(改) 芸者ワルツ/神楽坂はん子 (本人歌唱ステージ)
PART4「合唱」はこちら。
話がこむずかしくなってしまった。他にもこの本にはお勉強になるネタがてんこ盛りです。
「朝鮮戦争・特需」
(1950年の朝鮮戦争特需によって)あっけらかんと歓喜する日本人、冷ややかに批判を下す日本人の両者がいたのだが、音楽もそれらに符合していたように見受けられる。歓喜するほうでみれば、「君が代」や行進曲「軍艦」が街に響き渡ったり、特需景気に潤った新興成金層のお座敷ソングが氾濫していく状況があった。
お座敷ソングの草分けとしては、1949年に売り出され、51年に歌詞をよりエロチックに改作して大流行した「トンコ節」(作詞:西条八十、作曲:古賀政男)が挙げられる。52年には、神楽坂はん子の歌う「ゲイシャ・ワルツ」(作詞:西条八十、作曲:古賀政男)のヒットによって、お座敷ソングはさらに流行していく。
とはいえ、こうしたいわば桃色歌謡曲にあっても、単なるエロに終わらない悲哀や人間性の発露があったと考えられる。たとえば
「あなたのお顔を 見たうれしさに 呑んだら酔ったわ 踊ったわ 今夜はせめて介抱してね どうせ一緒にゃ くらせぬ身体」
と歌う「ゲイシャ・ワルツ」に対して、成金男性に従属する芸者の性(さが)と同時に、アメリカに従属する日本の悲しい性というメタファーを感じ取った日本人も当時少なからずいたのである。
……ゲイシャ・ワルツ(あなたのリードで島田もゆれる、ってあれですよ)をそこまで裏読みするか。ちなみに、炭坑節をひねった「トンコ節」とはこんな歌です。
「あなたのくれた帯どめの 達磨模様がちょいと気にかかる さんざ遊んで転がして あとであっさり つぶす気か」
うまいっ!しかしウィキペディアによれば、あの大宅壮一はこの歌を「声のストリップ」だとして西条八十を批判したという。わたしなどから見ると、花柳界という存在自体が一種のファンタジーにしか思えない。芸者さんと遊んで楽しいというのも、実は一種の才能でしょう。以下次号。