊の刑罰を意味している。最後まで駆け抜けることができれば、許されることもあるらしい。
なぜこのタイトルになったかといえば、その証人(「アウトロー」でイーストウッドとできてしまったソンドラ・ロック)をフェニックスまで連れ帰れるかが賭けの対象になっており、賭け率(ふたりの生存率でもある)は1対100まで跳ね上がる。つまり、ショックリーはなめられているのだし、自分が無能だと思われているから護送役に選ばれたのだと知る。
要するにハリー・キャラハンのように強力な人間であっては都合が悪いし、ガントレット(メインストリートを走るバスに両側から弾丸が雨あられのように浴びせられる)を経過することで人間として変わっていくことを描く余地が必要だったのだ。
公開当時は批評家にボロクソに言われてました。あんなに撃たれたのにバスが動くのはありえないとか。違うんだよなあ。ふたりの成長の過程を示すためにバスはゆっくりと動くのだし、弾丸はふたりの恋愛の成就を象徴するライスシャワーのようなものなのに。
わたし好みのソンドラ・ロックは、この映画でも盛大に脱いでくれているのでうれしいです。苦い大人の恋愛を描くには、あのヌードは絶対に必要でしたもんね。